過去は変えられる2

過去は変えられる
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私のとても大切な仲間の書いた日記です。

快愉力という本を読みました。
「過去は変えられる」と書いてありました。
衝撃でした。

どうしてもこの話を「その人」にしたかった。
レインボーブリッジをウォーキングで一緒に歩きながらその話をした。
確信があったから。

そして、こんなにいい日記を書いてくれた。

追っかけてコラムを書きたいと思います。

過去は変えられる
こんな考え方はしたことがなかった。
「過去は変えられないから仕方がない。くよくよ考えるより、今と未来を大切に生きていこう」が前向きセオリーの基本でした。

なぜ過去は変えられるのか
根拠は、過去って自分の主観の中にあるということです。
厳密に全てが全てそうなのかと聞かれると、例えば3.11のような事実そのものは変えられないので、いったん言い方を変えましょう
今の自分に影響を与えている「過去の自分」と言うことにしましょう。
過去の自分は他人には分からない、自分の中だけのもの
例えばある人にひどい目に合わされた過去があったとしましょう
「あのやろう」と思い続けるのではなく「今思えば懐かしい過去。彼は彼で必死だったんじゃないか。今なら会って挨拶くらいは出来るかも」と思ったとたん、過去は変わっているのです。

事実すら怪しい
テレビの「あの人に会いたい」コーナーで、昔山中で助けてもらった旅館の美しいお嬢さんに会えた時のエピソードが書いてありました。
実際に会ってみると当時の思い出としての事実はほとんどが事実とは異なっていたそうです。
長い時間の間に「美しい思い出」に尾ひれがついていったのでしょう
でもそれは「事実と違うじゃない」と非難されるべきことなのでしょうか。
誰にも迷惑はかけていない。
いずれにしても「事実」は「主観」を通してしか自分にはやってこない
もし他人に迷惑をかけないなら、どんなに過去を「ねじ曲げ」ても他人にとやかく言われる筋合いのものではないだろう。

えっ、そんなことありましたっけ
嫌な過去なんてねじ曲げてしまいましょう。
あの時は大変でしたねえ、なんて誰かに言われても
えっ、そんなことありましたっけ
って言ったとたんに
ねじ曲がって、すっとんでいってしまっている。

いやいや、ありましたよ
なんて、誰が言うでしょう。

おそらく「もう気にしていないんだ」ってホッとしてもらえるはず。

例えば私の母さんなんかは、私が落ちこぼれてすごい点数のテストを持ち帰って見せても
「何かの間違い」にしてしまっていた
絶対、人にゆうたらあかんよ。
あんたは頭いいんやから。
何かの間違いなんやから。

未来の自由度
「過去は変えられないから、未来こそ前向きに」
なんて、未来の自由度がちっちゃいちっちゃい。

過去を勝手に変えちゃうと、今が必然的に変わってきて、未来がどどーんと大きく変わる。
なんせ、出発点が変わるのだから。

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