[歳時記]1/31 初の路面電車開通。電車がきまっせー! 危(あぶ)のおっせー!

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なんと、日本初の路面電車は、東京ではなく、京都だった

日本ではじめて電灯がともされたのは東京だし、
地下鉄も東京ではじめて走った。

でも、路面電車は京都なんですね

京都で路面電車が開通したのは、1895(明治28)年1月31日のこと。
塩小路東洞院と伏見町下油掛間の6・4キロを結ぶ京都市電の北野線で、
翌日から正式に営業を開始。
イギリス製の1.5馬力16人乗りの電車が、時速10キロほどで走った。

当時の路面電車は事故をおそれて、
運転手のそばに 「電車の先走り」という少年を配置し、
停車のたびに前後の安全を確認させたという。

告知人という名の少年たちの仕事は、
電車と歩行者の「事故が起こらないように注意を促す」こと。
その方法は「路面電車の“前”、5間(約9メートル)以内を、
昼間は赤旗を振って、夜間は赤ちょうちんを持って走る」というものでした。

路面電車が人通りの多い区間に差し掛かると、
赤い旗を手に電車から飛び降りて走り出します。

「電車がきまっせー! 危(あぶ)のおっせー!」

こう叫んで周囲の歩行者に注意を促します。
区間が過ぎるとまた電車に飛び乗り、次の場所まで待機します。

夜間はさらにハードです。
暗くて見えませんから、告知人は赤いちょうちんを手に、
何と「全区間」車両の前を走って注意を促していたそうです。

京都といえば、歴史と伝統に彩られた街。
どちらかといえば、保守的な土地柄のイメージ。
とはいえ、幕末は京都が中心になっていたことからすると
東京と並んで最先端の町だったんですね

これに続いて1903(明治35)年には、東京でも路面電車が開通。
やがて路面電車は都市生活の足として、全国に普及していった。
ピーク時の昭 和初期には、5都市で合計1500キロもの路線網が整備され、
大都市はもちろん中小都市にとっても路面電車は欠かせない足になったのだ。

都市交通の歩み
明治以降の交通を見ると
大きく、長距離は蒸気機関、近距離は電車になる

最初から電気になった訳ではなく
明治維新後、一気に広まったのは人力車
東京に人力車が溢れかえる

その情況を変えたのが鉄道馬車
道路上にレールを敷いて馬がひっぱる貨車が走る
考え方的には、路面電車と動力が違うだけ

6人以上乗れるので、一人頭で割り算すると、人力車より料金が安くなる
人力車が取って変わられていく

でも鉄道馬車も下火になる

馬は糞をするから、臭い

で、電気の普及を待って、電車に取り変わっていく訳です。
人力車や鉄道馬車についてはこっちも読んでね
文明開花は人力車と共に

ところが、そんな路面電車にも転機が訪れる。

戦後になって車が発達するにつれて、
道路を我が物顔で走る路面電車は邪魔になり始めた

路面電車はだんだん廃止されるようになり、
それに代わってバスや地下鉄が人びとの足として活躍するようになった。

東京でいうと、唯一、東京さくらトラムと改称した、都営荒川線
純粋に自動車と同じ道路上を走っている区間は飛鳥山公園の辺りのちょっとだけ
あとは専用線になります
それでも感動もので、ウォーキングイベントにもしました

チンチン電車の名前の由来
発車する時の、チンチーンって音も健在で、涙ものです

[歳時記]シリーズはこちら(少し下げてね)

[迷信]10 朝や出かける前に縫い物をしてはいけない

朝出かける前に縫い物をしてはいけない
これ、ちょっと大変ですね

朝出かける前にボタンが取れかけているのが分かった
ありゃりゃ、すぐつけなきゃ
っていうのが出来なくなりますね

かく言う私は、出かける前にちょちょっとボタンをつけるなど、はなからできませんが

おそらく言わんとしているのは
そういう事は普段から気を配っておき
明日着る服は、前日の夜には準備してチェックしておきなさい、という事なんでしょう

教訓ものの迷信という事になりそうですが
これまた、脳科学的に言うと、それなりの根拠があるらしい

出がけに集中力を必要とする作業をするのは失敗する可能性が高いということ

人間の脳は本来、集中しづらいようにできている。

集中しすぎて周りの情報をシャットアウトしてしまったら、
生命の危険が近づいてきたときに気づかず、命を落としてしまうおそれがある。

動物の生存本能としては当然のことといえる。

緊張したり焦ったりすると、集中力のコントロールに影響する、
大脳辺縁系にある「帯状回(たいじょうかい)」という部位が過敏になってしまう。

帯状回は人間の脳を集中させすぎないようにする働きがあり、
過敏になればさらに注意散漫になるのだ。

脳の機能を考えれば、出かける間際のような時間に追われて焦っているときに、
集中力を要する縫い物をするのは得策でない

針で指を刺しちゃうかも知れないし
出来上がりがうまく仕上がらないかも知れない

集中力を必要とする作業には、適度な刺激とリラックスが重要だ
理想的な環境を整えるためにも、縫い物は前日までに終わらせておくべきなのである。

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[天皇]96-2 後醍醐天皇。建武の新政

[天皇]96 後醍醐天皇。おしまいではなかった。始まりだった
の続きです。

久々の天皇シリーズ
建武の方のシリーズと時代を合わせたかったものですから
ちょっと小休止しておりました。

後醍醐天皇

建武のシリーズで幕府が滅亡したところまで行きました。
1333年。いざ散々 鎌倉幕府の滅亡です。
そしてこのあと、
1334年。一味刷新 建武の新政、となります。

[天皇]96 後醍醐天皇。おしまいではなかった。始まりだった
では、もともと幕府を倒す事が目的ではなかったと書きました。

当時の執権北条氏が、天皇の後継問題に口を出すのが気に入らなかっただけ
主導権を握る事が目的であって、
朝廷の下に幕府がいてくれればそれで良かった。

天皇の名前って、天皇が死んでから会議で決めるものなんだけど
後醍醐天皇だけは、自分で決めた。

なぜ、後醍醐にしたか
お父さんが後宇多だったからです。

かつて、宇多天皇・醍醐天皇の親子の時期に天皇が主導権をとった政治を行えた
藤原氏がたまたまその時期、幼少でしたので
菅原道真を起用した。

あの時の再来だ!

足利高氏、新田義貞、楠木正成ありがとね
やってくれると思ったよ

さあ、朝廷を再建するぞ
そして幕府も新しいメンバーでリニューアル
新しい「朝廷・幕府体制」を作りあげるんだ

足利高氏は問います
「どんな風に?」

ちょっと待ってね、まとめるから

公家たちを集めて作ったのが「建武式目」という法律

ご存じの通り、建武の新政って短期間で潰されちゃうから
建武式目もダメダメだったんじゃないかと思われがちだけど
そのあとの足利の室町時代も、「建武式目」が基本的な憲法的存在になる、すぐれもの

まずは、朝廷の再建
後醍醐天皇は配流されたので、その時、光厳(こうごん)天皇が即位していた。

廃位ね

そして、幕府
征夷大将軍は、足利高氏?

ちょっと待ったぁ

後醍醐天皇の息子、護良親王(もりよししんのう)が手をあげた

確かに、一番最初に反乱軍ののろしをあげたのは護良親王

この辺からちょっとおかしくなってくる

色んな訴訟の判定には全部私のはんこがいるからね
「綸旨」(りんじ)というのが必要だとする

全然物理的に回らなくなっちゃう

新しい組織も続々と
鎮守府、記録所、恩賞方、雑訴決断所

足利高氏は鎮守府
新田義貞は恩賞方

そうそう、足利高氏君
私の名前「尊治」の「尊」あげるね
って事で、それ以降、「足利高氏」は「足利尊氏」に改名

ありがたき幸せ

と言いつつも
心の奥ではモヤモヤ

さあ、このあとはまた建武シリーズで

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[ことば日本史] 遠くて近きは男女の仲

「ことば日本史」平安時代から

枕草子
平安時代の文学と言えば、なんといっても両巨頭
紫式部と清少納言ですね

子供の頃は、清少 納言だと思っておりましたが
清 少納言 だったんですね

紫式部と清少納言と言えば対照的な人生
私は判官贔屓なのでに、清少納言に気持ちが寄ります。

紫式部は彰子に仕え、清少納言は定子に仕える
両方一条天皇の奥さん

定子は、一条天皇に思いきり愛されるけど
結局、藤原道長が圧倒的な権力を持つので
道長の娘の彰子がどーん

国中の超優秀な女性を、道長の権力で集めに集める
紫式部を筆頭に和泉式部等々、百人一首にある人だけでも何人いたろう

一方の定子の方は状況的には先細りなんだけど
定子自体がものすごい能力を持っている

清少納言とかを集めて
お題を出す

春と言えば?

そうねえ曙かしら
やうやう白くなりゆく山ぎはがすこしあかりて、なんて最高じゃない?

紫だちたる雲がほそくたなびいちゃったらもう、トローンよ

良いわね良いわね
今の書いておいてね、清ちゃん

清少納言は議事録係

だんだん、お題も凝ってきます。

遠くて近きはなーんだ

極楽

いきなりすごいの来たわねえ
遠いのに近い
深いわぁ

舟の道

うーん

人の中

男女の仲ね

これには一同ぐっと来るものがあったんじゃないでしょうか

定子にとっての一条天皇

遠くて遠い、かも知れないけど
そこはそう言っちゃいけない

あんなに愛されていた
おそらく今だって

遠くて近い

絶対大丈夫

近うて遠きもの。宮のべの祭り。思はぬはらから、親族(しぞく)の仲。鞍馬のつづらをりといふ道。師走のつごもりの日、睦月むつきの一日の日のほど。
(近くて遠いもの。宮のべの祭り(正月と十二月の最初の午の日に行われた祭り)。
親しく思わない兄弟姉妹、親族の間柄。鞍馬(現在の京都市にある鞍馬山)のつづらおりという道(幾重にも折り曲がった坂道)。十二月の大みそかの日と、正月の一日の間。)

遠くて近きもの。
極楽。舟の道。人の仲。

枕草子については過去にも書いたので
良かったらそっちも読んでね

こんな風に書くと、定子は素敵で、彰子は嫌な奴、ってなりそうだけど
どっこい、彰子は控え目でほんとに良い性格でね
愛されていない訳じゃないけど
定子ほどじゃない

周りに優秀な女性がいればいるほど
自分というものを考えちゃう

定子や、定子の子供を精一杯面倒見るんです。

近くにいる一条天皇を見て
彰子こそ、ずっと呪文のように唱えていたんじゃないかと思う

遠くて近きは男女の仲
遠くて近きは男女の仲

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