[歳時記]3月第二日曜(13日)遊園地の日

ウォーキングの話は続きますが
歳時記の方でも話題がありますので、割り込みを入れます。

3月第二日曜日
3月の第2日曜日は「遊園地の日」だ。
制定されたのは、1980 (昭和55)年のこと。
日本遊園地協会が、親子で遊園地に親しんでもらい、
社会的ルールの勉強にも役立ててもらおうと制定した。
毎年この日には同協会に加盟している遊園地や
レジャーランド、動物園、水族館などでさまざまなサービスや催しが行なわれている。

遊園地のルーツは、17世紀にヨーロッパで広まったプレジャー・ガーデンにあるといわれている。その後は、世界各地で開かれた万国博覧会とともに発展してきた。

そして、1955 (昭和30)年に、あのディズニーランドがはじめて出現。
世界中の遊園地に大きな影響を与え、現在にいたっている。

一方、日本の遊園地のルーツは、東京・浅車にある「花やしき」だ。
現在では、大規模なアミューズメントパークに押されて、イメージがかすみがちですが
ここの歴史はとにかく古い。
江戸時代からやっている。

江戸時代は植物に繰り返し繰り返しブームがやって来る
伊藤伊兵衛等の植木屋さんが品種改良を進める

そのお店は作った商品を並べて自由に見てもらい、
気に入ったものを買ってもらうというスタイルなので基本、入場は無料

かなり大規模になっていくので、植物園と言って良いものになる

江戸中にいくつかできるのだが
向島の百花園も浅草の花屋敷もそのひとつ
植物園だから花屋敷なんです。

その中で独自の発展を遂げたのが花屋敷

場所が、最大の盛り場だった浅草寺の一角、浅草奥山です

辺りは、見せ物小屋や茶屋などもたくさん軒を連ねていた

そういった要素を植物園に取り込んでいき
遊園地という概念にどんどん近づいていく。
料金も有料化

やがて、明治時代になると西洋のものが、日本にはいってくるようになり、
花屋敷にも、回転木馬や観覧車といった新しい娯楽施設が登場し、
人びとの人気を集めるようになった。

明治中期には活き人形、蓄音器、養老の滝、山雀の芸といった見世物も大評判になった。
さらに大正期にはサル、キツネ、キジやクジャクなどが飼われていたというから、
動物園の機能まで兼ねていたわけだ。
一時はトラやクマなども飼われていて、上野動物園にも負けない規模を誇っていたという。
すぐ隣には、浅草12階もあり

はりぼての富士山が作られたり、大にぎわい

ところが、この繁栄ぶりも関東大震災によって壊滅的な打撃を受ける。
動物たちもほとんど焼死して、昭和10年には残っていた動物たちも売却。
かつてのにぎわいがウソのように、一時はすっかりさびれてしまったのだ。

そんな花屋敷も今では「花やしき」と名前が変わり、
巨大アミューズメントパークにはない親しみのある遊園地として
ふたたび人気を取り戻しつつある。

[歳時記]シリーズはこちら(少し下げてね)

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