向島のウォーキングの続き

向島百花園は二回に分けてお話ししました
向島百花園は、全然違っていた。
向島百花園。その2。もうひとつの楽しみ方

それだけで帰った訳ではありません
まだまだ行きますよ

地図
白髭神社
白髭(しらひげ)神社は
私としては、ずっと引っ掛かっていた行かねばならない場所です。

以前、浅草イベントの下見の時に、
吾妻橋のところで、道を聞かれたんです。
吾妻橋のところにある観光名所の写真が掲示してある場所で
白髭(しらひげ)神社を指さされた。

私に道を聞くんですね
ありがとうございます。
誠心誠意お答えしましょう。

ところが、白髭神社には行ったことがなかった

仕方ない、Google先生にお手伝いいただきましょう
ところが、その時に限ってどうにもうまく検索できなかった。

ずいぶん頑張ったんだけど

すみません。分かりません

東京ウォーカーとしてのプライドがズタズタ

ここで面白かったのは、富士講に関わる説明パネル

富士講ってみんなでお金を出し合って、代表の一人が寂しく登山するというイメージを持っていたから
この男衆の頂上での集合写真にはビックリ

隅田川神社
次なる目的地は、隅田川神社
至る道筋でちょっと迷います。
東白鬚公園という細長ーい公園の中を行くか、隅田川の川沿いを歩くか
こんな隅田川の近くに来ながら、隅田川に出ないという手はありませんね
隅田川6の東白鬚公園4くらいで歩きました。

隅田川

東白鬚公園

隅田川神社って
源頼朝が創建したという由緒正しき神社
昔は、隅田川に張り出して半島みたいになっていたところに作られた、人気の神社。
通称水神様。

水神様じゃあ、水神様のたたりじゃあ

ここの見処はというと
狛犬の変わりに鎮座まします、これ

江戸時代はいっぱい埋め立てられて江戸の土地はどんどん広がりますが
隅田川神社が出来た当時は、この先はもう入り江で海
今は、ここって結構奥のイメージあるので、信じられません。

入り江の入口(戸)って事で、この辺りが「江戸」って呼ばれていた。

おおっ
私は江戸発祥の地に今、降り立っているのかぁ

神社の外には、空高く伸びる国旗掲揚塔

次に行く、木母寺の横にあった、日露戦争記念碑もそうだけど
敗戦後、こういった言わば国粋主義的なものは、GHQの指示でことごとく壊されていった筈。

これが残っているというのは、地元の人がかなり強固に抵抗しているうちに
GHQが撤退したという事なので、結構貴重です。

木母寺
ここ、行きたかったんです。
江戸検定では常連さん

梅若伝説です。

平安時代の中頃、
吉田少将惟房と美濃国野上の長者の一人娘・花御前の間には梅若という男の子がおりました。

若くしてお父さんを亡くした梅若ちゃん
比叡山月林寺で修行に励むようになります。

色々あって、月林寺を下山

琵琶湖のほとり大津の浜で人買いの信夫藤太と出合います。

よし、こいつを売り飛ばそう。

奥州へと旅を始めます。
 
長い旅を続けていた二人ですが
隅田川の東岸 関屋の里までやって来た時です。
梅若丸は幼い身での長旅の疲れから重い病気にかかり、
動くことができなくなってしまいました。

病気になっちゃ売り飛ばせないよな
ええい、放って行こう

地元の人たちに発見され
手厚く看病してもらうも、時既に遅し

『尋ね来て 問わば応えよ 都鳥 隅田川原の 露と消えぬと』

という辞世の句を残し、哀れ梅若、わずか12歳の生涯を閉じてしまいます。

せめてもと、塚が作られ、柳も植えられます。

ちょうど一年が経過し、
みんなが塚の前で弔ってあげているとき
ふらふらと、狂女が現れます。

その女性こそ、愛する息子を探し求め
気がふれてしまった花御前だったのです。

おお我が子よ
見つけられなかった私を許しておくれ
さぞや辛かったろう、母恋しかったろう。

母も隅田川に身を投げてしまいます。

その後、梅若と花御前の霊を鎮めるため
梅若寺が作られます。

江戸時代に入った1607年(慶長12年)、
近衛信尹によって、梅の字の偏と旁を分けた「木母寺」に変わります。

隅田川周辺は、江戸時代には、桜だ花火だと色々名物が出来ますが
それより前は、この梅若伝説による観光地だったようです。

榎本武揚
木母寺の近くに、なんと榎本武揚の銅像がありました。
榎本武揚大好き!
詳しくはこちらを見てね
榎本武揚。前半。日本で最初で最後の大統領
榎本武揚。後半。この命に意味があるのなら
目に入った瞬間
でかっ

その視線の先には、ちょうどスカイツリーがありました。

多聞寺
ちょっと距離はあるんですが、多聞寺まで行ってみましょう。
名前からすぐに分かります。
毘沙門天が祀られているんですね

至る道は、いかにも下町って感じの住宅街

雑貨屋さんがありました。
すごいです。この陳列。そこ置きますか。

多聞寺の見処は山門
なんと茅葺き屋根でございます。

多聞寺は別名たぬき寺
この辺りに妖怪狸が住み着き、悪行の限りを尽くします。

見るに見かねた毘沙門天
成敗してくれるっ

ハハバーン、ドーン

雷の次の日、門の前には、狸の死骸が
村には平和が戻ってきました。

めでたしめでたし、な訳ですが
村人たちは、狸を哀れに思い
狸塚を作ります。

すごくないですか、この話

村にとっては何ら良いことがなかった筈の妖怪狸
村の守り神の判断で成敗した訳です。

その狸を弔いますか

大好きです。日本人です。許す文化

異論はあるでしょうが
私は最近のマスコミやニュースが好きになれなくてね
悪いことしちゃったのは分かるけど
謝罪会見で何十秒頭を下げましたってあの言い方、どうなんだろう。

ちょっと前に、長女が言ってたんです。

最近、お父さんのブログをちょくちょく見るの
ツイッターとか以前は見てたけど
やれセクハラだなんだと、嫌なことばっかり問題を大きく大きくしていく

お父さんのブログには何もないのよ
全く何もない。

長女が私のブログを誉めてくれたことは初めてかも
しかも、これって私にとっては最高の誉め言葉です。

どこ行こう、そうだ!おでかけマップ

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