ウォーキングの話題に戻る前に歳時記の方でもうちょっと割り込み
3/15
3月15日は「靴の日」
日本初の靴工場がスタートした日だ。
日本に西洋の靴がはいってきたのは幕末の開国後のこと。
ただし、当時靴をはいていたのはごく一部の人たちだけだった。
その後、近代戦となった幕末の成辰戦争で輸入された軍靴が使われたが、
ここでたいへんな問題が生じた。
西洋人の足のサイズが大きすぎて、日本人には合わなかった。
軍隊の近代化には靴が必要不可欠であると考えた陸軍創設者の大村益次郎は、
輸入業者であった御用商人の西村勝三に国産靴の製造を提案。
1870(明治3)年のこの日に東京築地に日本初の伊勢勝靴工場ができた。
今のリーガルコーポレーションに繋がります。
以前、文明開花をテーマにしたウォーキングイベントでも
この靴産業発祥の地に行きました。
これを記念して日本靴連盟は、1932(昭和7)年に「靴の日」を制定したのだ。
西村勝三は文明開花の申し子のような人で、明治のエジソン
文明開花を象徴する色んな商品開発に関わっています。
詳しくはこっちをみてね
文明開花を歩く。その3
1873(明治6)年の広告によると、
靴一足の値段はだいたい2円から7円程度。当時米一俵が2円だったことを考えると、3倍以上の値段で、とうてい庶民に は手が届かない高級品だったのである。
もうひとり、靴の産業の立ち上げとして名前をあげないといけないのが、弾左衛門
いわゆるえた非人をまとめあげているリーダー
江戸時代って、徹底的に小さな政府で、行政的なことはほとんど何もしない
なんでそれでうまく回ったかと言うと、
庶民に自主的に管理させる。
その見返りに、管理してくれる人たちに特権を与え、得をさせる
ある商品は、特権のある人にしか扱えないようにするとか。
例えば、床屋さんって許可を得た人しかやっちゃいけないんだけど
必ず橋の近くで開業しないといけなくて
その橋の管理や修繕は、床屋さんの責任。
えた非人ってただ差別され続けた、って思いがちだけど
実は革製品は彼らしか扱えない。
リーダーの弾左衛門はその特権を得たいくつかの仕事を配下の人に
うまく仕事を与えつつ回していた。
明治維新で身分制度撤廃。四民平等良かったね
だけど、それは特権がなくなることに直結した。
弾左衛門配下の人は、明日から食っていけなくなる。
弾左衛門それでめげてる暇はありません。
長年培った革製品のノウハウで靴を作ろう
結局は、一番成功したのは西村勝三ではあるけれど
弾左衛門たちもずいぶん頑張って
結局は西村勝三たちの会社と合併したりして
日本の靴産業の一躍は担っております。