多摩市を歩く、の続き

多摩市を歩く
の続きです。

関戸古戦場
旧鎌倉街道にやってまいりました。
鎌倉幕府を滅ぼすべく、分倍河原の戦いで勝利した新田義貞軍
敗走する幕府軍を追走して、多摩川を渡り
関戸の地で激しい戦いが行われます。

ここ関戸古戦場

失われた多くの命を弔うためのお地蔵様
安らかにお眠り下さい

横溝八郎主従の墓

大将である北条泰家も関戸付近で討たれそうになりますが、
横溝八郎が奮闘します

ここは私が。お逃げなされい

敵を次々と射落とし、討死します。
墓はなんと個人のお宅の中
代々守ってくれているんですね
道側からパチリ
ネットで見ると、奥にこういう祠もあるようです。

無名戦士の墓



戦場には死体が転がっていて、それが誰のものなのか、
ひょっとするとどちら側なのかも分からない、名もなき戦士
それをまた、名もなき一般の人が哀れに思って、弔うための墓を立てた

歴史的価値というとないんだろうけど
ずっとそれを残している
ちょっとした崖の上なので、階段をつける必要もある
私が通り掛かった時もひとり、階段を登って手を合わせていた。
真新しいお酒も2本添えられていた。
すぐそばに、小山商店という大きな酒屋さんがあるんだけど
ひょっとして日課として、お酒を供えているのかも知れない

「私がですね」って言わない人たちの気持ちの連鎖です。

関所跡
関戸、の地名は関所があったから
その関所跡が発掘された

こんな感じで北と南に、連続して杭が打ち込まれた
ここは、南側の熊野神社の場所

通すもんか

■熊野神社

東京で唯一、意富加牟豆美命(おおかむずみのみこと)という桃の神様を祀っています。

聖蹟桜ヶ丘の名前の由来
聖蹟桜ヶ丘の名前の由来となった場所に行こうと思いましたが、ちょうどお昼
腹ごしらえをしましょうか

中華屋さんがあったのですが
店舗が有るような無いような不思議なお店

こんなテラス席の前で、食券だけ買って、順番を待つシステム

よっぽど美味しいんでしょう
40分待ちとの事
やっぱり結構です。

この判断が大きな間違いでした。

桜ヶ丘公園に向かうのですが、食事するところもコンビニも無い無い
サンドイッチマンの気持ちが良く分かります。

結構かかってつきましたが、案内図を見るに、売店らしきものがない
うわあ、こりゃ広い

公園と言っても、平地ではない。
山です。
普通なら、よっしゃあ、となるところですが、腹ペコ

根性!
ここでくじけては、でーこんの名がすたる



ここがなぜ聖蹟という名前の由来かというと、
明治天皇がここを気に入って何度もうさぎ狩りにやって来たから
聖蹟とは天皇の訪れた場所という意味です。

さあ、明治天皇のつもりになって山へ入っていきましょう。

こりゃすごい。
けっこうきつい
ここをおそらく自分の足で登ったんでしょう。
しかも何度も。
えらいっ

着いたあっ

頂上に「旧聖蹟記念館」があるはず
とは言え、GoogleMapによると例によって「臨時閉館中」とある
外観の写真だけでも撮りましょうかね

五賢堂というのもあった。中国のとっても賢い人5人って事かな

旧聖蹟記念館

5人くらいの団体さんが、入口へ向かっていった

やってませんよ
教えてあげようとついていったら
中に入っていっちゃった
あれれっ

検温お願いしています。

あっ、はい

ピッ
大丈夫です

有り難き方向での勘違い。

あっちゃー
どでかい明治天皇の騎馬像

でも残念。館内撮影禁止
あまりに素晴らしいので、こういうときは、ちょいとネットから写真を引用

五賢堂の意味も分かりました
三条実美、岩倉具視、木戸孝允、大久保利通、西郷隆盛の5人です。

対鴎荘(たいおうそう)という三条実美の別荘の模型もありました。

元は、台東区の白髭橋のふもとにあって、以前ウォーキングでその跡地にも行ったのですが
建物はこの聖蹟桜ヶ丘に移築されたそうです
でも老朽化で取り壊し、今は模型だけです。

分かったのは、ここは明治天皇が気に入って何度も訪れましたが
大正天皇も昭和天皇も何度も訪れているということ
みんなこの山をちゃんと登った訳で偉いなあ、と思います。

歌碑

明治天皇と昭憲皇后の歌碑です。

お腹がすきましたので短めで切り上げましたが
また、弁当持参で来たいと思います。

[お出かけ]シリーズはこちら(少し下げてね)

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