荒川区でお寺巡り

(11/19[日]の事です)

今日は荒川区でウォーキング
西日暮里からスタート

正覚寺
うすさま明王というのがあります

トイレの神様だそうです
♪トイレ~には~

蛇塚
住宅地の中にポツンと塚があります

この塚があったために、この辺り一体を新堀村字蛇塚、と読んでいた。
地域の名前としては無くなってしまったけれど
かつての地名の記憶を残そうと、大正始めに塚が再建された

浄正寺

とても綺麗なお寺さんでした

獅子柚子

1962年、私が2歳の時、三河島駅で死者が160人という大事故がおきます


その時、遺体を100名ほど浄正寺の本堂に安置した。
慰霊碑が作られています

首相桂太郎題字の村松先生記功の碑

渋沢栄一撰文による中村宗助翁の碑

袈裟塚耳無不動

田名綱光三郎には許嫁お絹がいた
そのお絹の両親が伊都築兵馬に惨殺され、お絹が連れ去られた

おのれ、許さでおくものか
光三郎は兵馬を討つ
ところが、お絹が見つからない
いずこへーっ

8年間探すも見つからなかった
光三郎は出家し光慧(こうえ)となる

2年後吉原の遊女となっていたお絹と偶然再会
寺の金を盗んでまで吉原通いをするが、
見つかって、寺を出される

そんな光慧を助けたのが植木屋久兵衛
荒れ果てていた仙光院の住職として迎える
でも、光慧は病に犯されてしまう
耳が落ち、腰も立たなくなる
もはやこれまで
袈裟を埋めて袈裟塚とし、不動明王を安置し
村内の五穀豊穣と往来安全を祈願しつつ亡くなる
お絹は後を追い、門前の松で首を吊った

山東京伝の「三河島御不動之記」でもこの伝説をモチーフに違う話として登場する

荒川公園
荒川区役所の前が公園になっています
その前には歩道橋があるので、巨木が目の高さにドーン

山のごとき360度の滝


オブジェの数々



ウールのマフラーかと思ったら、羊やん。重おぅ

観音寺

このあたりは鶴が生息していた
徳川将軍、特に8代将軍吉宗が頻繁に訪れる
鷹狩りにおいて鶴は最上級の獲物
とらえられると、天皇に献上していた

鶴を目当てに将軍が訪れる事は特に鶴お成り(つるおなり)と呼ばれた
鶴お成りの際には観音寺を訪れる御膳所となっていた

宮地六地蔵

不思議だなあ
五つしかないような。しかもバラバラ、そもそも地蔵でない

そうなんです。庚申塚で地蔵じゃない
なのにこのあたりの人は、六地蔵と呼んでいた

良いんじゃないでしょうか
地元の人がそう言うんなら
これはまさしく六地蔵

ウォーキングはまだ続きます
続きは次回

[お出掛け]シリーズはこちら(少し下げてね)

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