[百人一首]8 わが庵は

わが庵は 都のたつみ しかぞすむ
世をうぢ山と 人はいふなり

わが家は都の東南にあり、快適に暮らしている
でも世間のつらさから逃れて、宇治山にこもったと言っているそうだ

喜撰法師
第7首までは奈良時代ですが、ここから平安時代に入ります。
この喜撰法師という人、とてもミステリー
何一つ分かっていません
明確に喜撰法師の歌だって分かっているのもこの一首だけ
なのに、六歌仙に選ばれています。
在原業平や小野小町が六歌仙なので、よっぽどすごい

不老不死で、雲に乗って天上へ去ったらしいです。
ミステリーですね

鑑賞
掛詞の楽しさを味わう歌ですね

しかぞすむ、は
鹿が住んでいるような田舎というのと
然ぞ澄む、気持ちがすっきりしているというのをかけていて

よをうぢ山は
私を宇治山、と
世を憂し、とをかけている

とは言え
これだけでは、藤原定家が百人一首に選ぶには
ちと弱いんじゃないの?

織田正吉さんの意見
織田正吉さんが言うには、藤原定家がこの歌を百人一首に選んだのには
さらに理由があると指摘している

子・丑・寅・卯・辰・巳・午……
という十二支
十二支は方角も表すから、真北の子から数え、右回りなので辰巳は東南です

でもせっかくの辰巳
言葉遊びの好きな喜撰法師なら
さらに、続きの動物を入れる筈

卯・辰・巳・午だから、
卯がうぢ山の「う」にかかり
午(馬)もほら

ん?
いないなあ

いるのは、鹿

と来たところで、分かった人は、にんまり
そうきましたか

「鹿をさして馬となす」という中国の故事

秦の趙高という腹黒い権力者が、あるとき鹿をさして馬だと人々にいった。

ちゃんとした人は、いやそれは鹿ですよ

おべんちゃらをいう人は、
まさしく、馬でございますな

真実をのべた人は趙高によって殺された、というお話

そう。
馬鹿はここから来ているわけですね

まさしく、馬鹿な歌でしてねと
喜撰法師はけらけら笑ったのでございましょう。

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