ケロリンは銭湯のアイドル

昭和レトロ商店街、という本を読みました。

書かれているのは、ロングセラー商品たちの
色んなエピソード

あの頃、が蘇ってきます。

まずはケロリンから

ケロリン
ケロリンを販売している内外薬品は明治35年から続く由緒ある富山の製薬会社

大きく発展したあと、大正13年に一旦つぶれている

その後再建をはかるべく、新商品開発

当時は、鎮痛剤は液体しかなかったので苦労して開発した。

またたく間に大ヒット。

やっぱり名前が良いよね

どんどん似た名前の商品が出てきます。

ケロリ、ヒロリン、ケロエス、ケロゲン、ケロール、シンケロ、ケロサンなど
あやかりたい気持ちも分からんでもないけど。

銭湯
ケロリンと言えば、風呂屋の桶ですね

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それほど銭湯には行かなかった私でさえ、
やたらに印象が強い

あの独特の黄色い色に赤い文字

一昨年くらいだったか流行った映画。
テルマエロマエってのを見に行った
大好きな阿部寛が古代のギリシャ人役
何故か古代のギリシャと現代の日本がつながっていて、
ギリシャの公衆浴場の設計技師であるあべちゃんが
日本の銭湯に感動して色々取り入れる

一番笑えたのが、ギリシャの銭湯の桶に、ケロリンと書いてあったこと

最初は内外製薬から始まったんじゃないんです

商事会社。
陸和商事の山浦社長。

風呂桶を使ってコマーシャルをできないものかという発想。
スポンサーを探して歩きまわる

結構すんなり内外製薬と独占契約が決まる。

時は東京オリンピックの前年。
町中にあったコンクリート製や木製のゴミ箱もポリバケツに変えられた時期

銭湯の桶も木の桶からプラスチック製に変わろうとしていた。

浴室で使用してもケロリンの文字が消えないように
樹脂の中にインクを染み込ませる方法も
独自に開発された。

だからなんですね
なんだかいつもケロリンの文字が鮮明っていう印象がある

大評判になる

これに気を良くした山浦社長と内外製薬の忠松さんコンビ
全国キャラバン隊を組むことになります

風呂桶の営業だけではなく、薬の営業を兼ねているので
薬自体の普及にも随分役立ちます。

キャラバン隊は多い時は12台程にもなったと言います。

そうして全国津々浦々の銭湯にケロリン桶が独占していくのです。

なんと今でも年間、4~5万個のケロリン桶が納入されているそうです。

やるぜ、ケロリン。

これでよしなに。冷えもんが通ります

「粋な日本語はカネに勝る」という、落語家さんの書いた本を前回紹介しました。
今回も、そこで紹介されたエピソードを紹介しましょう

これでよしなに
悪代官に商人がすりより、菓子の箱を差し出す

これでよしなに

底にはびっしりと小判が敷き詰めてある

おぬしもなかなか悪よのう

時代劇でのお決まりのパターンですね

せんべい
なんとそのままの煎餅を貰ったというのです。

煎餅の名前が「これでよしなに」

箱を開けると開運招来の慶長小判のレプリカ
その下に小判型の煎餅が5枚

添えてある能書きが粋

お礼心に笑いをつめてそっと差し出す慶長小判

この一行の言葉、だいぶ練りに練ったんじゃないかな

用途として
お中元お歳暮に、頼み事に、パーティーや開店祝いの記念品に
そしてトラブルのお詫びに

発売元は
大藤屋黒兵衛

歌舞伎座の売店や浅草仲見世の前田商店で売っているそうです。

もうひとつ
冷えもん
師匠の談志が銭湯好きなので
本人談四楼も暇を見つけては銭湯に出かけるそうです。

湯船で温まっている時
一人の老人が入ってきた。

洗い場にはそこそこ人がいて
その間をすり抜けながら

へい、冷えもんが通ります。

七十五、六、小柄で痩せて、背筋が伸びている。

冬場、表から来る人の体は冷えています。
皆さんがあったまっているところへ
こんな冷たい体を持ち込んでごめんなさいよ
ってことで
冷えもんが通ります。

ずっと昔はそう言うのが礼儀だったらしいですが
談四楼も耳にするのは初めてだったそうです。

見事です。
惚れます。
これ以上の粋があるでしょうか
いつか、こう言って様になる人間になってみたいと思います。

天英院と月光院、あな恐ろしや大奥女のバトル

徳川将軍シリーズ、6代家宣、7代家継親子の番外編
女のバトルでございます。

正室と側室
家宣はやはり正室を宮家からもらいます。
天英院です。

ただ、この後ずっとそうなんですが、
宮家からもらった正室から次のお世継ぎが生まれた事は
ただの一度もありません。

ここも例外ではなく
家継は、側室の月光院から産まれます。

恐ろしいですね。
ここから、バトルが始まります。

お互いに一歩も譲らぬ互角の戦いです。

バトル
天英院は正室。
位も申し分ない宮家。
2ポイント先取ですね

一方の月光院、側室とは言え
なんと言ってもお世継ぎの母親
まず1ポイント返します。

そして次なるポイントは
何故家宣の手が付いたかを考えると分かります。

美貌ですね
でっかい1ポイントですね

家宣が生きている間は完全に互角でした。

家宣の死後
家宣の死後、バランスが崩れます

正室ポイントが弱くなって、
ぐぐいっと月光院側有利になっていきます。

そこに間部詮房(まなべあきふさ)の存在が絡んできます。

子供将軍家継のお父さんがわり

月光院ととても仲が良い。

男性は入ってはいけないはずの大奥になぜかいたりします。

これは、月光院にとって強みのようなんですが
実は弱点だったりします。

この事に呼応するように大奥の風紀が全般的にゆるーくなっていく

そして、事件が起こります。

絵島生島事件
月光院の右腕の絵島。
総取締役です。

ある時、月光院の代わりに、増上寺にお寺参りをします。
言わば公務。
ぞろぞろと100人ほど。

その帰り道に、山村座に芝居見物に行きます。

公用車で湯河原に行った感じかな

禁じられてはいるんですが、見張り役の武士に付け届けが渡り
まあまあまあ、って感じ

ここまではまあ良かったんだけど
元々、絵島は、人気役者生島と仲が良かった。

芝居のあと、ちょっと個人的にお会いして
そこで、ちょっと時間がかかっちゃった。

さあ、そこで何があったのかは
闇の中なのですが。

結果として、門限に間に合わなくなっちゃった
暮六つから2時間遅れる。

開けて!
絵島よ。後生だから。

月光院から手が回ってその日は入れてもらえます。

ところが、その3ヶ月後、天英院の耳に入ります
天英院として絶好のチャンス。
一矢報いるには、この風紀ってテーマしかない。

現象的には門限に間に合わなかっただけのことですが
大奥史上類を見ない大事件へと発展します。

天英院としてはこれを足がかりに月光院派の息の根を止めたい。
門限破りや、禁止されていた芝居見物ぐらいのことでは
息の根を止めることができない。

狙うは密通。
絵島と生島の密通。
大奥の女性は将軍以外とは交わってはいけない。
って言ったって、将軍は子供なんですけどね。

そして、一番の本丸は
月光院と間部詮房との密通。

生島が石抱きの拷問。
情交を自白します。

絵島は、うつつ攻め
三日三晩一睡もさせずに尋問する。

何とおっしゃられても、私、嘘は申しませぬ。

最後まで否認し続けます。
月光院と間部詮房との密通に関しても、口を割りません。

結局、連座するもの1500人と言われるほど、大疑獄事件に発展します。
山村座は取り潰し。
絵島は死罪。
月光院派の女中15人が処罰。
月光院や間部詮房に対しては、自白を得られなかったため、追求できなかった。

なんとかお願いいたします。

月光院は下げたくない頭を何度も下げて
絵島の死罪だけは勘弁してもらいます。

信濃国高遠藩への遠流。
囲い屋敷から一歩も出させてもらえない。
食事は一汁一菜、朝夕の二食のみ。
書を読むこともだめ、筆紙さえもだめ。

それまでに暗誦していた法華経を唱える以外
やることのない一生を過ごすことになる
33歳から28年後に病死します。

とどめ
天英院として、高々に勝利宣言をするのは
とどめの一発が必要です。

跡目争いへの勝利です。
家宣死後、4歳の家継になりますが
元々病弱。
最初から、次をどうするか考えておかねばなりません。
徳川宗家が途絶えてしまうのはほぼ確定。
御三家へと移らざるを得ません。

天英院が押すのは紀州の吉宗です

結果は皆さんご存知の通りですが
途中に大変不思議な事が起こります。

このあたりのことは、次の吉宗の時にお話しましょう。

オバマ大統領演説(全文)を読んで

オバマ大統領の演説全文を読みました。

こんな良いニュース、なかなかあるものではない。

涙を浮かべる被爆者を抱擁したり、自分で折った折り鶴を捧げたり。

いい演説です。

2回読み返しました。
ブラウザからコピーして保存しました。

色んな政治的意見があるのでしょうけど
全て通り越している。

ぜひ、安倍首相にも真珠湾に行っていただきたい。

水に流す
水に流す。

日本にはとても良い言葉がある。
忘れるのではない。
演説にもあるように
思い起こす。
次に間違いを起こさないために。

でも、水に流す。

水に流すために
お互いに訪問する。

知ってはいる。

私は、修学旅行で長崎の原爆資料館に行った。

実際に行くと
やっぱり違う。

真珠湾の記念艦にも行った。

その時、連れて行ってくれた人が言っていた
ここは、観光地ではない。
記念写真は撮らないで欲しいと。

日本人が広島長崎に特別の思いがあるように
アメリカ人は特別の場所

戦地の中のひとつではない

知っていると感じるは違う。

それを、オバマ大統領はやってくれたのだと思う。

ケリーも、その前のカーター元大統領も。

演説
演説の中の文章全て好きですけど
エピソードを言ったくだりが、とても良いなと思いました。
そのまま引用します。

われわれは過去の過ちを繰り返す遺伝子によって縛られてはいない。
われわれは学ぶことができる。
われわれは選択することができる。

われわれは子供たちに違う話をすることができ、
それは共通の人間性を描き出すことであり、
戦争を今より少なくなるようにすること、
残酷さをたやすく受け入れることを今よりも少なくすることである。

われわれはこれらの話をヒバクシャ(被爆者)の中に見ることができる。
ある女性は、原爆を投下した飛行機の操縦士を許した。
本当に憎むべきは戦争そのものであることに気付いたからだ。
ある男性は、ここで死亡した米国人の家族を探し出した。
その家族の失ったものは、自分自身が失ったものと同じであることに気付いたからだ。

いつまでも
いつまで、うだうだと
って感じもあるにはある

日中韓なんて、いつまでって

逆に言うとそれが戦争なんだろうと思う。
国っていう単位では、勝ち負けができて
経済的に追い込まれていたのでやらざるを得なくて
みたいなことがあるんだろうけど

ずっとずっと引きずってしまうものなんだという事

だから、戦争しちゃいけない。
もう、こころから、感じて誓う。

でも、過去にしちゃったのであれば
もうええやないですか
とかではなく

真摯にお互いを理解しつつ
水に流す。