[天皇]78 二条天皇。親政を開始したのに。

二条天皇
1158~1165年

後白河天皇が譲位させられ、二条天皇に
二条天皇の取り巻きは、チャンスとばかり、二条天皇親政を目指す。
今まで、院が政治を支配してきたが、天皇が政治をするように戻そうと。
二条天皇親政派は藤原経宗(つねむね)と藤原惟方(これかた)

ところが、実際に政治を切り盛りしているのは、後白河上皇が登用した信西
信西を殺してしまえば、と動いたのが
平治元(1159)年の平治の乱です。

後白河上皇派の中でも、信西気に入らん、という藤原信頼と組んで乱を起こした
信西を殺すという目的は成功

その後、平清盛に藤原信頼が討たれるので
経宗と惟方は超ラッキー

平清盛は後白河上皇と二条天皇のどちらともうまくやっていこうとしていたので
信西と信頼を無くした後白河上皇上皇派より、経宗と惟方の二条天皇親政派は俄然有利になった。

いらんことしなきゃ良かったのに
後白河上皇の邸宅に板を打ち付けるという、喧嘩を売るような事をしちゃった。

怒った後白河上皇は、平清盛に
あのふたり何とかしてくれ

二人は逮捕されて、
経宗は阿波、惟方は長門へ流され、ともに失脚する

それでも、二条天皇派も前関白忠通を中心に盛り返していく。

後白河上皇と平清盛の妻時子の妹滋子との間に、憲仁親王(のちの高倉天皇)が生まれた

二条天皇は警戒感を強め、憲仁親王を皇太子にしようとした、清盛の弟教盛たちを解官
清盛も異を唱えず、二条天皇の親政は確立される

でも、長くは続かなかった。
二条天皇が病気になる

まずいっ
このままでは、次が憲仁親王になっちゃう、ということで
大急ぎで、生まれたばかり七ヶ月の息子、六条天皇に譲位した。
六条天皇の皇太子には憲仁親王をあてざるを得なかったんですがね

そして、二条天皇は、翌月亡くなってしまいます。
わずか23歳でした。

さあ、七ヶ月の六条天皇の運命は
続きはシリーズの次回でね。

[天皇]シリーズはこちら(少し下げてね)

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