[天皇]北5 後円融天皇。文化でがんばる

天皇シリーズ。南北朝時代です。

後円融天皇

時代としてはこの辺り
足利将軍は義満です

義満とは従兄弟同士になり、同じ年でもある

北朝五代の後円融天皇伝統文化を愛好し、
学問・和歌・書道日記などに事績をのこした。

将軍が義満で、義満が朝廷の方までしゃしゃり出て来るので
文化にしか居場所がなかった。

いささか、経緯はあった。
後円融天皇に決まる前、
北朝三代の崇光天皇(上皇)と同四代の後光厳天皇が対立した。
どちらも北朝であり、同様に光厳天皇の皇子であったこの兄弟の争いに、
朝廷も臣下も両方に分かれて対立した。
幕府は、崇光天皇派の主張に正統性を見ていたが、
次期皇嗣の問題はときの天皇に一任する、という形式をとったので、
後光厳天皇のあとは、この後円融天皇に決まったのである。

こういう経緯もあるし
後円融天皇には義満と仲良くすべき事情があった
崇光天皇派に次の天皇を渡したくない
自分の息子に出来るだけ早くあとを継がせ、譲位したい

それゆえ、義満とは仲良くやっていた
その後、後小松天皇天皇に譲位
ひと安心

今までの例によると、さあ、院政だってことになるのだけれど
将軍は義満
そんな訳には行かない

ここから一転、急激に二人の仲は悪くなる
度重なるトラブル
義満が自分を配流しようとしたと勘違いし
持仏堂に籠って切腹自殺を図るなどの騒動を起こしている
その時は、義満が院に行って事なきを得たが
結局その後も二人の関係が好転することはなかった

『田記』(後円融院御記)、『御円融院御百首』の著作があり、
勅筆流の始祖はこの天皇である。

[天皇]シリーズはこちら(少し下げてね)

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