般若心経、空について。

般若心経についてお話ししてきましたが
もう少しだけ

空について
空(くう)って、私なりの解釈だと、物事に境がなくなるってこと

自分とそれ以外に境が無くなるってことは
自分って言うものが無くなるんだけど
かといって、消滅って訳ではなく、宇宙全体と一体化する。

だから、空は無も有も含んだ概念ってこと。


前回、コメントで、空は点です、と教えてもらった。
すごく分かりやすいと思った。

学校の数学の授業で、点について教えてもらったことを思い出した。

点は、グリグリっと書くと黒丸で面積があるように思うでしょう
数学的には、点には面積はないんです。

先生!
面積がないってことは、無いってことですよね。
何で見えるんですか。

良い質問ですね。
無いのに見えるんですね。
それが数学の面白いところです。

ごまかしたな、とは思いましたが
何だか点が好きになりました。

無いのに見える。
無いくせに存在をぐいぐい主張してくる
点がなきゃ、数学は成り立たないぜ
ほれほれ、って。

有るのに無くて、無いのに有る
空と一緒ですね。

色即是空、のあとに、空即是色、と有るわけです

山に行く
頂上に立ち、回りを見渡す。
壮大な景色が広がる。
深呼吸する。
ああ、すごいなあ、この世界に比べれば私なんてちっぽけ
って、普通はなりますが
空が分かってると、
ああ、この広い世界といっしょなのか。私はなんて広いんだ。

3次元
この、境が無いっていうのが、何と、時間の軸でも同じ。
これすごいですね。
生死って、それまで有った筈の命が、ある時を境に無くなるわけですよね。
それが無いわけだから、死なないことになる。

それが悟りってやつ。
般若波羅蜜多(はんにゃはらみた)

仏教って生まれ変わり、って良くないことなんですね。
いつまでも生まれ変わって続いてしまう
輪廻の世界から、解脱(げだつ)するという言い方。

例えば、空海(弘法大師様)は、自ら手本を示そうと
何も食さず、座禅をしたまま、即身仏となった。
死んじゃった訳ではなく、永遠の仏の世界に行った。

生死だけではなく、諸行無常。
おごれるものは久しからず。

いろはにほへと、はその事を歌っている

色はにほへど、散りぬるを
我が世、誰ぞ常ならむ
有為(うい)の奥山今日(けふ)越えて
浅き夢見しえひもせす。

有為がすごいよね。
完全に仏教用語。空と同じ意味。
深すぎます。
弘法大師様が作ったんじゃないかという説もうなづけます。

自分に都合よく
有るだの無いだのの、言葉遊びにはあまり意味が無いかもしれない。

要は自分に役立つ解釈をすれば良いんじゃないかな。

私は性格的に自分に甘く人にも甘い。
誰が何しようと、良いんでないの?
でも、人が私の事を攻撃してきた途端、
ころっと大きく変わってしまう。

何とか、その人の事を言い負かそうと、
頭の中で何度も何度もシミュレーションしてしまう。
こう言われたらああ言おう、って
ずっと、そればっかりが頭の中を渦巻き続ける。

ということが、自分で嫌になってくる。
基本、私は自分大好き人間なんだけど、ここだけ。

これに空を使う。
腹立つあいつも、自分と一緒か。
ギャーテーギャーテー
何考えてたんだろう。
あほくさ。

死ぬのが怖いって人は便利でしょうね。
ギャーテーギャーテー

自分に自信が持てないっていう人も、とてもうまく使えますね。
あんな風になりたいって人をじっと見つめて
ギャーテーギャーテー
あのイチローとだって一緒。

都合の良いとこだけ使っても全然大丈夫。
仏様は何だって許していただけます。
ねっ

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