[昭和歌謡]46 また逢う日まで

昭和ヒット曲全147曲の真実シリーズです

また逢う日まで
尾崎紀世彦
作詞 阿久悠 作曲 筒美京平
1971年

♪チャッチャッチャチャーチャチャン ドン
チャッチャッチャチャーチャチャン ドン
パパーラーパーラーパー パララー
♪また逢う日まで 会える時まで
別れのその訳は
話したくない

まずは誕生の秘話から

この歌、最初はエアコンのCMソングでした。
ふたりでドアを閉めて~
のところが
サンヨールームエアコン

その後、このCMソングを流用して作ったのが、
ズー・ニー・ヴーというグループサウンズの
「ひとりの悲しみ」という歌
全く売れなかった。

歌詞の一部を変更して尾崎に歌ってもらって大ヒット
二度の流用を経てるんですね。

レコード大賞
衝撃的でしたね
圧倒的な声量
度肝を抜かれました

そして尾崎紀世彦と言えばレコード大賞ですよね
レコード大賞を振り返る、的番組では
この場面の映像が何度流れたことか

発表の瞬間、それまでは
日本人的と言うんでしょうか
涙に崩れたり
えっ、誰の事?みたいにキョロキョロしたりポカンとしたり
おい、お前だよ、ってツッコミを入れてた。

気持ち良かったなあ、あの思いっきりのバンザイ
大げさに言うと、日本人が大きく変貌を遂げた歴史的瞬間

そのあとの、
♪チャッチャッチャチャーチャチャン ドン
が耳に残ってます。

もちろん声量マックスで歌えるから
歌っていて無茶苦茶、気持ち良い歌
あっそうそう、別れの歌なんだっけ

別れの時にそんなに大声張り上げるかいな
まあ、歌詞はこの際、どうでも良いわ

久しぶりに尾崎紀世彦の事を思い出して
ネットで検索してみてびっくりしました。
亡くなっていたんですね
「また逢う日まで」がやって来ないのか
でもYoutubeとかあるしね

久々に大声で歌わせていただきました。

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[昭和歌謡] さらば涙と言おう

昭和ヒット曲全147曲の真実シリーズです。

さらば涙と言おう
森田健作
作詞 阿久悠 作曲 鈴木邦彦
1971年

♪さよならは誰に言う
さよならは悲しみに
雨の降る日を待って
さらば涙と言おう

森田健作
モリケンですね

吉川くーん

面白い番組だった

台風の時の回がとても印象に残っています。

真っ直ぐな番組でしたね
そういう真っ直ぐな番組が時代が変わって
もっと複雑なストーリー展開になって
みたいな流れかと思いきや

今だって、

半沢直樹
下町ロケット
陸王
のように
以前として真っ直ぐで分かりやすく
こうなるんじゃないかなという方向にちゃんと行くドラマが
視聴率を稼いでいる

人間はまだまだ今の世の中も真っ直ぐなんだ、って
ちょっとほっとします。

モリケンって
役どころじゃなく
根っから人間として熱い人なんだなって思う。

私が大好きなTBSラジオで
千葉ドリームもぎたてラジオっていう番組があります。
森田健作知事が出演し千葉の事をあれこれピーアールする番組

宣伝の番組な訳ですから
普通は面白くありませんが
森田健作の人間性が出ていて
とても好感が持てます。

ホントに千葉の事が好きなんだなあと良く分かります。
歳取っても青春している彼の生き方は
私は好きだなあ

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[昭和歌謡]44 よこはま・たそがれ

昭和ヒット曲全147曲の真実シリーズです。

よこはま・たそがれ
五木ひろし
作詞 山口洋子 作曲 平尾昌晃
1971年

♪よこはま たそがれ ホテルの小部屋
口づけ 残り香 煙草の煙り
ブルース 口笛 女の涙
あの人は行っていってしまった
あの人は行っていってしまった
もう帰らない

山口洋子さんが、過去のヒットした歌謡曲に出てくる言葉をいっぱい調べて
頻度の多いものを並べたらこの詞になった

この話は当時から結構言っていた話なので、知っている人も多いんじゃないかな

でも、それでちゃんと物語性と独特なイメージを作り上げるあたり
さすがって気がします

よこはま たそがれ ホテルの小部屋
あらま、ほうほう、それで?

口づけ 残り香 煙草の煙り
あらあ、そうなのね
みたいに

あと、この本で読んで
えっ、言われて見れば
と思ったのが
通常、歌詞は7・5調が多いんだけど
これは珍しく、4・4・7調
ほんとだぁ

五木ひろし
五木ひろしってこの辺なんですね
おそらく私だけなんでしょうけど
もうちょっとあとの人の気がしていました。
森進一は昔からいるけど、大型新人が出てきましたよー、って感じ
全日本歌謡選手権10週勝ち抜きもうっすらと覚えています。

そういう事を言い出すと、歳とったっていう証拠ですね。

よこはま、また行こう
歌の似合う町って良いですね

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[昭和歌謡]42 戦争を知らない子供たち

昭和ヒット曲全147曲の真実シリーズです

戦争を知らない子供たち
ジローズ
作詞 北山修 作曲 杉田二郎
1971年

大好きな北山修さんです。

永六輔さんのラジオに準レギュラーで良く出ていました
私は大声でガッハガッハ笑う人が大好きで、
北山修さんの出るときは食い入るように聞きました

♪戦争を知らずに、僕らは生まれた
戦争を知らずに僕らは育った
大人になって歩き始める
平和の歌を口ずさみながら
僕らの名前を覚えて欲しい
戦争を知らない子供たちさ

江戸時代
江戸時代が大好きです。
最初はウォーキングしているとどうしても関連してくるから、という理由で調べ出したんだけど
面白くて面白くて。

何でこんなにこの時代は面白いんだろうって何回か思って
考えてみるんだけど、答えはいつも一緒

平和がとっても長く続いたから

家康の天下統一のあと
秀忠を経て、

家光が武家諸法度(ぶけしょはっと)で平和への大きな一歩
次の家綱の時、明暦の大火の時、天守閣が焼け落ちても、保科正之が平和の時代に天守閣なんて無用の長物と
造り直さなかった
天守閣なしということでの平和宣言
次の綱吉がだめ押し。
人を殺すのが仕事の筈の武士なのに、「人を殺してはいけません」と法律で決めちゃった。
生類憐れみの令がそれ。

この三代の将軍の時代に大流行した歌があるんだけど
何だか分かります。

戦争を知らない子供たち

ごめんなさい、嘘言っちゃったね

でも、この歌ってそういう意味だと思う。

平和ボケ結構
薄っぺらいと言われようが

戦争を知らない子供たちであることに誇りを持とう

江戸時代は日本の歴史の中でも
260年も平和が続いた稀有な時代

城の変わりに庭園を造り
武術の変わりに文字を習った。

今年、2018年から260年引くと、1758年
明治維新1868年より100年も前のこと

このあとの260年でどれだけ戦争という過ちを繰り返したろう。

でも、大丈夫。

われわれは戦争を知らない子供たちの、栄誉ある第一世代として生まれた。
家光。

娘たちは戦争を知らない孫たち
家綱であり、保科正之

娘たちが産んでくれる(?)であろう孫は第三世代
綱吉

徳川十五代まではまだあるけど
武家諸法度や「天守閣作りません」や生類憐れみの令に匹敵する
「日本国憲法」という平和宣言をしたんだ

15代なんて、目と鼻の先だ
追い付き、追い越せ

反戦歌
反戦歌、ずいぶん歌った。

小学校の時、もうすぐ社会科で戦争について学ぶって前に
先生に言った。

反戦の歌詞、教室の後ろに貼っても良いですか

模造紙に、3曲、歌詞を書いて、教室の後ろに張り出した。
変な子供だね。

すると、授業の時、先生が
佐々木君、どれか一曲、歌ってくれよ。

その時歌ったのが、この「腰まで泥まみれ」

腰まで泥まみれ
作詞 中川五郎

♪昔ぼくが優秀な軍隊の隊員だった時
月夜の晩にルイジアナで演習した
隊長はぼくらに河を歩いて渡れと言った
ぼくらは腰まで泥まみれ、だが隊長は言った「進め」

隊長危ない引き返そう」と軍曹は言った
「行くんだ軍曹、俺は前にここを渡った
ぬかるみだけど頑張って歩き続けろ」
ぼくらは腰まで泥まみれ、だが隊長は言った「進め」

隊長こんな重装備では誰も泳げません」
「そんな弱気でどうするか、俺についてこい
俺たちに心要なのはちょっとした決心さ」
ぼくらは首まで泥まみれ、だが隊長は言った「進め」

月が消え溺れながらの叫びが聞こえて
隊長のヘルメットが水に浮かんだ
「みんな引き返そう」と、軍曹が言った
ぼくらは泥沼から抜け出して隊長だけ死んでいった

裸になって水に潜り死体を見つけた
泥にまみれた隊長はきっと知らなかったのだ
前に渡ったよりもずっと深くなっていたのを
ぼくらは泥沼から抜け出した「進め」と言われたが

これを聞いて何を思うかはあなたの自由だ
あなたはこのまま静かに生き続けたいだろう
でも今の世の中思い出させるあの時の気持ち
ぼくらは腰まで泥まみれ、だが馬鹿は叫ぶ「進め」
ぼくらは腰まで泥まみれ、だが馬鹿は叫ぶ「進め」
ぼくらは腰まで、首まで、やがてみんな泥まみれ
だが馬鹿は叫ぶ「進め」

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