[関東の戦国]1 戦国時代のベース

「関東の戦国史」という本を読みました。

関東では、全国に先駆けて戦国時代がやって来ます。

鎌倉公方と関東管領
鎌倉に鎌倉公方というのをおき、足利氏が就きます。
初代は足利尊氏の末っ子の基氏(もとうじ)

さらに、それを補佐する役目として、関東管領(かんとうかんれい)というのが置かれます。
副部長さんみたいな感じですね。
足利氏の親戚である上杉氏
初代は足利尊氏のいとこの上杉憲顕(のりあき)
山内(やまのうち)上杉家という言い方をします。

このまますんなり行ってくれれば覚えやすかったし、
戦国時代にも突入しなかったんでしょうけど。

永享の乱
京都の5代将軍義量(よしかず)のあと、誰を将軍にするか決まっておらず
よし。くじ引きで決めよう

鎌倉公方、4代持氏は、よし、当たりを引き当てるぞっ、
と京都に行く準備

あなた、鎌倉公方だから、くじ引き引けませんよ

うっそー
頭に来た持氏は何かと言えば幕府に反抗的
関東にいる幕府派閥の氏族をことごとく討ち滅ぼしていきます。

幕府の6代将軍義教(よしのり)は、
持氏ええかげんにせえよ

間に入って
仲良うやりましょうよ、
とりなしていたのが、関東管領の上杉憲実(のりざね)

ちゅうことは憲実くん、君は幕府の味方かい?

こういう時は距離をとって、冷静になってもらうのが一番と
上杉憲実は上野(こうずけ)国に引っ込みます。

逃げるのか貴様!
1438年
持氏が、上杉憲実に対して兵をあげます
そうなると幕府は上杉側に味方
そして上杉側が勝っちゃいます。

上杉憲実はほぼ勝ったという段階で、
持氏に和解を持ちかけます。

持氏は強烈な性格だが、良いところもいっぱいある
意外にも持氏を慕っているものが大勢いる
ところが幕府の義教がそれを許さなかった
殺せ、殺せ、絶対殺せ

仕方なくとどめを刺しに攻め入り
持氏とその長男義久が自害

ここに、鎌倉公方がいなくなるという事態に陥ります。

このあとどうするよ
上杉憲実は、私はもうやってられないと
出家して伊豆に引き込もってしまいます。

鎌倉公方と関東管領がどっちも実質いなくなる非常事態
永享の乱自体はあっさり勝敗のつく小さな戦だったんだけど、その影響がでかかった。
関東の泥沼の戦国時代のベースがここに出来上がってしまいます。

この続きはシリーズの次回ね

[歴史]シリーズはこちら(少し下げてね)

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