[歳時記]3/25 電気記念日

3/25
電気は、もはや現代生活において欠かすことのできないものだ。
電気の灯らない頃と根本的に生活の時間帯が変わりました。
というか、その前が想像できない。

1878(明治11)年3月25日に日本ではじめてのアーク灯がともった。

アーク灯は、空気中の放電を利用したもので、強い光とともに高熱を発生する。
ただし、当初は電池を電源としていたため長時間持たず、
本格的に普及したのは発電機ができてからのことだった

明治11年(1878年)3月25日、工部省電信局は、
万国電信連合に加盟する準備として東京・木挽町に電信中央局を設け、
その開局祝賀会を東京・虎ノ門の工部大学校の講堂で開催しました。

祝賀会は、大臣や各国行使など150名を越える人々が参加し、盛大に行われました。
夕方、大学校の車寄せに多くの来賓を乗せた馬車が次々と到着し、
玄関から2階の講堂へ案内されていきました。

この日、会場に電気灯を使用するよう、
工部卿伊藤博文から特に命ぜられていた英国人エアトン教授は、
グローブ電池50個を使い、講堂の天井に設置されたアーク灯(「デュボスク式アーク灯」)を点灯するため、
自ら難しい調整にあたっていました。

やがて6時、エアトン教授の合図とともに、
目もくらむような青白い光がほとばしり、講堂をくまなく照らし出しました。
その場にいた来賓たちは、大拍手
点灯時間はわずか10分という短さ。
それでも「不夜城に遊ぶ思い」と驚嘆の声をあげたといいます。
これが、日本で電灯が公の場ではじめて点灯された瞬間でした。

翌年の1879年10月21日には、米国でエジソンが白熱電球を発明し、
日本にも輸入されました。
明治19年(1886年)には東京に電灯会社が生まれ、
電灯に動力にと、電気の時代が幕を開けました。

その後1882(明治15)年11月1日には、
銀座2丁目の大倉組(現・大倉本館)の店先に2000燭光のアーク灯がともされた。
これは東京電燈会社が行なった電灯の公開実物宣伝で、
警視総監や府知事なども招待された大々的なイベントだった。

なにしろ以前のように室内で、しかもわずか10分の点灯でも大騒ぎした当時の人びとのこと。
この日は屋外で、しかもこれだけの数のアーク灯がともるとなれば、
これはもう騒ぎにならないはずがない。

店のまわりには電灯をひと目見ようという東京市民が大勢押し寄せ、
まるで通勤ラッシュ並みの混雑ぶりだったという。

その中で、ともされたアーク灯の明るさは、とにかく目を見張るばかり。
見物人から「世界で1番明るいのはお太陽さま、その次はお月さま、3番目はこのアーク灯」
といわれるほどだった。
当時の人びとにとってアーク灯は、まさに文明開化の光だったのだ。

そんなアーク灯も、屋内使用に適さないといった欠点から、
白熱灯の普及とともにしだいに姿を消す。

だが、1986(昭和6)年に復元されて、当時と同じ銀座2丁目にポツンと一本だけ立っている。
派手なイルミネーションの中では目立たないが、今も水銀灯以上の明るさは健在。
さすがに昔の人を驚かせただけのことはある。

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