江戸川区。あれやこれや

江戸川区。まさかここまで
江戸川区。かわいいっ
の続きです

新川
新川を横切ります

新川は家康が命じて作らせた運河
その前にも川はあったのですが、行徳の塩を運ぶ等の重要な物流経路だったのでもう一本
江戸時代は物流は道より川(運河)の方が楽ですので。
ということで、昔の方を古川と呼び、こっちが新川
古川もこのあと行きます
新川は千本桜と言って、桜が良いと前回コメントで教えていただきました。
ネットで検索するとこんな感じ

新川さくら館
なんだなんだ、これは。入ってみよう

中はかなり新しい感じだったので、できたばっかりですか、と聞いたら
ずいぶん前からあって10年前くらいかなあ、とおっしゃっていました

法龍寺
このあたりは食用蛙の養殖が盛んだった地域
大人気でバンバン売れたらしい
蛙さんごめんね、ってことで、食用蛙の供養塔

その関連なのでしょう。蛙グッズが置いてありました。ゲロゲーロ

船堀日枝神社


おっ、狛犬の下に溶岩
ってことは?

やっぱりありました。富士塚
富士塚って江戸中に分布しますが
東側はこのあたりが限界
富士山自体が見えない地域では富士塚はなくなります

一之江境川親水公園
あちゃあ、失敗した
そうか、親水公園だもんね
親水公園はいろいろ行ったけど、ゆっくり歩いて楽しむもの
自転車で来ちゃいかんね
悔しいので、自転車を止めて、ちょっと歩いてみましょう



カモも目の前だから望遠レンズは要りません

妙光寺
赤門です


赤門寺と言われて親しまれています。
赤門の謎がまだ解けないんですよ
赤門は門跡寺院(皇族が所属する)、三位以上の官位を受けた者だけに許される門、御守殿(ごしゅでん)門(徳川へ嫁入りした者の門)
即ち、かなり特別に許されたレアな門のはず
ところが、ウォーキングであちこち行くと意外に見るんです
私が見た中で、本来の意味での赤門は、御守殿門としての東大の赤門だけ
明治になるとその縛りは緩くなったのかなあ

古川親水公園
新川に対する古川
またまた親水公園。失敗失敗


吊り橋まで

大滝までも

妙勝寺

弘安7(1284)年、漂流した難破船に乗っていた少年が救助された
その少年が後に日尚というお坊さんになり、川べりに小さなお堂を立てた
それが妙勝寺の始まり

さっきの赤門寺に対して黒門寺と言われて親しまれています

鐘楼は赤くてきれいです

庭がとてもきれい

宇田川家長屋門
歴史の散歩道にも、江戸川区郷土資料館で入手した本にも
古川親水公園の先に宇田川家長屋門という立派な門があると写真つきで紹介されている
ところが、その住所のところをGoogleMapで見ても出てこない
不思議だ。もう無くなってしまったのか

ダメ元でその住所まで行ってみました

あったあ

宇田川と表札が出ている
江戸川区の共通の案内板はない

なるほど
ここはまだ宇田川さんが実際に住んでおられる私有地なので
名所としての扱わないでくれ、との申出があったのかも知れない

滝野公園
後半で一番見たかったのはこれ

原爆犠牲者追悼碑
何で、広島長崎じゃなくて江戸川区なのか
江戸川区内の被爆者が簡単に広島・長崎への墓参ができないのを何とかしたいということから始まった
被爆者と区民が文字通り手作りで完成させた。
四国から運ばれてきた縦・横2メートルの自然石に
「原爆の図」で著名な画家、丸木位里・俊夫妻が下絵を描き、
江戸川区在住の被爆者200余名と区民がノミを振るって彫り上げた。
その後、広島・長崎から送られた被爆瓦の碑、噴水、平和の鐘、
広島・長崎両市の木、犠牲者名簿碑などが追加され進化していっています
噴水は区が設置。
1日2回、水を求めながら亡くなった人を弔うため、
原爆が投下された時間に水が出るようセットされています。

西葛西駅の近くのコンビニ横の自転車ポートで自転車を返そうと思ったのですが
3台分が埋まっていた。
急遽さらにその近くのポートを探して返却
730円でした。良かった良かった

[お出かけ]シリーズはこちら(少し下げてね)

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