実家が無くなる、と、淀川

毎年、年末年始に兵庫県の実家に帰ると父さんと色んなところに出かけました
兵庫県内を何度か引っ越した昔の家を訪ね歩いたり
赤穂、姫路城、東大寺

90歳を過ぎてもしっかり歩けてすごいなあと思っておりました

去年だけは体がキツいということで一緒のおでかけはなし

そして今年
父さんは94歳になります

さすがに94歳になると、歩くのがゆっくりゆっくりになります
既に車の免許は返納しており、電動アシスト自転車に乗っていたのですが
それも3回こけて、乗らなくなった
近くに住んでいる私の妹が1日おきに世話をしに行ってくれているのですが
外出はほぼなくなり、寝ている状態が多くなった
耳が遠くなり、良く聞こえない
認知症ではありませんが、物忘れが激しくなった

でも、それだけで体のどこかが悪いということはありません
94歳ですから、仕方ありません
この状態も奇跡に近いと思っています

さすがに一人で暮らしているのが難しいということで
老人住宅に入ることになった
老人ホームではないので介護付きではありませんが
食堂に行けば食事を食べられます

家の中の家具類は回収業者に引き取ってもらい、
1/13日にはお引っ越し
今住んでいる家は買い手を探してもらっています
父さんは頑張って仕事して建てた庭付き一戸建て
もう50年になります
父さんの最大の趣味は庭いじり
最近は出来ていないものの、絶対に出来なくなる
思い出もいっぱいあるでしょう

私は大学からは東京だけど、中学高校を過ごした家
思い出はいっぱいあります
アンテナの方角を直すため、父さんと屋根に登った
母さんとの思い出もいっぱいある
さあの時の用意だと言って包装紙とかいっぱい取っていたけど
さあの時って来たんだろうか
もう年末年始の里帰りも今回で最後です。

庭や家の写真をいっぱい撮りました
妹が来たとき
父さんと一緒に、家や庭をバックに記念撮影

家の周りもゆっくり歩きました
ああ、ここに市民プールがあったよなあ
ここは友達ん家の電器屋さんだった

淀川
もうひとつ、長女のマンションの近くの話題
淀川の下流のすぐ横です
荒川放水路で衝撃を受けて以来、川にはとても興味があり
本も読んだ
マンションの近くに、「大塚切れ洪水碑」というのがあるので行ってみた

昔、淀川の堤防が決壊し、長女のマンション辺りを含め辺り一面水びたし
数日たって淀川の水位は落ち着いたのに、辺りの水が全然引かない
辺りの水位の方が淀川の水位より高くなったので堤防をわざと切って水を淀川に流し直したという場所

堤防の上に立っているんだけど、今はもうそういうことは出来ないんだろうなと思う
淀川の水位より、周辺の方がずいぶん低くなってしまっている

本によると、これは現代の宿命
川の氾濫に対する考え方が昔と今では違う
昔は氾濫する前提で考えていて、適度に氾濫することをコントロールしていた
なぜなら、氾濫したあとの土壌は肥えるので、そこが農地であればメリットもあった
農地近くで氾濫させて、市街地を守る

ところが今は人口の増大や産業の発達で氾濫による被害が膨大になり
メリットなんて言ってられなくなった
何としても氾濫さすまいと高い堤防を作る

昔なら増水時に、氾濫して上流の土砂が周辺に流れ出したけど、今はそれがない
堤防の内側にのみ、とんどん土砂がたまっていき、川底の標高が高くなっていく
そうすると氾濫の危険性が増すので、さらに高い堤防を作るといういたちごっこ

淀川の河原に出てみた

鉄橋の上に阪神電車が走っている

鉄橋ごと高さを高くして、両側の駅も高い位置に変える工事をしている

さあ、なぜでしょう

答えを言っちゃうと、実は今、堤防はずっと同じ高さではなく、一部切れちゃっている
堤防ギリギリまで増水しちゃうとそこからジャバジャバ水が溢れ出す
どこかというと、阪神電車の線路です。
堤防より低いんです
増水時にどうするかというとそこに蓋をする
赤いのが蓋。閘門(こうもん)といってガガガーっと閉まります

元は堤防と同じ高さ立ったんでしょうね
川が高くなる現代の宿命で堤防をさらにしたのかも知れない

[家族]シリーズはこちら(少し下げてね)

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