ポップコーンいかがっすか~

今日は、お手伝いです。

ゆうやけ市
ちっちゃい子供がいっぱいいるところがあります。

阿佐ヶ谷にあるホームなんですが、ちょっとしたお付き合いがあります。
阿佐ヶ谷で、ゆうやけ市という、商店街のお祭りがあり
そのホームもゆうやけ市に出店するということで
お手伝いしましょうか、という事になりました。

行くと、まずは、会場のいくつかに、
駐輪禁止の貼り紙をして回るとかの、ちょっとしたお手伝い。

その後いよいよ、出店です。
ポップコーンと、フランクフルトを売ります。

何人か、若くて可愛い保育士さんがいます。
いつもは、子供たちのお世話をしているこたち。

ほぼ娘と同世代です。

おじさんにもおんなじぐらいの娘がいてね

なかなか、日頃娘にはかまってもらえないので
頑張って声をかけます。

何、このおじさん、と思ってるでしょうけどね。

フランクフルトとポップコーン
フランクフルトは1本100円
ポップコーンは2種類作って、紙コップにちょこっと入れたのが50円
フタ付きの立派なタンブラー(保温の出来る大きめのコップ)に入ったのが、200円
タンブラーごと持って行っちゃってくださいという事です。
もらい物らしいので値段は分からないらしいんですが
100円では買えないと思いますがね。

実は、最初タンブラー付きを100円で売ろうとしていたのですが
理事長さんが、みんなで楽しく売りたいので
あんまり早く完売しても売る商品がなくなっちゃうからという事で
200円からスタートしましょうとなりました。

ダメだとなったらすぐ100円に値下げしましょうね

販売開始
さあ、スタートです。

ポップコーンいかがっすか~
このタンブラーそのままついて200円ですよ~

私だけが声を出します。
日頃保育士さんやっているお嬢さんたちは無言。
何、この知らないでしゃばりおじさん、と思ったでしょう

あれれっ?

全然売れません。

フランクフルトはいくつか売れたんですけど
ポップコーンは50円が2つ売れただけ。

施設長さんが、こりゃ売れる気がしませんね。
100円に下げましょう。

早々と判断。

ポップコーンいかがですか~
危機感が出てきたんでしょうか。

ひとりのお嬢さんが声を出し始めました。
すると、その横の子も、またその横の子も

もちろん、100円にしたのが一番大きい訳ですが
売れ始めました。

当たり前ですね
変なおじさんが売ってるより、
可愛い女の子が売ってる方が売れるに決まってます。

こういうのって、いつ殻を破るかというきっかけ。

売れるにこしたことはないですけど
はっきり言って、いつも子供の世話で追われている職員さんの
非日常を作ってあげる、いわば思い出作り。

あの時、頑張って一緒に売って楽しかったよねえ、
って、職員さん同士が一体感を持てるようになれれば万々歳。

そのためには、最初、躊躇していたけど、私にも出来るんだ
みたいな、殻を破った快感がとても大切。
私みたいな、一緒に仕事するわけではない見知らぬおじさんは
きっかけのキューだけ出して帰ってくればいい。

結果どれだけ売れたかは関係ない。
最初の目的は地域に受け入れてもらうため、
という、上が決めた義務的なものだけど
せっかくなら楽しまなきゃね

美味しかった
そろそろ、フランクフルトも値下げしなきゃあってことで
50円に値下げすることになった。

もうそろそろ帰る時間かなと思ったので

じゃあ、100円の間に1本下さい。
はい。
ケチャップとマスタード両方つけてください。

大きな声で
ああ、美味しいなあ。
これで100円は安いなあ
と言って、値下げに突入。

あと、タンブラー付きのポップコーンも1つ。
じゃああとはよろしくね

また、いつでも、呼んでくださいね。

東栄町。あんたが言うただもんで、打出の小槌買っただよ

カミさんから新しいちっちゃなネタを仕入れたので
久々に東栄町ネタでございます。

おじさん
カミさんの子供の頃の話です。
夏の暑い日、毎年一回、かごをしょったおじさんがやって来ます。

東栄町のおばあちゃんの言葉で言うと

毎年毎年、おじさんが、しょいたご、しょって来るだに

おじさん、汗だくになって来るに
可哀想だもんで
冷たいお茶を出してやるに

おじさん喜んで、お茶飲みながら色んな話をするだら

ほしたら、あんた(カミさんが小さい頃の事です)が
可哀想だから、買ってやりん、買ってやりん言うもんで

しょいたごにはいろんなもん入ってるんで
この、打出の小槌買っただよ

すごいっ
最近ふとした事でこの話をカミさんから聞いて、大爆笑してしまいました。

おばあちゃんは、その打出の小槌を見るたびにその話をするそうです。

夏になると来たでしょう、とカミさんは言うんだけど
それ、いつの時代のことを言うとるのか
少なくとも私の小さい頃、兵庫県の西宮や加古川で
行商のおじさんがかごしょってやって来ることはありませんでした。

しかし、打出の小槌が入っとるというのは
どういう品揃えやねん
何屋さんそれ

そいでもって
そこから打出の小槌をチョイスしたのは
そりゃまた、どういうセンスをしてんねん

カミさんは言います

いや、かごは丸じゃないよ
四角い柳ごうり見たいなちゃんとしたやつ

それ、丸か四角かはどっちでもいいけど

毎年おじさん来て
買うたげたのは、打出の小槌ひとつかいっ

それいくらぐらい?

300円くらいかなあ
そんなに大きくない

どうやって生計立ててんねん

飯田線
聞くと、おじさんは飯田線に乗って山超えてやって来るらしい。

ひと駅ごとに降りては売って回り
飯田線に乗って次の駅に行く

飯田線は2時間に1本しか電車が無いから
最低2時間はそこで頑張らないといけない

暗くなって帰れるとは思えないんだけど
湯谷温泉とかに泊まるのかなあ

カミさんが言うには
子供の頃は、飯田線の電車のドアの近くには
いっぱいしょいたごが置いてあったらしい
だんだんその数が減って行って
しょいたご減ってきたなあと
おばあちゃんと言い合っていたらしい

ほんとに昭和40年以降の話なんだろうか

五十肩、今度こそ治ったよ宣言

昨年なっちゃった五十肩。
治ったかも、と言ったり
やっぱりダメだったと言ったり

ややこしいわっ

満を持して、この宣言

治ったよ宣言
良いでしょう。今度こそ。

何でかというと、アルバイトを2日間やれたから。
不安だったので、結構迷ったんですけどね

どうして治したか
問題はここです。

五十肩のコラムを書いた時、色々調べると
一年経てば自然と治るケースが多い。

その時いただいたコメント読んでも
一年経つと自然と治ったよ、っいうのが多かった。

まあ、そうなのかもと思いつつ
それじゃ面白くないよねって思った。

色々やってみて、こうすれば五十肩は治るよってノウハウを得たかった。

最初の頃は
いろいろやりました。

大きな方向性としては、
動かさない、より、積極的に動かす、なんだろうなと。

これ良さそう、と思ったのが

いてっ、という所まで肩を上げる
そのままの姿勢でいる
その内痛みが和らぐ。

これを繰り返す。

なぜ治ったか
結論的になぜ治ったのか。

ごめんなさい。
わかりません。

知らん間に治っていた。

それじゃ面白くないと、思っていたことそのまま。

さっき言った積極策は、その時は確かに良くなる
でも、次の日、昨日より良くなったような、悪くなったような

ていうことで、
正直言います。
飽きてきた。

ずっと痛い、というレベルではなく、
腕を上に上げた時とか、通常じゃない動きの時だけ痛い、
というくらいにはなっていた。

日常生活に絶対支障がある訳ではない。

そうなると、
何かした時は痛い、そうじゃなきゃ痛くない。
という状況に慣れてしまう。

不思議なもので、それが普通になると
確かに痛いはずなんだけど
痛いから何として治さねばという、意欲が薄れる
何の努力もしなくなっていく。

そして、2ヶ月程前
ふと気づいた。
あれ? 痛くないぞ

変だなあ
確か、こうした時、あるいは、こうした時
痛かったよな

忘れとった。
治ったっちゅうこと?

五十肩は、一年すると自然に治る
そのパターンか

失敗した。
ノウハウが分からん。

大失敗?
治し方を分かりたい
出来れば、それをコラムに書いて。
という事に関しては、大失敗。

でも、治ったんだし。
失敗というのは言いすぎかな。
まあ、良かったよね。

そして、ひょっとして
そして、これこそが、本質であり、治し方なのかもしれない
って思い直した。

以前に書いた「快癒力」という本。

病気は治そうと思っている間は治らない。
それどころじゃない、ともっと熱中する事がある人は
忘れた頃に治っていると、書いてあった。

まさしく、最も正しい治し方をしたのかも知れない。

見事に忘れてたからね
その間、痛かったのか、痛くなかったのかを覚えていない。

素直に喜ぼう。
ハードな力仕事のアルバイトまでできたんだからね。

やったぜ

イェイイェイイェイ。

言葉が進んで、変わっていく

言葉の発達の過程、前回、一つ目の要素をお話しました。

量的な部分。
有言性。

効率
質的な部分ではまずは効率。
その次効果。

効率って、どうやったらちゃんと伝わるか、という事。
そこでは、決まり文句とか、お約束、みたいなのが形作られていく。

いちいち全部説明しなくても、みんなこういう時はこういう言い方しているから
おんなじ様に言っとけば分かってくれるよね

そういうこと

一番分かりやすいのは挨拶でしょうね。
お昼ごろです。
知っている人に会いました。

こんにちは。

ええっと、こんにちは、は、今日は、の略だよね。
その次は、何が省かれてるんだっけ。
みたいなことをいちいち考えなくっても
昼に出会ったらこれね、って。
みんな言ってるので、間違いないこと。

こういった、お約束的な表現がどれだけ多いかを、地域によって調べていく。へ
そうすると、やっぱり、かなり長い間、経済や文化の中心だった、京都や大阪は
かなり数が多いことが分かってくる。

そんな中で、更に細かく見ていくと
その場面が細かく分かれていく傾向になる。

面白いなと思ったのが、おはようって言わない地域があるらしい。
挨拶で朝と昼の区別がない。

東北に多いのが、そもそも、出会ったらいきなり挨拶なしで用件に入る。
どこに行くか、いきなり尋ねる。
単刀直入。

見方を変えると、無駄っちゃ無駄ですね。
良し悪しの問題ではないです。

長い間に変わっていくという大きな傾向

行ったり来たり
やっぱり、行きつ戻りつしながら進んで行くんでしょうね。
3歩進んで2歩下がる、見たいな。

あんまり、決まり文句が分化し過ぎると、
対応するのが面倒くさくなって戻ったり。

「どうも」という挨拶はその一つの例じゃないかな。
色々考えるのが面倒になって
挨拶も、感謝の言葉も、いっさいがっさい、
どうも

私も、かなり、どうもを多用して、安易な方向に走っちゃってるなあ。