権あるものは禄少なく

大江戸開府四百年事情、という本を読みました。

へえ、知らなかった、ということがいっぱい書かれていました。

その中でいくつか紹介していきたいのですが、
江戸時代の政治の基本的方針。

ひとつは、ほとんど政府は、取締りをしていなくて、
庶民の自主的な運営に任されていたということ。
これは、粋の話に絡めて、一度お話ししましたね。

今日は、権力者って、どんなだったか。

権あるものは禄少なく
これ、知らなかったなあ。
こういうの、何で学校で教えてくれないんだろう。

徳川家康はつくづく人間ができている。
にわかに信じがたい政治における基本方針を出している。

権力と財力を分離したんです。

歴史的にも知りうる限りの、ほとんどの国は
強大な権力をもつものには、膨大な富が集まる。
贅の限りを尽くして反感をかい、市民革命が起きたりする。

でも、江戸時代は逆だったんです。

例えば、ハリスなんかは、家定に会ったときの印象として
衣服が絹で、少々の金の刺繍が有るだけで、王者らしい豪華を全く感じられなかった
と言っている。
宝石やら、金の装飾やらが何もなかったと。

老中
老中は、実質的な国の方針決定機関ですね。
正直、ほとんどの将軍は承認するだけ。

強大な権力を有しているわけだけど、
老中になれるのは、10万石以下、普通は5万石前後の譜代大名だけ。
井伊家だけが例外で35万石なんだけど、それだけ。
加賀前田家の百万石をはじめとして、石高の大きな、薩摩島津家、奥州伊達家、肥後細川家、長州毛利家は、全て遠く離れた土地に追いやられ、自分の領地以外には全く権限がない。

石高の大きな藩主も、老中には呼び捨てにされ、平身低頭。

外様大名はしいたげられて、譜代大名は思いのまま、って
イメージ有りますよね。
確かに全くその通りなんだけど、財力は全く逆だったんですね。

町奉行
町奉行なんかもかわいそうなくらいの石高。
遠山の金さんなんかでも、500石。

慣例
ただ、権あるものは禄少なく、っていう法律があるわけではない。
家康が始めた、あくまでも慣例で決まりじゃない。
でも、それが江戸の260年もの間、守られていくというのは
権力者側がその方が良いと思ったわけですよね。
決まりを作ったり、変えたり出来る権力者が
自分に不利なことをずっと守っていった。

士農工商
武士内部でもそうだけど、
士農工商って、それ以外も含めても、武士が一番貧乏。
武士は食わねど高楊子。
内職で食いつなぐ。
ああかわいそう。
身分制度って、一般的には一番馬鹿げた制度だと思うけど
こと江戸時代に関しては、一番かわいそうな武士に
プライドだけで生きていってもらうための
説得材料だったのね。

こんなの有りますか?
全世界、全時代眺めてみて、
身分の一番高いものが一番不利だって世の中。

平等ってなんでしょうね。

本の作者が言いたいこと
江戸時代が260年も続いた理由を考えましょうということ。
明治維新が衝撃的でありすぎたので、
江戸時代が対比で暗黒の時代的に言われることもあるけど
ほんとにそうですかって。

260年って一言で言うけど、明治維新から今までの年数のほぼ倍ですよね。
とてつもなく長いその間、体制の変化もなく、ずっと平和なんです。
良い時代に決まっとると。

歴史って、どうしても悪いことに目が行きがちで、
過去を反省して、ってことばかりに意味を見出だそうとする。
良いこと、から学ぶって、もっと積極的にしましょうよ、と。

ええこと言うわ。
その考え方、大賛成です。

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