「気」っていかがわしい?

快癒力の篠原先生は最初「気」というものに傾注していきます。
西洋医学の医者でありつつ、実際に「気」で病気を治したりもする。
本当に治せるわけだからそっちの方向に行っても良かったのかもと思うけど
結局その方向にのめり込むことをしない。
「気」を全体的で重要な概念として使いたいから


東洋医学で中心になる概念、「気」
この存在が、東洋医学をいかがわしい印象にしてしまう原因でしょう。
何でもかんでも「気」のせいにしてしまう。
それって思考停止なんじゃない?。
もうちょっと、何とかないの、とは確かに思います。

ましてや、テレビで大の大人を数人並べて「気」をかけると全員一斉に倒れたり。
本当にできるんだと思います。
でも、そのことで逆にいかがわしい印象を与えてしまう。

おそらく本当に言いたいことはそういうことではないでしょう。
大きな方向性や概論のことを言っているのでしょう。 
細かいことだけに目を向けるのではなく、ばくっと全体としてどうなのか。
「気」を自分のためだけに使っているのか、人のために使っているのか。
大きくいって何を「気」にしているのか

「気」にする、「気」にしない
「気」にする。「気」にしない。
「気」を向ける。
「気」をつける。
「気」がいく。
要は、大きくいったところの生命エネルギー
それが、今、どっちに向かい、何に主に使われているのか。

気のバランス
気は総量よりもバランスの方が大切
呼吸でもハアハアと呼吸回数の多いのは良くない。
脈拍も速いのは良くない。
禅などの修行では呼吸回数を出来るだけ少なくしようとします。
人間が自分の能力を十分に発揮できるのは、脈拍が低く安定しているとき。
「気」で重要なのはバランよく安定しているということです。

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