ノンプログラミング、コンペの結果は?

ノンプログラミングで、コンペに参加するところまで話しましたね

コンペの作戦会議
大きく言うと、シフト管理のシステム
他社は、シフト管理のパッケージのようなものを持ってきて
わが社は、シフト管理に明るいですよ
とアピールするだろう

持ち時間は20分

同じ土俵に乗っては勝ち目はない

お客さんは元々はエクセルでシフトを作っているんだけど
あまりにも煩雑で作成に時間がかかりすぎている
今作っているシフト管理のExcel はもらっている

よし
20分で、このExcel を取り込んで
画面になるところまでデモしよう
予め作ってあると思われては困るので
さらに、Excelのどこかのセルの色を変えてから
再度取り込む

このノンプログラミングは
見ていただいたように
お客様の目の前で、
瞬時に画面を変えることができます。

この一点に絞ろう。

当日
どうでしょう
どんな色にも変えられますけど
ピンク?
はい分かりました
ついでにここの文字をもっと大きくしてから取り込んでみましょう

おおーっ

感嘆の声が上がりました
作戦はズバリ的中です。

われわれがお持ちしたのはパッケージではありません
お客様の要望をできるだけ忠実に素早く取り込むための仕組みです

パッケージを購入して、果たして満足ができるでしょうか
パッケージはこうなっています。
ですから、業務もこれに合わせてください
われわれは、そんな考え方が大嫌いなんです。

打ち合わせ
後日ご注文をいただけました。

はじめてのかなり大きめの注文です。

当初考えていたより、細かな要望がいっぱい出ましたが
打ち合わせのその場でExcel を修正しては取り込み
を繰り返して仕上げていきました。

みんなが
事業部のみんなが私の作ったノンプログラミングを使ってくれる
隣の人も、その隣の人も、向こうの人もあっちの人も
画面には全て、そのノンプログラミングの画面が出ている
こんな幸せな事があるだろうか

ずっと、土日に一人で組んできた
そのノンプログラミングが、今ビジネスとして展開されている

反対派も確かにいる
いるにはいるがそんなことはどうでもいい。
正直じっと待っていれば、自分から一人やめ二人やめしていく

チーム
ノンプログラミングを使って業務を作っていくひとが5~6人
エンジン自体を作るひとが私を含め4~5人
営業さんが技術と同じくらいの人数

特にエンジン自体を作る仲間
今までずっと一人で組んできた
仲間ができた

とても楽しい仲間
次は仲間に関する話から続けていきます

東栄町の城山に行ってきました

昨日、東栄町のお葬式の話をしましたね

今日はその翌日の話です。
地図
山の中ですので、とても寒い。
古い家なので、すきま風は自由自在に行ったり来たり
普通に泊まると凍え死ぬので
防寒対策は大がかりになります。

頼りの男手はもういないので
4人も泊まるのはご勘弁
ということで
カミさん以外は旅館に泊まることになりました

千代姫荘
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これも町役場の作った施設です。
早い話が、町で一つくらいは無いわけには行かない施設で
誰もやりたがらないものは、町役場が経営するってことなのでしょう

当然我々だけの貸し切りです。

でもきれいな旅館でしたよ
食事もとても美味しかった
山の幸がふんだんで
鮎の甘露煮も絶品でした

布団の上げ下げも自分
大浴場の証明も自分でつけないといけませんけどね

あくる日は帰るだけですけど
飯田線は、9:40発を逃すと、11:56発しかありません
娘は、どうしても9:40発に乗りたいようです。

せっかく来たのでゆっくり観光してから帰りたかったんですけどね

念のため
風呂にいくとき
フロントの職員さんに
近くで一時間くらいで行って帰ってこれるような
散策スポットはあるでしょうか

大体こういうことを聞くと、
さっと周辺地図が出てきて親切に教えてくれるもんですが

車ですか?

いえ、徒歩です。

歩くんですか
うーん
これこれこうで・・・

ああやっぱり一時間じゃむりだな
じゃあ、城山
どこどこを越えた左に入る坂を入って・・
あっと、違うもうひとつ先かなぁ
すみませんねぇ
ずいぶん行ったことがないもんで

はい
大体分かりました
調べてみます。


朝早く6時に起きれば何とかなるかも

朝食は8時、タクシーが9時

6時に起きました
辺りはまだ暗いままです。

早すぎたか

30分待って、そろそろかな
出発だ
昨日の職員さんがいたので
行ってきますね

ドコモも頑張ってくれました
昔は東栄町全域圏外でしたが
今は電波が入ります。

グーグルマップで調べながら
あの辺かな?

朝焼けがとても綺麗でした
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キョロキョロしていると
横にすぅーっと
軽トラが止まりました
途中まで乗せて行きましょうか
さっきの職員さんです。
気になって来てくれたようです。

こういうところですよね
これが東栄町
旅館という範疇での接客にはハテナがつくとしても
そういうことじゃないですね

ただ、東栄町のひとりの人なんですね

昔は歩いてしか来れなかったんだけどね
あっ、ここまで車で入っていける
後は徒歩ですね

はい
ありがとうございました
大変助かりました

設楽城跡
なぜ城山と言われているかが分かりました
この山に設楽城というお城があった。
お城といっても大阪城のようなお城ではなくもっと昔の時代の山城
平安末期から鎌倉初期

敵の侵入を防げるように堀切があったり、土塁があったり
本丸は断崖の上にあり敵が侵入できないようになっている

以前、古道研究家の宮田太郎さんのイベントに出たとき
感激したけど
宮田太郎さんだと色々解説してくれるだろうなあ
かなりちゃんと跡が残っている
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断崖といっても岩肌が見えているような断崖ではないんだけど
かなり急激な坂
転がり落ちると命はないでしょう
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遊歩道と、矢印が書いてあります。
行ってみましょう
森の中を進みます。

喪服と革靴しか持ってきていないので
そのスタイルで歩いています。

どうかこれ以上険しいところに入っていきませんように!

途中、道が二股に
さあ、来ましたよ人生の分岐点
私の浅い登山経験によると
ここで間違うとえらいことになる

右だっ

尾根づたいの道に出ました
両側がかなり急激な坂
おおおっ
さすがは山城
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途中、遊歩道、と書いてある看板が出てきました
よかったー、間違ってなかった
先に下に降りていく階段
やったーっ大きな道に出たっ
冒険終了

時間にして30分
今から歩いて帰ると7:30過ぎには旅館につけるでしょう
理想的!
来て良かった

こはぜ淵
目の前が旅館
もう少し時間があります。
もったいない

こはぜ淵→、という看板がありました。
ちょっと寄り道しよう

カッパの伝説がある場所で
滝とまでは言わないけど
若干の落差があって、とても良い感じ
ここのカッパはとてもいいカッパで
川で溺れるひとを助けてくれる
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その先にあったのが金淵
深緑の良い色
子供たちが水泳で遊ぶ場所
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カミさんが小さい頃、
泳いでいたのはここではないけど
似たようなところ
ああ、こういうところで泳いでいたんだなあと
感慨深い

帰って7:30過ぎには着けた
やっぱり行って良かった

どこ行こう、そうだ!おでかけマップ

東栄町のお葬式は、とてもちゃんとしていた

カミさんのお父さん(東栄のおじいちゃん)が一昨日亡くなりました。

カミさんは亡くなったあとずっと来てますが
私は告別式に合わせて今日東栄町に来ました。

東栄町は愛知県ではありますが、もうちょっと先が静岡
さらにもうちょっと先が岐阜県という山岳地帯です

出棺は、12時なんですが
何せほぼ2時間半に1本しか電車がありません
9:59着で東栄に着かないといけません
朝4時に起きて、5:06清瀬発に乗る必要があります。
ギリギリ間に合いました。

おじいちゃん
良いおじいちゃんでした。
寡黙だったけど、いつもニコニコしていた印象しかない

家の天井のハリにロープを通して子供用の椅子をくくりつけ
孫に即席のブランコを作ってくれる
そんなおじいちゃんでした。

田舎の人なので何でも自分でやっちゃう
一番すごいと思ったのは、浴室を自分で作っちゃったこと
タイルを一枚一枚ペタペタ張っていって、とうとう浴室全部を作っちゃった

カミさん
今回、カミさんをかなり見直しました。
おばあちゃんの代わりに、
お姉さんと一緒にセレモニーの切り盛りを何から何まで
気配りがすごかった。

あの人、どこの嫁さんやろ、ってぐらい

お葬式
はじめてでした。
こんなお葬式を経験したのは
田舎のお葬式なので、規模的にはたかがしれています
盛大って訳じゃないんだけど
色んな事を省略せずにちゃんとやる

取り仕切ってくれたのは、東栄セレモニー
経営母体は東栄町
要は、町役場です。

良いところに目をつけました
じいちゃんばあちゃんしかいませんから

出棺
霊柩車に棺を乗せて
先頭を霊柩車が走り
その後ろを車でゾロゾロとついていく

普通の光景
の筈ですが
考えてみれば
この事自体最近あまりやらなくなってませんか?

斎場
四方を山に囲まれた斎場でした
斎場に着いて、
お坊さんがお経をいっぱい唱えて下さり
その間にお焼香

その中での細かいしきたりも
これは、もう今では東栄町しかやっていませんというものがありました。

それが終わって、棺を火葬場へ
ここで、三河地方では、東栄町しか残っていないってものを体験しました
参列者全員に何らかの役割が割り振られます。

私は、棺を押していく役
長女は、遺影を持っていく役
次女は、お米をもったやつをお盆に乗せて持っていく役
みんなが何らかのものを持ってゆっくりゾロゾロと行列していきます。
棺は一番最後

歩き出す前に、長い棒の先に、花が着いた篭みたいなものを持っている人が
ザザザッと振ります。

そうすると、色とりどりの紙切れと一緒に小銭がいっぱい地面にばらけ落ちます。
ちっちゃな子供が寄ってきて、小銭を拾って帰るという儀式。
たまたま、ひとりもちっちゃな子供がいなかったので
長女や次女も拾い役をやりました。

親戚のお年寄りが小さい頃の話をきくと
お葬式があるという話を聞けば出向いていって
小銭を拾い
駄菓子屋に行って駄菓子を買うのが楽しみだったとのことです

次女は
帰りの交通費くらいにはなったよ

火葬場
隣の建物ですからそれほど時間はかかりません
行列は火葬場へ

棺に生花を入れます
さらにここでも、東栄町しか残っていないという
赤い房を使った儀式

そしてその後棺の窓を開けて、最後のお別れ
これ、だめですね
それまで、気丈に振る舞っていたカミさんの目も
涙でいっぱいになりました

私ももらい泣き
自分の母さんの時も思い出しちゃいました。
あの時は後から後から涙が出てきて
自分でもビックリした。
肩を震わせ、声を上げて泣いてしまった。

お骨あげ
お骨になるまで、待合室で会食
2時間かかります

今はどこの火葬場でも、もっと早く終わるらしいですけど
じっくり待ちます

2時間後にみんなで集合してお骨あげ
二人一組になって骨を箸で一緒につまみ
お骨の箱まで持っていく
喉仏と言われている骨を乗せ
頭蓋骨で蓋をして、おこつあげはおしまい

生きていた人が
そのままの形で骨になってくると
ああもう戻ることは本当にないんだなあ、と思いますね

再び
お骨あげも終わったので、もう終わりかなと思うとそうではありません
また、斎場に戻り
お骨を前にお坊さんがお経

みんなにお経集が配られ
お経を一緒に唱える
最初は般若心経
出ました、般若心経
最初の時のお経は全く何がなんだか分からなかったけど
般若心経なら全部分かります

それ以外にも色々お経があって
その間にまた、お焼香

最後に東栄セレモニーの人にバトンタッチして
また、般若心経
般若心経を二回も唱えることが出来ました。

お寺
それが終わると、もう辺りは暗くなっています。
さすがにもう終わりかと思うと、いえいえどうして

今度は、みんなでお寺さんへ
お骨を持っていきます

そこで、位牌堂に入り
ご先祖様代々の位牌を前に持ってきてご報告
ここでまた、般若心経
そのあと、みんなでご焼香

そして和尚さんが
ユーモアを交えて楽しいおしゃべり

ようやく家に戻ります
PM7:30
我々はこれで終わりですが
喪主とカミさんたちは
生花を持って
ご近所にあいさつまわりです。

いやあ、すごかった
朝から晩まで、ずっとお葬式でした。

ぐったりではありましたが
どんどん簡素化されているお葬式ばかりしか経験していない私としては
言葉で言うのは難しいし
あまりに大変なので、どんどん省略されていくのも
当然分かるんですが

あくまでも感覚としてです

こういうのも、いいもんですよ

飛脚は走るよ、今日もまた

江戸の文化シリーズ
今日は、飛脚です。

飛脚
江戸時代に発達した飛脚は、3つに分かれます
幕府が公用に使った継飛脚(つぎびきゃく)
大名が使った大名飛脚
民間で利用されていた町飛脚

江戸末期には、北海道から九州までネットワークを広げ
全国展開の大企業になっていました

宿場町で飛脚から飛脚に手紙をバトンタッチして
運ぶ、駅伝のようなシステムです。

値段
例えば人形町から神田までというような近距離であれば
25文(225円)とかなりリーズナブル
ただし、江戸から京都までというような遠距離だと
8両(48万円)もしたということですから
とてもとても普通には使えませんね

速さ
気になるのはスピード
江戸京都間を
普通便で90時間、お急ぎ便で82時間、
「無刻」と言われる超特急便なら60時間で運びました
二日とちょっと
昼夜ぶっ通しで走ります。
時速7.6kmの超高速です。

那珂与次郎
秋田藩お抱えの大名飛脚、那珂与次郎(なかよじろう)
ものすごく早くて
秋田ー江戸間を通常6日かかるところを3日で走り抜けた

急ぎの用事は与次郎に頼め

あんまりみんなが与次郎与次郎っていうもんで
妬みを持つ人も出てきます。

あんな早い筈がない
与次郎は人間じゃなく狐に違いない

よし、証拠をつかんでやる
と、油揚げとかを置いて
狐に仕掛ける罠をしかける

与次郎は、その場所で罠に気づく
御用の飛脚に罠をしかけるなど不届き千万
どうしてくれようと逆に証拠をつかむべく近づいた瞬間

網にかかってしまいます
もはやこれまで
せめてこの手紙だけは届けぬわけには行かない

呪いの言葉を吐きつつ、手紙を放り出して死んだ
するとどこからともなく子狐が現れ
手紙をくわえると、一目散
仲間同士でリレーしながら期間内にちゃんと目的地まで手紙を届けた

そんな与次郎伝説がある秋田の与次郎稲荷神社というのがあります

そして、今、その地域に
可愛いキツネのよじろうご当地ゆるキャラが大人気だそうです。

不思議
ずっと不思議に思っていました
なんで走るの?

電車は無いにしても
馬だってあるし、船だってある
走るのは遅いでしょう


馬に関しては、結論的に言うとあるにはあった。
でもほとんど使われなかった。
コスト面が会わなかったようです。

むしろ、鎌倉時代には馬を使っていたみたいですが
江戸になると馬より人が使われるようになっていった
馬代、餌代などコストがかかりすぎる

もうひとつの理由がすごいと思うんですが
速さがほとんど変わらないから

馬は夜は走れないけど
人は夜も走る
とすると、ほぼ変わらないらしい
そうしたら、コストのかかる馬を使うこともない

三つ目には、馬が使われなかった理由というより
実は、隠れて使われていた。

そもそも、馬って、武士以外は乗ってはいけない
特権的なものです
じゃあ、馬ってどういう使われ方かというと
思い荷物を乗せて引いていくもの
牛と同じ使われ方です

ということなので
特別な馬以外は
もともと人より遅い。


先程の話ですが
人より遅い馬が使われる場合というのは
不真面目な飛脚の場合です。

実際に、馬に手紙を乗せて
煙草をふかしている飛脚が描かれている絵があります。

どれくらいが昼夜走り続ける真面目な飛脚だったのか
そんな資料は残っていませんので、分かりませんがね


次に船ですが
結局、何だかんだで、人が走るのとあまり変わらないらしいです
すごいですね。人。
あと、船は天候に左右されやすいということもあるんだとか。

ところで、これも疑問だったんですが
江戸時代、船はすでにかなり使われていたはずなのに
江戸と上方の間でやり取りされていたのは荷物だけで
人の交通手段として使われなかったんだろう

これに関しては、全くダメということでもないけど
ほぼ禁止に近かったようです。

理由は、海外に逃げちゃうかも知れないから。

幕末のドサクサになると
それなりに、幕末の志士たちは、船を使ってますね
特に坂本龍馬は船を扱えますからね

鳥羽伏見の戦いで、徳川慶喜が大阪から江戸に逃げ帰った理由は
複合的な理由ではありますが
ひとつには
慶喜は、船に乗ってみたかったんじゃないか、という説がある
あの人の性格からして分からんでもない。