鈴木遺跡。大胆な仮説

鈴木遺跡。都内最大級でびっくり
の続きです。

何か疑問があったとき、自分なりの仮説を考えるのが大好き
責任ある立場にない者の特権です
思い付きだけで書きますので、そのつもりで読んでくださいね

なぜ黒曜石がここにあるのか
思いきり遠い産地の黒曜石が、なぜ鈴木遺跡のこの場所にあるのか
そこにあるという情報がどういう風に伝わり、どういう風に行ったのか

思うに
産地には行っていない
名付けるとすると「黒曜石貨幣説」

黒曜石ってとっても貴重だから、産地の人はウハウハ
見つけたら、
こんなんあるで。交換したろか
遠くに行く必要はない
噂を聞き付けて、食料や鹿皮など有用なものを持ってやって来るだろう

交換した人は、黒曜石で石器を作るだろうが
獲物が取れなくてひもじい時は、黒曜石でまた物々交換すればいい
そうやって、物々交換が繰り返されれば、産地から少しずつ伝播していき
広域に広がっていくだろう
一人の人が産地に行って帰ってと考えるから無理がある
旧石器時代は2万年も続いている訳だから
次第に広域に広がるなら不思議ではない

狩猟や木の実等の収穫を生きる手段としている場合は
収穫の山谷がかなり激しかった事が予想される

我々は収入支出の山谷をなべる手段として、お金を使っている
月給をもらうと少しずつ使うし、
貯金をしてもしもの時に備えたり、貯めて家を買ったりする

旧石器時代の人たちは貨幣という知恵がなかったと思いがちだけど
我々以上に山谷が激しいんだから
そこに一番知恵を絞ったろう

黒曜石なら小さくて価値が高いし、品質が均一だから一目瞭然で取引が成り立つ
獲物とかを何とか長い間持たそうと努力するより
黒曜石に変えて「貯金」する方がたやすい
人に取られないよう隠しておくことだって簡単だろう

食料がなくなってくれば、黒曜石を持って
さあ、そろそろ買い出しに行くかな、と出かけるのだろう
黒曜石ならかさばらない
貨幣にして石器としての道具というすぐれもの

社会全体がそんな行動をしていくようになると
そういう黒曜石との交換がよりやりやすい「場所」に人が集まるだろう
要するに「市」が立つ
そこに行きさえすれば、ものが買えるし、ものが売れる

そんな「市」は、全国に一定間隔で点在していたのではないか
多くの人がそこに通うことになれば、自然とその周りに道が出来、
より分かりやすく、より行き安くなるだろう

私は、鈴木遺跡は、その「市」だったんじゃないかと推測している
川の源流というのはとても位置が分かりやすい
川さえ見つければ上流にたどっていけば絶対に行き着く
黒曜石の石器があまりに多く見つかっているから、何か特別な場所だったと思われる

そうなってくると、さらに妄想は進み、
鈴木遺跡に売り買いをなりわいとする商人がいたんじゃないか
寄ってらっしゃい見てらっしゃい

出土したこれは、石器を作るための台だって言われていたけど
ひょっとして、黒曜石の展示台かもしれない

商人が、ため込んだ黒曜石を隠しておいたのが
商人が亡くなって誰も隠した場所が分からず、そのまま遺跡になったのでは

ただ、だとすると、商人は定住していたことになるのだけど
定住までの跡は出てきていない
ちょっと考えすぎかな

我々文明人は、旧石器時代の人たちを、未熟なあまり何も考えられない人だと思っている
ひょっとすると、心のどこかで、そう思いたいというのがあるかもしれない
相沢忠洋さんが、岩宿遺跡を発見するまでは、そもそも日本には旧石器時代に人はいなかったと思われていた
残っていないものは、無い訳じゃなく、分からないだけ
旧石器時代の人たちの身になって考えれば見えてくるものもあるはず

今日明日生きるのに四苦八苦しているんじゃなく
案外、余裕があって、娯楽もあって
毎日、楽しいわあ、って思っていたかもしれない

[歴史]シリーズはこちら(少し下げてね)

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