[龍馬と女性]大浦慶。日本の茶を文化からビジネスに変えた

色恋の観点で龍馬に関わった女性は、平井加尾、千葉佐那、楢崎お龍の三人ですが
経済的に援助したということで関わったのが、大浦慶

大浦慶

大浦慶は文政11(1828)年に生まれたが、生母は早くに亡くなった。
父には後妻があり、年の離れた異母弟がいた
慶より10歳年長の大五郎が養子として迎えられるが
おそらく、慶と結婚する前提だったと思われる
ところが、その大五郎は若くして亡くなり
その後、大浦家の商売はうまくいかず
慶も大変苦労した

慶が成人すると、世の中が大きな転機を迎える
嘉永6(1853)年、ペリー来航

次々と欧米諸国がやって来るが
最も大きな目的は、貿易
第一には生糸。
ヨーロッパのかいこが流行病で大量に死滅
どうしても日本の良質な生糸が欲しかった。

次が茶
ヨーロッパに茶が紹介されてから、大ブーム
基本的には、中国から輸入するのだけど
中国が政情不安になった事も手伝って
日本の茶の方が人気がある

オランダ人テキストルから、日本茶が人気があるとの情報を得た大浦慶
いける、とヨーロッパに茶のサンプルを送る
3年後、そのサンプルを持って、イギリス商人オールトが長崎に来る

これだけ下さい

十万斤もの巨額注文

九州全土をかけずりまわって、ようやく一万斤を集める
ここから、日本の茶貿易は始まる

大浦慶が欧州人の嗜好を細かく調査し
釜炒り茶より、蒸し茶の方があうと判断
大浦慶は巨額の富を得る

明治維新後、生糸と茶は輸出のツートップ
その後、茶の輸出は伸び悩み
繊維産業にトップの座を譲るが
それまで、日本の産業を牽引していく。

それまで、日本における茶は文化であったが
ビジネスに変わった。

そして、慶は、坂本龍馬をはじめとした幕末の志士たちに投資していく

そのまま順調に行けば、明治の大事業家に名を連ねていた筈ですが
明治4年に「遠山事件」が起きる

巨額のタバコの取引で慶に保証人になってもらうように要請があった
一旦は断るが、昔から世話になった人から、是非にと頼まれ
保証人になってしまう。
完全にだまされ
それからは、借金を返していく人生になり
ちょうど、亡くなる頃に借金を返し終える

結局最後まで独身だったので、
大浦家が途絶えたこともあり、大浦慶に関する正式な記録があまり残っていない

独身女性で事業で大成功、その後に大借金
幕末の志士たちに援助となると、どうしても興味本位の対象になる
最初に大浦慶を題材にした小説が、
慶を男好きで相手をとっかえひっかえ、と表現したもので
それ以降、大浦慶や坂本龍馬を扱った小説では
そのイメージに引っ張られた表現になってしまった。

全くそういうことは無いとお断りしておく。

晩年、新政府の要人たちは、昔世話になっているので
恩を忘れず
アメリカの元大統領、グラント将軍が来日したとき
女性で唯一パーティーに呼ばれた

また、病状が悪化した明治17年
茶貿易の功労を称えて、国から褒章が提供された
何とか間に合わそうと、連絡は電報で通知されている
電報が着いた1週間後にこの世を去った。

[歴史]シリーズはこちら(少し下げてね)

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