[昭和歌謡]59 さそり座の女

昭和ヒット曲全147曲の真実シリーズです。

さそり座の女
美川憲一
作詞 斎藤律子 作曲 中川博之
1972年

♪いいえ私は さそり座の女
お気のすむまで 笑うがいいわ
あなたは遊びの つもりでも
地獄の底まで 付いていく
思い込んだら 命命命がけよ
そうよ私は さそり座の女
さそりの星は 一途な星よ

作詞、斎藤律子さんはプロの作詞家ではない。
主婦
昔、横浜にあったバンドホテルの社長夫人です。

恵まれた生活をしていた時、
モテモテのご主人が、遊んだ女性の話を冗談で笑いながら話しているのを聞いて

冗談じゃないわ、このバカ旦那
今に痛い目見るわよ
と、相手の女性の立場に立って、作った歌詞

恐ろしいですね。

そのあと、ホテルは潰れちゃって、収入は無くなっちゃうんだけど
この歌の印税で暮らしが成り立ったらしい。

さあ、旦那さんは、奥さんに何て言ったんでしょうね。

美川憲一
美川憲一は全てこの歌のお陰ですよね

柳ヶ瀬ブルースが大ヒットして以来
釧路の夜等、ヒットは続くんだけど
それほど、印象には残っていません

さそり座の女、で見事カムバックという感じかと思うと
数字的には、柳ヶ瀬ブルースや釧路の夜とかの時に比べるとそれほどでもない。

なのに、なぜ、美川憲一イコールさそり座の女、ってイメージかというと
約20年後、コロッケのモノマネによります。
コロッケに助けられた人は随分いますね。

それからは、元々持っていた強烈な個性が
バラエティの中で、強烈なオバサン?キャラとして確立したんでしょうね

さそり座の女が無く、柳ヶ瀬ブルースだけだったら
コロッケはモノマネしなかったでしょう。

索引はこちら
[昭和歌謡]シリーズはこちら(少し下げてね)


ピンポンマム

花カレンダー始めました

[昭和歌謡]58 そして、神戸

昭和ヒット曲全147曲の真実シリーズです。

そして、神戸
内山田洋とクールファイブ
作詞 千家和也 作曲 浜圭介
1972年

♪パパーヤー
神戸~ 泣いてどうなるのか
捨てられたわが身が みじめになるだけ

出ました。
わが兵庫県の代表ソングでございます。

どうだっ、て感じの王道ですね
パパーヤーがまた良い

改めて神戸ってブランドだなあと思います。

震災でどうなるんだろうと思ったけど
ブランドとしての価値は何ら変わりない

神戸~ 泣いてどうなるのか
という歌詞は、
震災後、歌う前川清としてはキツくて
しばらく封印していたらしいんだけど
いやあ、逆にそのままじゃないでしょうか
予感していたかのごとき歌詞

関西人を甘く見てもらっちゃ困る

泣いてどうなるのか
そうやそうや、どないもならん
前向くだけじゃあ

神戸震災記念館に行って気づいたのは
防災も大事だけど、復興の方がもっと大事
瓦礫の中に立つ木に、花が咲いていて
「それでも花は咲く」と貼り紙がしてあったのが、強烈に印象に残っている

索引はこちら
[昭和歌謡]シリーズはこちら(少し下げてね)


鑑賞用トウガラシ

花カレンダー始めました

[昭和歌謡]57 喝采

昭和ヒット曲全147曲の真実シリーズです

喝采
ちあきなおみ
作詞 吉田旺 作曲 中村泰士
1972年

♪いつものように幕が開き
恋の歌うたう私に
届いた報せは
黒い縁取りがありました。

出ましたね、喝采。
レコード大賞取りましたね
今も思い出せます。
レコード大賞は・・・・喝采

リリース後、わずか3ヵ月の大賞受賞は最短記録だった。
あの時期が、レコード大賞というイベントが一番盛り上がっていた頃かも知れません。

ちあきなおみは、21歳の時レコードデビュー
それなりの注目は浴びたものの、ヒットしたとは言いがたい。

デビューからの3曲の作詞を担当したのが吉田旺

その後、3年ほど、ちあきとは離れていた。

ちあきから、吉田に曲の依頼があった。
吉田は、その依頼に特別なものを感じる

調べると、その後の彼女の歌の売上は下降線を辿っていた。

特別な思いで作った曲
デビューからすると、実に12曲目になっていた。

売れなかった。
禁じられた恋の島

応えられなかった。

吉田としてもこれでは終われない。
他の仕事はそっちのけになった。

何曲も何曲も、彼女のためだけに詞を書いた。

違う。売り方が違う。
彼女はアイドルではない
並外れた歌唱力、表現力に合うストーリーが必要。

練りに練ってストーリーができる。

歌手を目指した若者が恋人を残して上京
その恋人が亡くなったとの報せを受ける

受け取ったちあきは愕然とする
これは・・

鍵を開けないといけない
強く閉じた鍵

レコードデビュー前の下積み時代
彼女には兄のように慕った人物がいた

ところが突然病に倒れ、この世を去ってしまう。

忘れるためにずいぶんの箱を用意し
鍵をかけては、また次の箱に入れる。

吉田は知る由もない、全くの偶然。

歌えません。

ずいぶんの葛藤があった

レコーディングの時は、黒いカーテンで中を見られないようにしてもらって
裸足で挑むことになる

索引はこちら
[昭和歌謡]シリーズはこちら(少し下げてね)


ルリマツリ

花カレンダー始めました

[昭和歌謡]56 旅の宿 吉田拓郎が変えたもの

昭和ヒット曲全147曲の真実シリーズです。

旅の宿
吉田拓郎
作詞 岡本おさみ 作曲 吉田拓郎
1972年

♪浴衣の君はすすきのかんざし
熱燗とっくりの首 つまんで
もういっぱい いかがなんて
妙に 色っぽいね

出ましたよ
ようやく来ましたね
拓郎ですよ 拓郎です。

何たって私は、高校の時、フォーク同好会の会長やっていたくらいですから。
特別な思い入れがございます。

この曲も思い出いっぱいだなあ

バス旅行に先だって、バスの中で歌う歌を歌集として作って
みんなに配ろうってことになって
仲良し仲間が集まって作った。
その時に一番盛り上ったのが、この「旅の宿」

この歌が流行りはじめの頃で
みんな聞いたことはあるし
歌詞はどっかから持ってきて
分かるんだけど
みんなうろ覚え

熱燗とっくりの首 つまんで

熱燗とっくりの 首つまんで
かが分からない
拓郎って、字余りの歌がやたら多いんですよね。

結局バスの中で、
熱燗とっくりの 首つまんで
と大合唱するんだけど

後でみんなで
違うかったね、と大笑い。

結婚しようよ
元々、拓郎ってフォークの世界では知らない人はいなかった訳だけど
フォークという音楽ジャンルが
歌謡曲と比べればマイナーだったので
当然、拓郎っていったところで知らない人はいっぱいいた訳です

フォークってアンチ世の中、のプロテスタントソングから始まっているから
歌詞に色んな主張がこもっていて、
私もそれが好きなわけです。

ところがその流れを大きく変えたのが拓郎と陽水

♪僕の髪が肩まで伸びて
君と同じになったら

結婚しようよと歌った訳です。

衝撃でしたね
両方の立場から、衝撃だった。

まずは、一般の大人たち

男のくせして
髪の毛伸ばして
伸びたら結婚するだぁ?
お前はヒッピーか

次に、フォーク信奉者たち

元々男性が髪を伸ばすという行為は
軍隊が短髪であるという事に反発した、反戦行動だったんです。
それを、町の教会で結婚するなどといった、
チャラチャラした行為に繋げた。
おい拓郎よ、お前は魂を売り渡したのかと。

でも、この不思議な歌は、
その不思議さ故にバカ売れし
フォークを歌謡曲と肩を並べる普通のジャンルに引き上げ
拓郎は、陽水とともにヒーローになった。
私の場合は、泉谷しげるファンなので、泉谷も加えたいんだけど。

そして、それとともに
拓郎や陽水や泉谷から
我々フォーク信奉者は
お前たち本当にいつまでもそんな事してんのか
という提案を素直に受け入れ
社会に打ち解けていく訳です。

それでもひょっとして、と待ちわびた
結婚しようよ、に続く新曲が
旅の宿だった

これなんだね
これでいいんだね

すすきのかんざしであり
上弦の月が答だったんです。

元気です
拓郎の曲について話し出すといつまでたっても終わらないです。

私は、「元気です」というアルバムを買って
何度も何度も聞いたから
その中に入っている曲がやっぱり特別です。

旅の宿はもちろん入っているんですけど
一番好きなのは、祭りのあと、かな
♪祭りのあとの静けさが~
たどり着いたらいつも雨降り、も大好き
♪疲れ果てていることが~
あと、「元気です」のアルバム以外で言うと
人間なんて
♪人間なんてララーラーララララーラー
落陽は
フォーク同好会の先輩が強烈な拓郎ファンで
いつも歌っていたので印象深いです。
♪土産にもらったー、サイコロふたつ

泉谷しげるを筆頭に、陽水拓郎は大好きで
その3人が、フォーライフレコードという新しいレコード会社を立ち上げると聞いた時は
どうにもこうにもいてもたってもいられなくなった。

当時、長者番付で一位二位だった陽水と拓郎
その二人が一緒にレコード会社

あり得ます?
三波晴夫と村田英雄がレコード会社作るようなもん。

なんと、そこに私が人生の師と仰ぐ、泉谷しげるが行動を共にすると言うんです。

第一回目の新人発掘オーディションにはデモテープ送りましたが
もちろん、ど素人なんで、どうにもなりませんでした。

索引はこちら
[昭和歌謡]シリーズはこちら(少し下げてね)


キョウチクトウ

花カレンダー始めました