最後の女性天皇は江戸時代。後桜町天皇ビシバシ

江戸のヒロインシリーズです。

前回、江戸時代の女性天皇の話をしました。
江戸時代にいた!女性天皇。明正天皇

そして、実はもう一人。
江戸時代に女性天皇がおりました。

後桜町天皇
わが国皇統史における最後の女帝です。

後桜町天皇は幼名を緋宮(あけのみや)、御名を智子(としこ)の、
桜町天皇の第二皇女として元文5(1740)年に誕生した。

お父さん、桜町天皇には、お母さんは違いつつ、一男二女

智子のお姉さん盛子は10歳で亡くなったので、残るは男女一人ずつ。

男の子に早めに譲っておこうと、延享4(1747)年に6歳の第一皇子遐仁親王に譲位しました。
桃園(ももぞの)天皇の誕生です。

その後、すくすくと成長し、と思ったんですが、残念
桃園天皇21歳の宝暦12(1762)年に崩御となってしまった。

大丈夫、桃園天皇、やるべきことをやっておりました。
皇子英仁(ひでひと)親王が生まれておりました。
一安心。

でも、どうしよう。まだ4歳。
桃園天皇だって6歳で即位した訳だし、大して変わらないんじゃないの?
幼帝の擁立は多くの前例があります。
でも、その前例で言うと、いずれも後見役となる上皇や皇族がいる

今回は、お父さんはもちろん、おじいちゃんもおじさんも、みんな亡くなってしまっていた。
女性の智子のみ。
さすがに、4歳の子に、
あんた、今日から天皇よ。あんじょうやってや。
とだけ言っても

えへっ、えへへっ。

後桜町天皇
実質的には智子が取り仕切らないといけない状況は仕方ない。
やり方としては二つあります。

幼帝をたてて、智子が女性の後見人

智子が女性の天皇となり、成長を待つ

なんと、前例からすると、女性の後見人より、女性の天皇の方がある
と、こうなった。
明正天皇のお陰です。

でも、明正天皇の時とは大きく違います。
あの時は、やりたがりの後水尾上皇がはいこっち

今度は、実質的にも天皇です。
さらに、次の天皇を育てるという役までこなさないといけません。
後桜町天皇の誕生。お父さんの名前を取ったんですね。
最後の女帝。
この時、まだ22歳です。

だめですよ、英仁様

えへっ

えへっじゃないでしょ、ハイは?

はい

厳しく育てたお陰で、立派に成長し、12歳になる

もう大丈夫ね。こんなに立派になって。
感慨深いわ
もう、おばさんはお役ごめんね。

譲位
後桃園天皇の誕生です。

桜桃桜桃ですね

さあ、このあとはゆっくりと。
恋でもしようかしら。

ところがです。
えらいことになります。

後桃園天皇即位から9年後、21歳の時に亡くなってしまうんです。

今際の際
ごめんなさいね
おばさん、ずっと厳しくしてばかりだったわね
もう少し優しくしてあげれば良かった

いいえ
大好きでした。
ずっと
こうお呼びしてもよろしいですか

お母さん

えっ
今なんて?

私にとっては、ずっとお母さんと思っていました。

ごめんね、本当にごめんね

再び
困りました。
生まれたばかりの女の子がひとりいるだけ。

この時が一番危機だったでしょう。

何度も話し合いが持たれて

仕方ない

辿って辿って、傍系の8歳の祐宮(さちのみや)
幼帝です。

今度は、女性の後見人が前例なしとは誰も言いません。
天皇経験者ですから。
後桜町上皇です。

またまた、厳しく育てる役回り

光格天皇の誕生です。

光仁、光孝、光格天皇など、傍系の皇族が即位した時に「光」の字が付きます

厳しく育てる中で、特に学問
徹底的にあらゆる学問を身に付けさせた。

お陰で光格天皇は、とても頭の良い天皇となり
江戸時代を代表し、数々の改革をやってのけた名天皇になります。

今の天皇陛下は、光格天皇の直系ということになります。

索引はこちら
[女性天皇]シリーズはこちら(少し下げてね)


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