最初の頃の天皇は、なぜ長生きなのか

天皇シリーズをやっていて、前回コメントをいただいたので、ちょっと横道

長生き
ジンム スイゼイ アンネイ イトク の神話時代
それぞれ、天皇はとっても長生き。

前の方の数字が、古事記に書かれている亡くなった年齢、後ろの方の数字が日本書紀に書かれている年齢
1 神武 137歳 127歳
2 綏靖 45歳 84歳
3 安寧 49歳 57歳
4 懿徳 45歳 77歳
5 孝昭 93歳 113歳
6 孝安 123歳 137歳
7 孝霊 116歳 128歳
8 孝元 57歳 116歳
9 開化 63歳 101歳
10 崇神 168歳 120歳
11 垂任 153歳 140歳
12 景行 137歳 106歳
13 成務 95歳 117歳

いくらなんでも長生き過ぎませんか

それより前のイザナキ イザナミから始まる完全なる神様は長生き
これは分かります。
全く死なない訳じゃないんですが
特別な事がない限り、寿命で死ぬことはない。
神様ですからね。

神武天皇以降は、人間という設定になっている筈です。

すごいのが、武内宿禰(たけしうちのすくね)
天皇に仕える今で言う総理大臣みたいな人
景行・成務・仲哀・応神・仁徳の5代(第12代から第16代)の各天皇に仕えた
書かれている書物によって違うんですが
最低でも280歳、最高だと、360歳まで生きてそのあと行方知れず。
長寿の神様として祀られていたりもします。

江戸時代だって、人生50年と言っているのに、
あまりに異常。
何故なんでしょう。

それを考える前に、年の話から


西暦でいうと645年、大化という元号で元号制度が始まる
今のように一世一元制ではないので、けっこうコロコロ元号は変わります。

今は西暦と併用なので良いですが、西暦がないので
いつからいつまでが何年ぐらいなのか、算出するのに一苦労。
なので、あるものと併用。

干支です。
十二支と十干を組み合わせて、60種類が規則的に変わる

元号もそうですが、中国から伝わった仕組みです。
生まれた年と同じ干支が巡ってきたら還暦。

その中国に讖緯説(しんいせつ)というのがある。
辛酉(しんゆう,かのととり)の年には革命が起きる

そして、干支が21回回転すると、一蔀(いちぼう)と言い
その時の、辛酉の年には、大規模な大革命が起きる。
1260年に1回です。

古事記と日本書紀
天武天皇ないしは持統天皇からの指示で、神様と天皇の系譜を作ろうということになった。

最初の天皇は、神武天皇って事にしたいんだけどどう?

良いね良いね、賛成!

その即位した時期なんだけどね
辛酉の年の1月1日にしたいのよ

それも賛成、大賛成。

最近の辛酉の年で大きな出来事あった?
推古天皇9年、この年は聖徳太子が出てきた年だよ

うん、それは大きいね
大革命なんじゃない?
そこから、21回遡った辛酉の年に即位って事で。

はい、決定

西暦でいうと601年(推古天皇9)年が基準となり
その、1260年前、西暦で言うと紀元前660年が
神武天皇即位の年となったわけです。

始めに即位の年ありき

分かっている一番古い天皇から、神武天皇までを繋がなきゃね
何人くらい必要?
それぞれ名前決めなきゃ。

ええっと、えっと
何だか考えるのに疲れてきたね

孝昭天皇から孝元天皇まで、似たような名前だから
疲れた感がありますね。

こんなもんで良いんじゃない?
長生きしたんだよ、そうしよう

はい、これが長生きの真相

間の会話は私が考えましたが
基本的なところは、私が適当に言っている訳ではなく
ちゃんと学者さんが言っています。

それも、現代の学者さんじゃない
古事記や日本書紀の完成後、100年ぐらいたった後の文章博士(もんじょうはかせ)
文章博士ってちゃんとした公の組織で
歴史文学芸能とかを研究し
元号を諮問したりするオーソライズされた学者さん。

そんな昔から歴史学者っていたんですね
もうそこ昔ですけど、って思いますが。

三善清行(みよしのきよゆき)さん
100年後ですから、かなり信憑性高いです。

さらにこの人、元号を決める立場にありますので
ある基準を打ち出した。

今度来る辛酉の年
ほんとに革命が起きちゃったら大変ですよね
革命が起きたというていにして、元号変えちゃいましょう。

ということで、昌泰4年(901年)の辛酉の年に元号を「延喜」と改めました。
それ以来、60年ごとの、辛酉の年には元号変わっています。

ここまでならまだ良かった
60年の始まりは、甲子(こうし、きのえね)の年です。
始まりっていうくらいだから、この年も革命が起きるんじゃないかな
改元しましょう。

えっ、まあ確かに、甲子は区切り感がすごくありますが
さっきの表をご覧ください。
辛酉って最後から3つめ
ということは、せっかく元号変えても、3年後にはまた改元
そんなに革命ばっかり起きますかね。
でも、ほんとに、その後ずっと、甲子の年に改元されているんです。

長くなりました。
続きは明日。

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現代の若者は名探偵

最寄駅が西武池袋線の清瀬、に住んでいます。
その、清瀬駅で

あっ、あったぞ。謎解き

駅にある無料のパンフレットのラックは、ウォーキングのネタもあるので必ずチェックしているんですが
最近、謎解きスタイルのものを、ちょこちょこ見かけるようになりました。

謎解きと言うと、うちの次女がプロ
ボードゲームという、電気を使わないゲームの専門家だということもあり
その派生で、謎解きも得意です。
長女も誘われて、良く二人で謎解きの旅に出掛けています。

今の若い子たちって、ゲーム機やスマホとかのゲームを朝から晩までやっているイメージありますね
何だか不健康。

おそらく、その揺り戻しなんでしょう。
ゲームにもバリエーションが出てきて
ずっと画面に向き合っている訳ではない。

ネットで作ればすぐ出来そうなものが、敢えて紙の本で出ていたり
ある特定の場所に行かないと出来なかったり
体を動かさないと出来なかったり

例えば、娘たちお勧めの、新宿のミステリーサーカスっていうお店は
体を動かしながら、色んな謎解きを出来る店

友達が行方不明なんです。探してもらえませんか。
分かりました。私は名探偵です。

悪の組織に囚われたりしつつ
謎を解かないと脱出できないとか
色んなミステリーがてんこ盛り

今、トレンドはバーチャルより、リアル。

仲間で協力し合わないとできないものも流行りらしくて
数人で行っても良いし、
一人で行っても、見ず知らずの人と仲良くなれる。

数ヵ月ごとに謎は入れ替わるから、何度行っても大丈夫。

一億総探偵になる日も近い。

西武の謎解き
4×3=12個の謎
それぞれステップ1の謎で分かるのは、次なるヒントの場所
どこどこ駅のどこを見よ、と
そうなると、その場所までわざわざ行かないと次のステップ2が解けない
当然、西武の電車に乗っていく訳です。
ステップ2での答は、どこどこ駅の何
またかいっ
電車に乗ってね

結局、8つの駅に行かないといけない。
うまく考えましたね
西武鉄道大儲け。

いずれにしても、4つのステップ1がスタート。

最初にカミさんがトライして
いやあ、難しいわ、全然分かんない

私も最初分からなかったんだけど
ずいぶん考えて、ひらめいた。
そうかっ

カミさんに、解き方教えたろか

いらんわ

そうこうしていると、長女が帰ってきた。

ほれほれ、謎解いてみ

どれどれ?

いつもは、結構すぐ分かっちゃうんだけど、今回は分からなかった。

頭をね、やわらかーくしんといかんのよ
鼻高々。

ここからが大変だったんだけどね
とっても頑張りました。

結論的には全て解く事ができました
いやあ、ここ良く解ったよねとお互いに誉め合って良い気分

西武球場での野球観戦チケットとか
西武グループ全部で使える商品券とか、が商品
としまえんの庭の湯に応募しました。
きっと当たります。

例えば、ステップ1の中で言うと、こんな感じ

もし、ご家族が悪の組織に囚われちゃったら、いつでも言って下さいね
たちどころに謎を解いてしんぜましょう。

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浄土真宗の私なりの解釈

親鸞について2回に渡って書いてきました
親鸞がぶち破ったもの
親鸞は自虐ネタ

法然の浄土宗と親鸞の浄土真宗
どう違うんだろう
今、仏教の13宗派の中で、信者が一番多いのは、浄土真宗
どういう宗派の考え方なのか、とても気になります。
2回の親鸞の中で、また、法然の中でも書いてきましたが
今回、再度頭の整理の意味合いで
でーこんとしての解釈をしてみたいと思います。

救う
悟りの宗教だったはずの仏教を、救いの宗教に、その根本的な部分を変えてしまったと書きました。

キリスト教なんかでも、救う救われる、って言葉を使います。
なんか違和感あるなあと思っていました。
そのものぴったりの訳語がなかったのかな、と思います。

溺れている人を救う、というのともちょっとニュアンスが違うんじゃないかと。

頑張ることをやめて、楽になる
救う、は、楽になる

でーこん的解釈をすると、そういうことなんじゃないかと思います。

大きく変えたのは、自力本願から他力本願へ
この他力本願、という言葉も、現代ではあまり良い場面では使われません。

おいおい、そんな他力本願じゃなくって自分でもっと頑張れよ、みたいに。

他力って、自力の反対概念でしかないという気がします。
本来の他力って、阿弥陀様の力により救っていただこう、ってことだけど
そう言っちゃうとなんだか引っ掛かる

阿弥陀様の力により救っていただけると言っているのは
根拠として3つのお経があったから
仏説無量寿経(ぶっせつむりょうじゅきょう)、仏説観無量寿経(ぶっせつかんむりょうじゅきょう)、仏説阿弥陀経(ぶっせつあみだきょう)

阿弥陀様が、
菩薩から如来になりたいと思います。
(如来は悟りを拓ききった人)
その為に誓いをたてましょう
南無阿弥陀仏と言っていただいた人は全て、極楽浄土にお連れします。
もし、この誓いが実践できなかったら、如来にならなくて結構です。

今も阿弥陀如来は如来だから、実践出来ているということ
頑張って修行しなくても、南無阿弥陀仏と言えば大丈夫です
というのが理論的根拠

不思議です。
引っ掛かります。

お釈迦様ではないんです。
仏教なのに、お釈迦様はどうしちゃったの?と思いますね
お釈迦様は、実在の人物だけど
実は、阿弥陀如来は実在の人物ではなく架空の人物。
史実ではなく、物語
極楽浄土という名の天国も架空のもの

3つのお経は、前に「仏説」と書いてあって
お釈迦様がおっしゃった事、という意味なんだけど
お釈迦様は、私が言ったことは文字として残すんじゃなく
口から口へと伝えていくように、と言い残して亡くなっている

内々では、忘れないように一応書いておこうか
と、備忘録的なものだけ。
釈迦入滅後、500年ぐらいたった頃から
やっぱり、ちゃんと書く事にしようよ
と言って出来上がったのがお経。
さっきの3つのお経に限らず
大乗仏教のお経と言われるものはことごとく、仏説と書いてあるんだけど
500年もたっていて、自信がないところを悟られないように、という趣旨。

何だよそんな怪しいもんなの?
って事になりそうだけど
要は内容なんじゃないかと思う。

ノアの箱舟なんて、フィクションの塊ですよね。

仏教って、釈迦自身が、私を唯一絶対のものと考えるな、と言っているのが良いところ。
おもちゃのレゴみたいなもんじゃないでしょうか
素材は提供しますよ。後は自分達で自由に形作ってね

むしろ、フィクションだととらわれるものがないから自由に発想できる
事実だと、それ以上にもそれ以下にもなりません。

真言宗なんかは、釈迦如来より大日如来だったりします。

浄土真宗は浄土宗をさらに進めて
お経にあったはずの、「南無阿弥陀仏と言ってくれさえすれば」すら不要にしちゃいます。
とても自由な発想です。
そもそも、極楽浄土に行ける
「南無阿弥陀仏」は感謝の言葉として口にする。

じゃあ、浄土真宗(浄土宗)の内容って何だろうとなると
楽になりましょう、って事だと思う。

努力することを否定はしないけど
ある程度頑張ったら、もう後はなるようになるさって。

全ての結果は自分のなせる技って
若いときは考えがちだけど
この年になると、あかんもんはあかんということが分かる。

ほとんどの事って相手のあることだからね
結局は自分の頑張りだけでは決められない。

相手が決めることは相手が決める
こんなにしてあげたんだから、がトラブルの元

ええんでないの、と
結果についてつべこべ言わない

死んだ後の、架空の極楽浄土にそんなに行きたかったとは思えないんですよ
親鸞がほんとに言いたかったのは
目先の事
肩の力を抜いたら楽になるよ、って事だった気がする。

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[赤穂浪士]9 武林唯七はおっちょこちょい

赤穂浪士シリーズ9人目です。

武林唯七(たけばやしただしち)
表門組 玄関固め 馬回り 32歳

中国の思想家孟子の子孫というすごい人。
豊臣秀吉の朝鮮出兵の際に、唯七の祖父が捕虜として日本に連れてこられた。
勇猛果敢で、義にあつく、正しくないことが嫌いな一本気な性格

でも、おっちょこちょいなエピソードも数多く残されている。

「粗忽(そこつ)の使者」という話がある

ある日、とある公家から広島浅野家本家の江戸屋敷に「かきつばた」というお花のプレゼントがあった。
そのプレゼントをおすそわけしてくれるということで、
唯七は、このプレゼントを取りに行くよう浅野内匠頭から言われ、
馬で広島浅野家本家の江戸屋敷に向かった。

屋敷に到着し、座敷に通されたときに、なんとなくふすまを見た唯七は「家紋が違う!」と、びっくり!

なんとそこは、訪問する予定だった屋敷の隣の屋敷だった。
しかし、いまさら「家を間違えました」とは言えない唯七は、
「おなかがペコペコなのでお昼ごはんをいただけませんか?」と、
わけのわからない言い訳をしてその場をやり過ごした。

その後、ようやく広島浅野家本家の江戸屋敷を訪問し、
プレゼントの「かきつばた」を入手した唯七。

しかし、帰ろうとしたときに、偶然火事を知らせる鐘の音が。
近くにいた人に「火事が起きたのは鉄砲洲(江戸にあった赤穂藩のお屋敷付近)ですよ」と聞き、

びっくりした唯七は手に持った「かきつばた」をムチにして、
馬の尻をバンバンたたいて急いで屋敷に帰った。

幸い屋敷には火事の影響はなかったが、内匠頭へのプレゼントである「かきつばた」の花は散り、
茎も折れ、ボロボロになっていた。

これを見た内匠頭は、苦笑いするしかなかった

討ち入りまで
普段は江戸の屋敷につとめていたが、刃傷事件のときは赤穂にいた。
江戸急進派に属し、早くから仇討ちを主張していた。

しかし、なかなか煮え切らない態度の大石内蔵助にしびれを切らし
「ご家老(内蔵助)がなかなか動かないのは、あんたらが腰抜けだからだ!」と
大高源五に八つ当たり。
大ケンカになり、不破数右衛門に仲裁された。

討ち入り
間十次郎と二人で吉良上野介を見つけ、十次郎が一番槍(いちばんやり)を、
唯七が一番太刀(いちばんたち)をあびせ、吉良を絶命させた。

その功で、泉岳寺への凱旋の後の浅野内匠頭の墓前での焼香は
間十次郎が一番、武林唯七が二番

ひょっとすると、唯七の太刀の方が槍より早かったかも知れない
おそらく、とても微妙
本人は自分の方が早かった気がすると思っているんだけど
その場の流れが、間十次郎が一番槍って事になっちゃった。
まあ、良いか、と譲った
でも、あんまり、十次郎がはしゃぐもので
おいおい、本当は分からないんだからね、と釘を刺した。

切腹
介錯人が、首を斬り間違えちゃった。
ありゃりゃ。
唯七は、すでに一度首を斬られながらも、
この失敗を大きな声で叱り、二太刀目でようやく絶命した

辞世の句
三十年来一夢中、捨身取義夢尚同、双親臥病故郷在、取義拾恩夢共空

元は中国人で、孟子の子孫だというプライドです。