[名僧]道昭は孫悟空の友達

名僧シリーズ

道昭
道昭は河内に生まれます。
ということは、どうしょう?ではなく、
どないすんねんワレ
ですね

一生懸命修行したのが認められ、
遣唐使とともに中国に行きます。

そこで弟子入りしたのが、なんと玄奘(げんじょう)
またの名を三蔵法師
孫悟空たちの親分ですね

とても気に入られ、一緒の部屋に寝泊まりすることも。

弟子たちに

この日本から来た人を、外国人だからと行って差別してはいけませんよ
なぜなら
昔、とても体調が悪いときがありましてね
外国人が来て、梨をくれた。
それからすこぶる体調が良くなったんです。
外国人はみんな良い人。
分かりましたか?

はーい

なかなか理由づけがシュールです。

そもそも、孫悟空たちは、国籍の問題以前に
人間じゃない気がしますが

とっても気に入られたので、玄奘から鍋をもらいます。

ありがたき幸せ。

その鍋で作った料理をみんなに食べてもらうと、病気もたちどころに治ります。
ただの鍋じゃなかったんですね。

帰国
お経をいっぱい入手し
禅の修行もして、さあ帰国だ

ところが、帰りの海上は大荒れ
強風に引き戻されて、全く前に進みません

乗組員たちは、
これは海の神が、その鍋を欲しがっているからに違いない

ちょっとちょっと、変な話を作らないでくれます?
鍋と海の神と繋がるとは思えないんですけど

みんなは納得しません。

泣く泣く、師匠のくれた大事な鍋を海にザブーン

日本の人々には、鍋での病気治療は出来なかったものの
積極的に全国を行脚して回ります。
数多くのお経を持って帰りましたので
仏教の教えを説いて回るとともに
橋をかけたり、井戸を掘ったりということまで。

お経って、インド北部から、サンスクリット語で書かれたものを
玄奘が持ち帰って、長い間かけて中国語に翻訳
それを今度は日本人が輸入して、日本語に翻訳
とばかり思い込んでおりましたが

道昭がサンスクリット語のお経を、直接日本語訳していたんですね。

日本では、南都六宗と言われる宗派のうち、法相宗(ほっそうしゅう)を興します。
法興寺で広め、隆盛を極めます。
有名な寺としては、薬師寺・興福寺などがあります
薬師寺

興福寺

火葬
道昭が初めて日本にもたらした慣習があります。
ジャーペティ(荼毘(だび))、つまり火葬です

熱心に座禅を行っており、ある時は3日に一度だけ立ち上がり
ある時は、7日に一度だけ食べる

ある日、道昭の居間から香気が流れ出る

弟子達がどうしたどうしたと居間へ行くと、
座禅したまま、息絶えていた。

遺言に従って、日本初の火葬。

親族と弟子達が争って骨をかき集めようとすると
あら不思議

つむじ風が起こって、灰と骨がどこかに飛んでいってしまいました。
そんな訳で、骨は残っていないんです。

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シロヨメナ

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家康2、感動の里帰り

前回の続きです。
家康1、人質時代。我慢我慢ひたすら我慢

普通なら、まだ成人していない14歳
結婚もできないんですが
そこはアバウトな時代
無理矢理元服しちゃえ

1月15日、元服と結婚式を同時にしちゃいます。
相手は10歳年上の強烈キャラ築山殿

築山殿についてはあまりに色んな話があるのですが
実は、また新シリーズ「大奥」っていうのを考えておりますので
そちらに譲ろうかなと思います
築山殿に関わる話はガサッと割愛。

14歳で女性を知ってしまった竹千代改め元康、後の家康
(ここでは今後、家康と表現しますね)
しかも相手が築山殿
その後の異常なまでの女好きが形成されてしまいます。

里帰り
初夏に、築山殿のお父さん、関口親永に頼みます。

一度、岡崎に里帰りし、
元服を終えた自分のすがたを郎党たちに見せてやりたいんですが。

まあ、それぐらいだったら良かろう。

人質の家康は大人になって初めて、岡崎に里帰りすることになります。

もう、岡崎では、ひっくり返っての大騒ぎ。
三河衆にとって、家康は生きる支え。

若が、若が帰ってくる

野良仕事が忙しい時期ですので、仕事をほっぽらかす訳にはいかないんですが
若が通る道端に集まり、飛び上がらんばかり。

立派になられて・・・

そんな中、急に家康に尻をむけ、こそこそと隠れたものが。
でも、家康が顔を見ちゃった。

「近藤登之助ではないか」

松平家における身分でいえば堂々たる物頭
外出の時には十数人の供に諸道具をもたせ、
戦場でも尾張衆にまで名のひびいた男

いまでは知行を駿河衆にとられ、
命をつなぐために自分が食べるため米をつくっている。

こんな姿、若に見せられる筈がない。

瞬時にその意味を察した家康は、そこに止まり出てくるのを待った

田の水で手と顔をあらい、笠をとって家康の前にまかり出た登之助に、

「憂き目を見させることよ」

このひとことで近藤登之助は声をあげ、号泣した

岡崎城へ
さあ、いよいよ岡崎城
6歳の時、あとにして以来です。

本丸には、駿河今川家から派遣されている城代で、山田新右衛門という男がいます。
とはいえ、本来の城主が里帰りしてきた訳です。

家康のほうからさきに、
「貴殿が城をまもってくれていればこそ、岡崎も安泰なのです。
私はまだ年若であり、古老たちの話もききたいゆえ、
二ノ丸をもって宿所とします」

ある夜、古くからの年老いた家臣、鳥居伊賀がやってきて、
「こちらへ候え」 と、家康の手をひくようにして外へ。
わざと灯をつけなかったから、真っ暗。

自分の城内屋敷に入り、奥の蔵の前にまで来た。
音を立てないようにして、錠を外す。
蔵の中ではじめて灯をつけた

ぱあっと、光が照らしたもの、それは。

天井にとどくばかりに米俵が積まれている
さらに、山積みにされたぼう大な青銭

今川家に絞り取られ、もはや何もない。はず

いったい

「それがしが、かようにつかまつった」と、小声で言った。
今川の城代の目をぬすんで旧領内からあがる年貢や運上金をくすね、
こつこつと貯めに貯めたのがこれでござる

「すべて殿のものでござる」
鳥居伊賀は、すでに泣き出していた。

殿が将来、帰られたあと、これをすべて軍用におつかいなされよ
これだけあればよい侍を多く召しかかえることができましょう
いつまでもこのような三河であってはなりませぬ
なりませぬ。

家康を蔵から連れ出し、静かに錠をかけた。

この年、家康が駿府へ帰ってほどなく、
鳥居伊賀は安堵したように生涯を閉じた。

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ヒメジョオン

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日本庭園は、死なない苔で決まり

日本庭園シリーズ、植物系にいっておりますが
大物を忘れてやしませんか、と


日本庭園にも思ったより前から芝が使われていたという話はしましたが
日本庭園らしさといえば、やっぱり苔

君が代に歌われている植物ですからね
日本を象徴しております。

苔ってものすごく種類が多い
世界にざっと2万種類、日本に2千種類
じめじめ日本の面目躍如ですね

苔寺と言われている京都の西芳寺だけでも100種類以上

何と言っても歴史が長い
4億6千万年前に海から地上に上がった初めての生物は苔

そして、一番の特徴は、
「死なない」

水が全くないと、枯れちゃうんですが
枯れたところで、死んでいる訳ではない。

ちょっとお休み

どれだけ経った後でも、水を与えるとたちどころに甦る

ああ、良く寝た

まさか、死なない生き物がこの世の中にあったなんて
予想だにしておりませんでした。

死なないで、増えて行って、4億6千万年
これはもう、地球上の全ての陸地は苔でおおわれそうですが
そうもなっていないところを見ると
誰かに食べられちゃうとか
天敵がいて、プラスマイナス均衡しているんでしょうね

おそらく、一番の天敵は人間でしょう
あっ苔だ、たわしでゴシゴシ

次なる特徴は
土が要らない
石だろうがコンクリートだろうが、ぴちゃっ

苔を育てようとすると、意外に大変らしくて
その場所にあった苔でないと、無理に何とかしようとしても駄目なものは駄目

でも、その場にあった苔ならば、そのあと、全く何も手をかける必要がない
4億6千万年後もそのまま

日本庭園を見るときに
古きに想いをはせて、ってな事になるわけですが
苔があった分には
4億6千万年前まで想いをはせる必要があります。
首が痛くなりますね。

日陰でしか育たないイメージありますが、
緑である以上、光合成をしている訳で
ある程度は光が必要
ちょっとだけで良いタイプと、いっぱい欲しいタイプと両方あるらしい。

(以上「日本庭園鑑賞のポイント55」より引用)




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モミジガサ

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[昭和歌謡]63 心の旅 青春の影

昭和ヒット曲全147曲の真実シリーズです。

心の旅
チューリップ
作詞 作曲 財津和夫
1973年

♪あー だから今夜だけは
君を抱いていたい
あー 明日の今頃は
僕は 汽車の中

ああ チューリップ
ビックリしました
チューリップのボーカル

心の旅が爆発的にヒットしたけど、とっても不思議。
ボーカルが財津和夫じゃなくて姫野達也。
そして、すぐあとに、まさかの財津和夫へのボーカル交替

えっ。男性でここまで澄んだ声のボーカル聞いたことない
すぐあとに、小田和正は出てきましたけど。
なぜ、財津和夫で最初から行かなかったの?

不思議で不思議で夜も眠れませんでした。

良い時代になりました。
ネットがあるので、何でも調べられます。

調べてみると、最初からツインボーカルを売りにしていたらしい
「大都会」のクリスタルキングみたいな感じでしょうか。
交替じゃなかったのね。失礼しました。

青春の影
次にちょこっとあって
青春の影
ぼくがつくった愛のうた〜いとしのEmily〜
サボテンの花

そしてまた、ちょこっとあって
虹とスニーカーの頃

ヒット曲が続きますなあ

その中でも個人的には、
「青春の影」が強烈に思い入れが強い。
ボーカルは財津和夫ね

レコードを持っていたんだけど
大好きで
おそらく人生の中で、一番口ずさんだ歌

♪君の心へ続く長い一本道は
いつも僕を勇気づけた
とてもとても険しく、細い道だったけど
今、君を迎えに行こう

自分の大きな夢を追うことが
今までの僕の仕事だったけど
君を幸せにする、それこそが
これからの僕の生きるしるし

(中略)

今日から君は、ただの女
今日から僕は、ただの男

これを聞いていた頃、思っていた。
もし自分が将来、結婚するような事があったとしたら
絶対この歌歌うぞ!

そんなに大切な歌なのに
東京に出てきて、手元にレコードがない状態
あろうことか、タイトルを忘れちゃった。
青春のなんちゃら
さらに、何を思ったか、この歌はB面だと思い込んじゃっていた。

B面で、タイトル分からないとなったら
もう二度とこの歌を聞けないかも知れない
歌詞を忘れるとえらいことになります。
結婚できません。
繰り返し繰り返し口ずさんで、絶対忘れないようにしよう。

本当に、最近です。
この歌がA面で、「青春の影」だと知ったのは。

友達の結婚式の時だって
カラオケ頼めないから
アカペラで歌った。

ところで、さっき思い出したんだけど
自分が結婚するとき、歌ってないわ
披露宴してないし。

ということで
今回は、心の旅ではなく、青春の影

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ススキ

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