[歳時記]11/25 三島由紀夫割腹自殺。リハーサルまでなされていた

11/25

『仮面の告白』『金閣寺』『豊饒の海』などで有名な、
小説家、劇作家の三島由紀夫は海外でもその名を知られ、
ノーベル賞候補の一人にも挙げられるほどだった。

そんな彼が割腹自殺という衝撃的な最期を遂げたのは、1970(昭和4)年11月25日。
この日を「憂国忌」と呼び、
いわゆる民族派といわれる人びとを中心に彼を偲ぶ催しが行なわれている。
この名は、彼の著書『憂国』からとられた。

三島は高校時代から創作活動を始め、東大卒業後に『仮面の告白』で作家としての地位を確立した。はじめのうちは、耽美的な世界を描く作家として知られていたが、
次第にナショナリズムに傾倒。

とくに60年安保をはじめとする騒乱に対して危機感を抱き、
自衛隊への体験入隊を経て、自ら「楯の会」という過激な組織を結成する。
自衛隊をしのぐ派手な軍服に身をまとってパレードを行ない、
世間の注目を集めたりした。

そして、とうとうその過激さが頂点に達したのが、
東京・市ヶ谷の陸上自衛隊東部方面総監部への乱入。
益田総監を椅子に縛りつけて人質に取ると、
三島は前庭に集めさせた数百人の自衛隊員に檄文をまいて、
バルコニーに立って決起を促す演説を行なった。
だが、自衛隊員たちの反応は冷たく、ヤジさえ浴びせられた。

演説を終えた三島は総監室に戻り、制服と靴を脱ぐと正座し、
用意してきた鎧通しを 腹に突き刺した。
いっしょに乱入したメンバーのうち森田必勝が介錯をしたがうまくいかず、
別のメンバーがとどめを刺し、続いて森田も割腹自殺をした。
こうして世界的な作家は、わずか45歳で衝撃的な死を遂げたのである。

リハーサル
三島の割腹自殺は、前もって予定された行動だった。
驚くべきことに、彼はメンバーとともに念入りなリハーサルまで行なっていた。

1970年と言えば、関西人の私としては圧倒的に万博
同じ年に割腹自殺か
余りにもイメージが違いすぎている
その前の年はアポロ11号

自ら死を選ぶということ自体信じられないのに
自分で腹を斬るんですよね
一番痛い方法
全く1mmも心境が理解できない。

大学時代の三島由紀夫は本来特攻隊員として徴兵され、
その本人も戦争で死ぬことを覚悟していた。

しかし三島由紀夫は特攻隊員として死ぬことなく終戦を迎え、
彼の中で本来死ぬべき自分と今生きている自分という矛盾を意識するようになったという

でも、やっぱり分からない
彼が死んで何が変わる訳でもないし
もし変わったところで
自分が死んじゃっていたら
何の意味もないんじゃないだろうか

[歳時記]シリーズはこちら(少し下げてね)

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