池上の七福神巡りに行ってきました。の続き

池上の七福神に行ってきました。
の続きです。

池上本門寺の途中でした。

でかい梵鐘
池上本門寺は何もかもがスケールが違います。

写真じゃ大きさが分かりづらいかも知れませんが、まあでかい

池上本門寺と言えば五重の塔

江戸広しと言えど、ありそうでないのが五重の塔
東京23区の中で、五重の塔があるのは
上野と浅草とここだけなんです。

前回来た時、探しきれなかったのが、力道山の墓
今度こそ
あったあ

この場所はかなり人だかりでした。

この多宝塔がまた良いのよね

池上本門寺の隣、大坊本行寺
ここが、日蓮聖人ご臨終の場所となります。

日蓮聖人は病気になり、山梨の身延山から、静養のため茨城に向かいます。
当時、日蓮聖人の命を狙う者がいっぱいいたため
直線距離ではなく、危なそうな場所は迂回しています

途中でどうにも辛くなり、この場池上宗仲公のお屋敷に身を寄せます
ここでも説法を続けますが、力尽き、61歳の波瀾の生涯を閉じます

弁財天
とは言っても、子院なので、本門寺の敷地内とも言えるのですが。
厳定院(ごんじょういん)

この弁天さんも、何とも良い表情

池上梅園

急斜面に梅なので、これは梅の時期に来るとすごいことになりそうです。
ネットを見るとこんな感じ

その時期にまた来ねば

有料だったので、その時の楽しみに取っておいて今日はスルー
ここは、歴史的に意味のある場所だったので来てみたかったのです。

この中に藤山愛一郎の茶室「聴雨庵」があります。

戦時中の昭和19年、ここに岡田啓介・米内光政・末次信正らが集まり、東条内閣打倒密議が行われました。
藤山愛一郎は歴史検定の勉強の中でも出てきた戦後岸信介内閣の外務大臣として
日米安保の改訂にも関わりました。

ぐるっと回ってまた本門寺へ
次は勝海舟と西郷隆盛の会談の地
と思ったのですが、松濤園という立派な庭園の中
料亭の今半があります。
ダメもとで聞いてみましたがやっぱり入れないとの事でした。

ネットでみるとこんな碑があるようです。

樹老人
妙見堂
本門寺の中です。

寿老人ではなく、樹老人というのがミソ
この中におられたのですが、写真では撮れませんでした

伊豆から一人の若い僧が檀林にやって来ました。
本門寺の大法要で大感激
将来自分もこのような法要の中心に座りたい
彼は一人妙見堂に籠もり、一週間の断食の行に入りました。

学問を修めていつかは貫首となりたいと一心に祈りました。
行を終えて、朦朧としながら妙見堂の参道に立つと、大樹のもとに一人の老人がいました。
老人がいいました。

「仏道の修行は猊座に上って高価な法衣を着るためではない、
地に降りて人々のかたくなな心の衣(ころも)をはがすためだ。」
僧がはっとするともう老人はいませんでした。

数年して、学成った彼は故郷に帰りました。
後年、再び妙見堂を訪れた時、あの大樹は大風で倒れていました。

彼はその木で老人の姿を彫らせ妙見堂に納めました。
それが樹老人です。

そこから急な階段を降ります。

恵比寿
養源寺

銀杏が素晴らしかった

恵比寿様

[お出掛け]シリーズはこちら(少し下げてね)

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