真っ先稲荷とおばけ地蔵

汐入公園でお花見だ
の続きです。

真先稲荷と石浜神社と招来稲荷
古地図で真先稲荷(まっさきいなり)となっているのと、神明社となっているのは、石浜神社

今工事中だったんですが、石浜城址公園というのがある
室町時代中期の話ですが、
千葉氏の内乱で、千葉実胤(さねたね)と自胤(よりたね)の幼い兄弟は千葉県を追われ
命からがら逃げて太田道灌のところに頼っていきます。

弟自胤は、この前ウォーキングした赤塚城に、お兄さんの実胤はここに城を築きます。

結局、豊臣秀吉の小田原征伐の時、北条氏と共に千葉氏も滅ぼされてしまいます。
実胤の息子、守胤が作ったのが、真先稲荷
まっさきいなり、と読みます。
戦の時、この稲荷にお参りしていれば、戦場の先駆けとなれる。

不思議です。この感覚
一番最初に突っ込んで行くのでうまく行くと、とても高く評価してもらえるけど
死ぬ確率も極めて高い
そういうのになれますようにとわざわざ参るんですね

稲荷なので、狐が重要です

三囲神社の狐とともに、ここの稲荷にも狐が住みついている事が有名
庶民が真先稲荷に願掛けするときは、
狐が住みついている穴の前に、好物を置いて
おいでおいで、と唱える
狐が出てくれば願掛けしたことが成就
出てこなければダメ

途中から、一橋家の祈祷寺になり一般の人が立ち入れなくなってしまいます。
そこで、おいでおいで、と唱える狐の穴のところにほこらを立てて「招来稲荷(おいでいなり)」としました。

一方、石浜神社はとても古く、創建が724年となります。

途中から真先稲荷は、石浜神社に、招来(おいで)稲荷とともに、合併になってしまいます。
真先稲荷

招来稲荷

平賀源内
千葉氏が再興したのが総泉寺
その後また荒れて、再興したのが佐竹氏
残念ながら引っ越して、板橋区の大善寺に移転、吸収されます。

平賀源内の墓は総泉寺にありました。
総泉寺は移転しましたが
平賀源内の墓だけがここに残りました。

総泉寺の移転に伴い、松吟寺にあった巨大なお地蔵様がこの地に残りました。


真近でみるととてもでかい事が分かります。

妙亀塚
総泉寺の横に、今は埋め立てられていますが、鏡が池という池がありました。
そこに身を投げた人が二人
一人は、梅若伝説の梅若のおかあさん
愛するわが子が死んでしまっていたのを知って、気がふれて、身を投げます
梅若伝説について詳しくは
こちら

池の中から、亀が現れ
梅若のおかあさんの遺体を背中にのせていました。

ということで、妙亀塚というのがあります。

出水寺
もうひとり身を投げたのが、采女(うねめ)という吉原の遊女
若い僧と恋に落ちます。
残念ながらそんな自由恋愛が認められる筈はなく
鏡が池に身を投げます。
「名をそれとしらずともしれさる沢の
 あとをかがみが池にしずめば」
という短冊が残されていました。

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