新宿区の名所巡り

(1/6[土]の事です)

以前新宿区の新宿歴史博物館で入手した「新宿の文化財史跡東部編」を元にウォーキングしましょう

■国産飛行機発祥の地

ライト兄弟による飛行機の発明が明治36(1903)年
欧州各国で、飛行機へのチャレンジが活発に行われます
日本も負けじと、陸海軍の共同で明治42(1909)年に臨時軍用気球研究会が発足
そのメンバーが徳川好敏と日野熊蔵
翌明治43(1910)年12月19日午前中に徳川、午後に日野が試験飛行に成功
順番に飛んだので徳川の方が先ということになっています
この場所は、日野の方の製作所があった場所です
徳川の飛行機

■御殿山
筑土八幡の横です
3代将軍家光が鷹狩りの際に訪れるための御殿があったということです
資料によると4代家綱が住んでいたことがあるとも

■愛日小学校
ようやくコンプリート
明治の始め学制改革のもうひとつ前に日本で初めての小学校ができました
少しずつウォーキングで確認していっていたのですが、最後の愛日小学校を確認し終わりました。
嬉しい
第一校 芝 増上寺源流院 (のちの鞆絵小学校)
第二校 市ヶ谷 洞雲寺 (番町小学校)
第三校 牛込 万昌院 (愛日小学校)
第四校 本郷 本妙寺 (湯島小学校)
第五校 浅草 西福治 (育英小学校)
第六校 深川 長慶寺 (深川小学校)

■逢坂
奈良時代、小野美佐吾という人がいました。武蔵野守に任ぜられて、京都から関東へ
この地に来たとき出会ったのが、さねかづらと呼ばれている美しい娘
二人は恋に落ちる
ところが、任期が終わり京都へ戻ることになり、なくなくお別れ
美佐吾は忘れられず、さねかづらを思い詰める日々
とうとう恋やまいで病床へ
もうだめだ、せめて私のなきがらを武蔵のさねかづらのところへ埋めてもらえぬか
でも、武蔵は遠い
若草山の近くに埋めたが、その地を「武蔵野」と名付けた
一方のさねかづらも、美佐吾の事ばかりを思い続けていた
ある日夢の中でお告げを聞いた
「お前の願いを叶えよう。明日の朝、前の坂で待つがいい」
いそいそと髪に櫛を入れ、化粧を整える
朝靄が白く流れる
その中に、人影
美佐吾さま
さねかづらは泣き崩れる
長い長い時間のようにも、はたまた短い時間のようにも思われた
もう一度声をかけようとするが、美佐吾の姿はなかった
狂ったように探し回る
都からの便りで既に美佐吾が亡くなっている事を知る
翌日、坂の下で女性の遺体が見つかった
この坂が逢坂と呼ばれることになる

■浄瑠璃坂の仇討ち跡

赤穂浪士の仇討ち、伊賀越えの仇討ちとともに江戸時代の三大仇討ち

過去にウォーキングイベントで来て、みんなで寸劇をした懐かしい思い出
おのれぇ生かさでおくものか
うぎゃー

あの時はここからちょっと離れた場所
失礼しました。こんなところに案内板があったのね

■市谷の杜 本と活字館


大日本印刷(DNP)の活字に関する博物館
無料です
ものすごく面白かった

大日本印刷が作った書体は秀英体という
日本二大書体というらしい
確か築地を歩いていた時に日本の代表的な書体が開発されてという碑があったなあ
ひょっとしてそれとここなのかな

母型といって、活字を作るための型
ここに鉛を押し込んで活字を作る

面白かったのが、平仮名の母型のこの辺り
なんとぉ、今勉強している古文書の平仮名じゃありませんか

活字を拾う擬似体験ができるところがあった
夏目漱石の坊っちゃんの冒頭部分の活字を拾いましょう
分からん、全然分からん
そもそもこれ棚の中、何順に並んでんの
実は自分でちゃんと拾えたものは一文字もなく
ある程度待っていると、画面に四角い枠が現れてこの辺ですと
さらにもうちょっと経つと、四角がさらに小さくなる
それでやっとこさ

手動の印刷機を体験できるコーナー

しおりにピンクの色をつけましょう

お姉さんが説明してくれる
動画を撮影したので見てね

ぎゅううっ
あっ、きれいに出来ましたね
すごく上手です。見本よりきれいに出来てますよ
何が良いって、お姉さんがおだててくれるのがうまいうまい
(上が見本で下が私の刷ったもの)

製本する機械
一つ一つのページを糸を通して綴っていく
ガチャンガチャン




2階に行きましょう
2階にはスタッフのお兄さんがいたので、質問の嵐
長くなりますので一旦区切りましょう
ここでの続き、及びウォーキングの続きは次回

[お出かけ]シリーズはこちら(少し下げてね)

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