[岩宿] 一家団らん

[岩宿] 相沢忠洋というひと
の続きです

相沢忠洋さんの書いた「岩宿」の発見、から

一家団らん
「岩宿」の発見、の本には繰り返し出てくるキーワードがあります
一家団らん

相沢忠洋がなぜ学者でもなく、学校すら出ていないのに、
旧石器時代の発見という大偉業をなすに至ったか

そこには、分かりがたい執着した感覚があり
それが「一家団らん」だった

相沢少年が8歳の時、鎌倉に移り住む
父母と三人の妹との6人家族
その後弟も産まれ5人兄弟

とても楽しい一家団らんの日々
ただ、それは1年数ヵ月でしかなかった

お父さんの家系は芸能の名家
お父さんも笛の名手で、次第に家を離れ、地方に公演に出かけるようになる

そんな中でもかろうじて夕食が一家団らんの場になっていたが
転機が訪れる

すぐ下の妹がかぜがもとで死んだ

この時、お父さんは九州地方に行って不在
電報は打ったが行く先が分からなかった

十日あまり過ぎた夕方、ひょっこり帰ってくる

和江が死んじゃった

父母が夜遅くまで、話していたが話の内容は分からなかった

それから数ヵ月たったある日
家に親戚が集まっていた
ただならぬ雰囲気
「生木(なまき)を裂くようなことをしなくても」
という、おじさんの声だけが聞こえた

数日後、夕食の支度をしているはずのお母さんの姿が見えなかった
お父さんが黙りこくって夕食の支度
妹たちは泣き出してしまう
その日は何時になっても寝付けなかった

翌日、11過ぎに母の姿があった
滝のように涙が溢れ、母にしがみつく

「ばかだねえ、どこへも行きやしないよ」

数日が過ぎて、ようやく安心して眠れるようになった
ところが、ある日目が覚めると、母の姿がない
近所を探してもどこにも

お母さんのばか、ばかばか

それから数日は目まぐるしかった
まず一歳になったばかりの弟が父におぶさっていなくなった
妹たちも、次々に父に連れられて、いなくなった

最後に忠洋は、杉本寺という寺に預けられることになった

土器片
時間は少し遡る
妹が亡くなってすぐあとの頃
近くで軍関係の官舎が作られる工事が始まった
その工事現場から土器片が出てくる

工事現場に遊びに行っていた忠洋少年は、その土器片に強く惹き付けられる
もらっても良い?

昔のものであることは分かったが
それが何であるかは分からない
もらうたびに箱に並べてコレクションしていた

あるとき、工事現場に見に来た人がいた

この間のはまだ持ってるかい。
このおじさんたちが見たいとさ

早速持ってきて見せた

これって何なの?

これは、まだ電気も何もなかった大昔の人が使ったものなんだ
昼間はお父さんが狩りに出かけ
お母さんはこんな焼き物を作る
夜にはお父さんが捕ってきた獲物を見せて
いろりの火を囲みながら、その日にあった事を話し合うのさ

その情景が少年の心の中にじいんと染み込んだ

その時以来、土器片は「一家団らん」の象徴になる
土器片を追い求める事は
一家団らんを追い求める事と、全く同じになった

続きはシリーズの次回

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伊勢神宮。内宮へ

伊勢神宮。これでようやく死んでも良い
伊勢神宮。せんぐう館へ
の続きです

外宮が終わり、さあ内宮へ
伊勢市駅のコインロッカーに荷物を預けていたのを取りに一旦駅まで戻ります
そうこうしているうちに雨が降ってきました
結構の荷物で、なおかつ雨
本来ならば、内宮へ30分ほどかけて歩きたいところですが
軟弱にも、バスに乗ってしまいました

内宮
まずは腹ごしらえ
内宮の近くで伊勢うどんを食べました

伊勢うどんって初めて食べたんですが、びっくり
ねちょっとしてるんですね。これはこれで美味しかった

ガイド本の通りに回りましょう

宇治橋


この杭は、五十鈴(いすず)川を流れて来るものから、橋を守るため
この橋も式年遷宮で作り替えられるそうです
橋の上からの五十鈴川

神苑
実にきれいに整備されているお庭

五十鈴川手洗い所
手水舎でも手を洗うが
さらに五十鈴川で手を洗う
この石畳は、5代将軍綱吉のお母さん桂昌院が奉納したもの


あまりに水が綺麗なので、吸い込まれそうになります

正宮
いよいよです

この奥に、三種の神器の八咫鏡があるのか
感動

旅行業務取扱管理者に受かりますように

その他の各社でも、全部お願いしましたので
もう合格間違いなし

近くにいた人が
伊勢神宮では住所氏名を言うだけで、個人的なお願いはしないんだって事を言われていましたが
聞かなかった事にいたしましょう

御稲御倉(みしねのみくら)

唯一神明造りが目の前で見れます
さっきせんぐう館で神明造りを作る手順を勉強してきたのでおさらい
おおっ、確かに確かに

荒祭宮(あらまつりのみや)

風日祈宮(かざひのみのみや)


子安神社と大山祇(おおやまつみ)神社

新緑に光が当たって実に綺麗だった

おかげ横丁
雨にも関わらず大混雑
お洒落な店がいっぱいありました

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伊勢神宮。せんぐう館へ

伊勢神宮。これでようやく死んでも良い
の続きです

月夜見宮
一通り回ったところで、案内板を見ると、月夜見宮が近くにあるではありませんか
ガイド本では、少し遠かった印象なのであきらめていたのですが
近そうだから行ってみようかな

後で調べると、遠かった方は月読宮
同じ月読命(ツクヨミノミコト)を祀っている
良かった良かった
近くて得した


こちらは外宮に比べると参拝者が少なめ
静かにお参りできます

月読命(ツクヨミノミコト)は、月の神様で、天照大御神の弟でスサノオのお兄さん
千木(ちぎ)は外削(そとそぎ)なので、男性の神様の位置づけです

外宮に戻ってきました
あとで行こうと思っていた「せんぐう館」に参りましょう

すごく良かった
お伊勢さんに行くなら絶対行った方が良いと思います
「へええ」「ほおお」を何回言ったことか
でも、残念
写真NGなのよね
あああっ、ここ写したいーって言いながら回りました
ネットに出ている写真を拝借しながら説明します

20年に一度行われる式年遷宮がなぜ行われるのか
という理由が説明されているのかと思っていたんですが
それよりは、式年遷宮の際に、どういう儀式が行われるか
どういう風に新しい建物が建てられていくか

そして、唸らされたのは「御装束神宝(おんしょうぞくしんぽう)」
ものすごい手間隙かけて作られる調度品
よくもまあ、こんな細かいところまで美しく仕上げるのかとため息

20年に一度ずつこれらも作るんですって
神様に捧げるためだけに

美の局地


圧巻だったのが、正宮の実物大模型
下から見上げるとど迫力

作られていく過程をCGで再現した映像も流れていて
おおっおおおーーっ

せんぐう館の中から隣の勾玉池を見れます
これがまた素晴らしかった
中から外なので写真は大丈夫かとパシャリ


数々庭園は見てきましたが、その中で最高レベルのお庭でした

このあと、内宮へ向かいます
続きはまた

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伊勢神宮。これでようやく死んでも良い

ゴールデンウィーク
関西に来ています

父さんが老人住宅に入って初めて面会に行こうと思います
それに先だって、大阪の長女夫婦のところに泊めてもらい
長女夫婦と一緒に行きます

となると、せっかく関西方面に行くんだから
関西方面でどこか観光に行きたい

超大物の東大寺と金閣寺は行ったので
残る超大物
伊勢神宮だ

私のいた兵庫県で、当時中学校の修学旅行はお伊勢さんと決まっていたので
行っているはずなのですが、覚えているのは、
親戚のおばさんに赤福買ってきて、と頼まれた事くらい
「行っていない」のとほぼ等しい

歴史の勉強をするたびに
一生に一度はお伊勢さんに行かないと死ねない
という庶民の気持ちが分かる気がしてきている

さらに今全国の観光地の勉強をし、観光の業界に挑戦しようとして
伊勢神宮に行かないわけにはいかない

朝5時に起きて出発だ

外宮
にわか仕込みでガイド本を読む
外宮から先に行かないといけないらしい
はい、分かりました

ああ、来れたんだ

ガイド本の順番に回りましょう
(るるぶ伊勢神宮から引用)

まずは一番メインの正宮

中は撮影NGなのでここまで

構成としてはこうなっている

横が同じ広さで確保されていて、式年遷宮でまるまるポコッとお引っ越し

このあと、いくつもお詣りに回ります
多賀宮

土宮

風宮

木の太さがどれもこれも尋常じゃない
ひとつならまだしも、どれもこれもが見たこと無いような太さ
特別な場所が、ずっとずっと続いているんだなあと感じる

亀石

絢爛豪華なすごさではなく
あまりに何も無いシンプルな事のすごさ

鳥居は極めてシンプルな神明鳥居

稲妻型の紙垂(しで)もない
その代わり、鳥居に付いているのが榊

ガランガランと鳴らす鈴もない

狛犬もいない

おみくじもない

神社ってこうですよ、というスタイルが確立される前の形が
変えられることなく、そのまま続いている

ない、ってことでの特別な感覚
とても太い木々たちのかもしだす雰囲気

ああ
ここは伊勢神宮なんだ

一生に一度は行かないといけないと思いつつ過ごし
実際に来れた時に
やっぱり特別な場所だったんだ
来れて良かった、と思ったろう

これで、いつ死んでも良い

続きはこのあと

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