[ことば日本史]おごれるものは久しからず

「平氏にあらざれば人にあらず」といわれたほどの栄華を誇った平家一門も、ついには滅びる。

清盛は、源氏との合戦半ばにして熱病で苦しみながら逝き、
清盛の孫である安徳天皇も、平家一門の者たちとともに壇ノ浦に沈んでいった。

世の無常を感じずにはいられない。

そのことを「平家物語」は、このように語る。

奢れる人も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし。
猛き者も遂には滅びぬ、風の前の塵に同じ。

これは「平家物語」を貫く思想であり、
言い換えれば 「平家物語」は仏教の無常観を文学化した物語だった。

単に歴史の物語というのではなく
日本人の生き方に強く影響を与えたと思う

自分についても数々の思い当たることがある
ちょっとうまく行くとすぐに天狗になる
知らず知らずのうちに周りの人をばかにしている

しっぺ返し
その繰り返し

ああ、ああしてりゃ良かった、こうしてりゃ良かった。

でもね
この歳になると吹っ切れた

天狗になったって良いじゃないか
自分の事は大好きだから
立派な人になんてならなくて良い
反省ばかりしていると、辛くなる

あの人すごいなあ
でも、私だってすごいのさ

知らず知らずのうちにかけた迷惑があるのなら
どうぞ、言ってください。
誠心誠意謝りますから
それまでは好きなようにやらせてください

そんな生き方

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[ことば日本史] いずれをあやめかかきつばた

ことば日本史の平安時代から

いずれをあやめかかきつばた

[ことば日本史] ヌエの泣く夜は恐ろしい
で登場した、源頼政で、もうひとエピソード

頼政には以前から心にかけていた「あやめの前」という美女がいた。
鳥羽院のもとにいた女房で、頼政はあるとき一目見て恋におち、
せっせと手紙を書いたが、一度も返事がない

それを知った鳥羽院は、いたずら心を起こし、
あやめの前によく似た女官を二人呼び、三人に同じ衣裳を着せて並ばせた。
「さて頼政、このなかにお前の恋する、あやめがおるぞ、
特別にゆるしてやろう。連れてさがるがよい」

頼政はあせった。ただ一度遠くからちらりと見たことしかないのだ。
形からあやめの前を見分けることなどできない

うーん
とはいえ、ここで間違えては今まで何だったの?って話

悩んだ頼政は、歌を詠んだ。

五月雨に 沼の石垣 水越えて いずれかあやめ 引きぞわずらふ

(五月雨によって増水した池で、 どれがあやめやらわからなくなって、
引き抜くことができず悩んでいます。 )

みごとじゃ
鳥羽院は、頼政の機知を褒めて、あやめの手をとって頼政に授けた。

武将にして歌人であった頼政の文武両道に優れたことを伝えようとした伝説だろう

あやめ、花菖蒲(はなしょうぶ)、かきつばた。すごく似ています。
ウォーキングイベントやっていると、花菖蒲の季節には各所の菖蒲園に行くのが定番です。

花菖蒲と菖蒲もまた別物なんですが
あやめの伝説は、菖蒲に繋がるものと考えられるでしょう。

今も五月の節句に菖蒲湯に入るように、その剣状の葉に破邪の呪力があると考えられていた。
また一方で、それは蛇精であり女のシンボルでもあったのです。

平治元年(1159)に義朝らが反平氏のクーデターを起こした平治の乱では、
源頼政は義朝らと離反して平清盛につき、
以後、異例の出世をとげた

その前の保元の乱でも勝った側です

しかし、治承4年(1189)には、今度は平家を倒す側に回る
以仁王の平氏追討の令旨に応じて挙兵、
[源平]8 神戸に都を?
でも残念。宇治で敗死する。
七十七歳だった。
この歳で勝負に出たんだから大したもんです。

分かりました?
勝負と菖蒲をかけてみました。

ちなみに、娘は二条院讃岐
百人一首にも選ばれています。
わが袖は 潮干に見えぬ 沖の石の 人こそ知らね かわく間もなし

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[ことば日本史] ヌエの泣く夜は恐ろしい

ことば日本史シリーズ、平安時代です。
ちょっと前に、三十六歌仙シリーズの、藤原高光で
「さるとらへび」という怪物を退治した話をしました。
[三十六歌仙]28 藤原高光。さるとらへびよ、わしが相手だっ

偶然ではありますが、人物が違ってとても近い話になります。

ヌエ
近衛天皇の時代、夜な夜な、宮廷の上空を黒雲が覆い、天皇がおびえることがつづいた。
そこで弓の名手として知られた源頼政に、この怪物退治が命じられる。

はい。
今度は源頼政です。

弓は、武士のシンボルだ。
それは、武具であるとともに呪具でもある。
宮廷や貴族の屋敷では、出産、病気、天皇の入浴時など、
ことあるごとに弓の弦を引き放って音を立てる「鳴弦の儀」ということが行われていた。
その音によって、鬼や邪気を払ったのである。

宮廷で鳴弦を行ったのは、禁中の警護役の「滝口」という武者たちだった。
寛平年間 (889~898年)に設けられた役職で押領使と同じく、
武士の発展の足がかりとなったとされる。

武者のもつ「武」の呪力によって、
内裏を襲うモノノケやケガレから天皇を守ることが職務であったという。
その滝口を歴代つとめた渡辺党という武士団を郎党としていたのが源頼政。
頼政は摂津 源氏の嫡流、源氏の棟梁であった。
棟梁という言葉もこの前出てきました。

その頼政に妖怪を退治できるか否か。
そこには弓矢を取る者としての威信がかかっていただろう。

頼政は、御所の庭で待ち受けた。
やがて黒雲が現れると、すかさず、その中心がけて矢を放つ。

ひょおおおお

みごとに的中

墜落してきたものを見れば、頭はサル、胴体はタヌキ、尻尾はヘビ、手足はトラという、
なんともつかぬ奇妙な物である。

おおっ、出ました。
これは、藤原高光の時の「さるとらへび」

ここでは、その怪物に名前はないということになっていて
鳴く声が鳥のヌエ(トラツグミ)に似ていたとあることから、ヌエと呼ぶようになったという

そこから、正体不明なつかみどころのないものをヌエというようになるんです。
ぬえのような人物とか、ぬえ的存在とか

ヌエの泣く夜は恐ろしい
角川映画の「悪霊島」
キャッチコピーが「ヌエの泣く夜は恐ろしい」でした。

岩下志麻、美しいですね。恐ろしいですね

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[ことば日本史] 影武者。平将門は体が1つで影が6つ

「ことば日本史」平安時代から
いよいよ武士が台頭してきます。
平将門でございます。

史実は以前にシリーズで書きましたのでそちらを見ていただければと思います。
例えばその9
[平将門]9 あまりにもあっけなく

今日は、その平将門の乱を題材に後に作られたおとぎ話「俵藤太(たわらのとうた)物語」を紹介しましょう。

俵藤太すなわち藤原秀郷ですので、平将門を討伐した側からの話になっています。
おとぎ話ですので、そのつもりでお読みください。

影武者
天慶2(939)年、平将門は「新皇」に即位した。

翌年正月、追討軍が発する。

室町時代に書かれたお伽草子「俵藤太物語」では平将門は身長七尺(約2メートル12センチ)、
全身が鉄で、左眼には瞳が二つあった。
そして、六人の影武者がいて、同じ姿で、同じ振る舞いをするので、
誰にも見分けがつかなかったという。

都にまだ将門の計画が知られていない頃、
俵藤太 (藤原秀郷)は、将門と同盟して日本を半分ずつにしようかと思わぬでもなく、
どれほどの人物か見定めようと将門のもとを訪れた

でも食事中、ご飯をこぼして払いぬぐうのを見て、
「こりゃ駄目だ。 とても日本の主となるような器じゃない」
そこで藤太は、大急ぎで都にのぼり、宮廷に訴え出た。

「平将門が、反逆をくわだてております。私を大将に任じてくだされば、
きっと討ってみせましょう」

平貞盛も軍勢をひきいて後を追い合流、貞盛軍はいちはやく将門を攻めたが、
まるで手も足も出ない。その様子を見た藤太は考えた。

「こりゃ、とても勝ち目はないな。
しかし、智慧のないヤツだという噂だから、なんとかして、
だまし討ちにしてやろう」

藤太は単身、将門の館へ向かう。
もてなしを受けながら、 将門を褒めたたえた

お力になりとうございます。

将門は喜んで杯を交わした。
鉄の身なので、多少油断しても大丈夫。

藤太はしばらく館に逗留して様子をうかがっていたが、
その間に、美しい女房とねんごろになる。

その女房は将門のお気に入りだったので、
藤太が女房の部屋にいるときに将門がやってくることもあった。

そんなとき藤太は隠れていたが、物の隙間から覗いて見れば、
そんなときにも将門は七人いた。

あとで藤太は女房に訪ねる
なぜ七人もいるのかね

おや、まだご存じなかったのですか。
殿は、世の常をこえていらっしゃるので、御形は一人ですけど、
影が六体おありなのです。
人からは、七人に見える訳です

あなたは脚本体が見きわめられるのですか

絶対に誰にも話すようなことじゃありませんの。
あなたにだから、言うんです。
絶対に内緒ですよ

七人の御姿は、振る舞いはまったく同じですけれども、
本体だけは日や灯火に向かったときに影ができるんです。
他の六人には影ができません。
身体がことごとく鉄ではありますが
耳のそばのこめかみのところだけは生身なのですよ

よっしゃ。とうとう弱点を聞き出したぞ
弓矢をしのばせて女の部屋で待ちます。

将門がやってきて、女房とうちとけて話をしているところを、物陰から覗くと、
七人のうち、六人は灯火に照らされていながらも影がない。

そして影のある一人をよく見ると、
こめかみが動いている。

そのこめかみを狙って、ヒューッ

将門はどっと倒れ、その瞬間、六体の影も消えうせた。

将門の影武者は、本当に影のような存在だったのである。

この七つの体というのは、平将門とその子孫の千葉氏の妙見信仰と関係がありそうです。
妙見信仰とは、北辰信仰とも良い、北斗七星に対する信仰
平将門ゆかりの神社は北斗七星の形に配置されています

後に武田信玄をはじめとして
いくつか影武者の話は語られますが
元々は平将門だったんですね

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