[ココシャネル]6歳。私にはもう私しかいなかった。

ココシャネルのピンクの本シリーズです。

ココが母を亡くしたのは12歳のとき
父は5人の子供たちを孤児院や農家にあずけ
行方をくらました。

解散!
ってそんな話、日本でも話題になりましたね。

6歳
でも、ココはさらに前、6歳の時から一家離散の予感を感じていたといいます。

私は親に頼っちゃいけないんだ
甘ったれるな、しっかりしろ

6歳ですよ

でもここまでは、
あまり恵まれない境遇に生きた人は共通すると思う。
ココはこのあとがすごいと思う。
考え方。

でも
私には私しかいないんだ。
でも、私には私がいるじゃないか

「私」の心の声に耳を傾け、もっともっと「私」と親密になろうとした。

「私」は最強の友達。私の味方。
これは悲劇とは違う。
世間の人たちが言う「かわいそうに」は見当外れよ。
わたしにはふさわしくない。

境遇を恨む、というようなそういう方向ではなかった。
ただ耐える、でもなかった。
自分を愛するという解決方法。

おそらくこういう事じゃなかったろうか

困ったわ。
どうしようか 私
うん、そうね
あなたらしいと思うわ
賛成!

ピンクのココシャネル。変態じじいかっ

近くのスーパーの中にクリーニング店があります。
いつものようにクリーニングを出しに。

スーパーって、レジの近くに雑誌とか置いてあるところがあって
ちょこっと本とかも置いてある。
これがなかなか侮れなくて、
あれ、面白いじゃないこれ、ってのがある。
結構何回か、買っています。

チェックチェック。
「ココシャネル力(りょく)」という、
どピンクの表紙でキティちゃんのイラストの文庫本。

今日は、こんなのしかないのか。
一応、パラパラパラッ。
ココシャネルの名言集的な感じ。
キティちゃんのイラストがちりばめられ
可愛く仕上げてある。

まあ、こういう本もあるよね。
名言集って、役に立ったことないよなあ

あれ?
この表現、面白いじゃない。

普通の名言集と、言葉の言い回しがちょっと違う。

・後悔なんて退屈だわ
・家もなく、愛もなく、父母もいない。でも私は生きている。他に何を望むの?
・思ったままを言う。それで始まり、それで終わるわ。
・私の資本は私よ。
・何歳だっていいじゃない。あなたには関係ないわ。

ただもんやないで、このネエちゃん。

ちなみに関西人の内で半数を占めるかもしれない「下品な関西人」の場合
仕事をしている女性は全部「ネエちゃん」です。

キャビンアテンダントの場合は「スッチャデスのネエちゃん」
おぞましいですね。
絶対に近づいてきてくれませんね。

お洒落
私とは全く無関係な世界。
お洒落なんて、とんでもなくむずがゆいし
ブランドにこだわるような女性には近づかないようにしてきた。

ココシャネル?
確かCがふたつ。
辛うじてここまで分かる。
エルメスになると訳が分からん。
他は知らん。

見事なまでにお洒落に興味がない。
かっこ悪いことで目立とうという、標準的関西人。

不思議なもんですね。
余りにも逆の世界だと、興味が湧いてくる。

ブランド
ピンク
可愛いキティちゃんのイラスト
名言集

買わない理由がいくつも重なっておそいかかる。

どうやって、レジを通過するよ
他に買うものがない。

ここで、変な挑戦意欲がメラメラと
やってやろうじゃないの。

買っちゃった
娘に言ったら、大体反応は予想できます

気持ち悪い、こっち来ないで。

カミさんに見つからないよう、そっと鞄にしまいました。

カミさんにバレたら、おそらく考えるものがあるでしょう。
そして、覚悟する。

いよいよ来たか。

通勤電車
通勤電車が楽しみです。
若い女性が座っている前に、私がつり革を持って立ち、この本を読む。
おそらく、二度見をするでしょう。
その後、目を合わさないように、静かに目を閉じ
自分の記憶を消し去るように努力する。

私は何も見なかった。

ご紹介
せっかくですから、ひとつご紹介しましょう

■欠点を隠しちゃだめ
かえって目立つわ

女たちはいつも思い違いをしているわ
自分の欠点を魅力として扱うかわりに、隠してしまう。
隠すのではなく、もっと遊び心を持って工夫することを覚えなくっちゃ
もしそれができたら、全てを手に入れられる。
もっと頭を使うことね。

よく女たちがこぼすの
足が太いのが悩みだって。
だから私は言うのよ。
その足があなたを支えているんでしょう。
あなたが足を支えているのではないわ。
それは大切なことよ。
美しい足をしているからって幸せになれるとは限らない。

イキイキしてれば醜いことなんてないのよ
自分で考えたり実験したりして、工夫すれば出来ること
なぜやってみないの?

パッとしなかった福沢諭吉

人生に悩んだら「日本史」に聞こう、シリーズです。

福沢諭吉
福沢諭吉は豊前中津藩の下級武士の次男で生まれました。

中津藩は10万石の小藩で
幕末の激動で特段パッとした働きをするわけでもありません。

もし諭吉が、薩摩や長州に生まれていたら
どんなにも

ん?
そうだろうか


人生に悩んだら「日本史」に聞こう、という本は
面白い視点の歴史書です。
人生で迷いが生じたときに
過去の人達にてらして、
こんな考え方、こんな生き方も良いんじゃないか、って
一緒に考えてくれる本。

本では、この環境こそが諭吉に合っていたんじゃないかと言います。

薩摩や長州に生まれていたら
あれだけ優秀な諭吉のことだから
政治の世界に引っ張り込まれたろう

それは諭吉のやりたい事ではなかった。

中津藩は、パッとはしないかも知れないけど
藩士の教育には熱心だった。

大阪の緒方洪庵(おがたこうあん)の適塾への留学を許可してくれた。
諭吉にはそれで十分だったんでしょうね

そして、その後、咸臨丸(かんりんまる)に乗って
アメリカへ渡って西洋文化にふれることになる。

環境
下級武士というのも良かった。
重要な地位にあれば、体制側に回らないといけない。
そして、次男。
自由に立ち回る事が出来る。

結果として、この環境こそが
民間の立場で、「教育」という道に邁進できるベストだったと言える。

維新後、当然新政府に誘われる。

一緒に新しい日本を作っていかないか。

おそらく、その時、胸を張って堂々と答えたに違いない。

いいえ。
私は、違った道で、新しい日本を作りたいと思います。

維新前に江戸で開いた蘭学塾。
慶應義塾大学へと発展させていく。

自分にとって
こんな風に思う。

ひとと比較するから、環境って、ときに不幸なものに映る

環境ってどうしようもないものがどーんとあって
その中に自分が置かれている?
そうだろうか。

環境の中で常に自分は呼吸している。
吸って、吐いて、吸って、吐いて

自分だって環境だって
少しずつ少しずつ、
お互いに馴染めるように変化していくに違いない。
時にはチョイスして環境を入れ替えることだって出来る。

長い目でみたら
環境は自分にとってベストなもの

天は人の上に人を人を作らず

比較さえしなければ
環境はベストフレンド。

最近
最近、会社や職場で色々あった。
息詰まった。

環境との呼吸がうまくいかなくなった。

随分迷った。
正直、
それ、どうしても我慢できないほどのことなのかと
言われれば

我慢しようと思えば出来る
が答。

それくらいのことは出来る年齢にはなった。

争いたく無かった。
争う人生は嫌だ。
何も良いことが無かった。

とすると
選択肢は二つになった。

我慢してそのまま進むか
環境を入れ替えるか

「良く生きる」という命題があるならば
前者を選ぶべきなんだろう。

後者は、熱血ドラマ風に言うなら
「逃げるのか!」

でも、我慢は、心の中で毎日「争う」ことになった。

彼はこう言った。
でも、間違っている。自己矛盾を起こしているよね。
口に出しては言わないけどね。

良い生き方より
楽しい生き方を選びたい。
もう、先はそれほど長くない。

自分の中に嫌な自分を生み
でも、それを押し殺す。

そんなことが「良く生きる」事なんだとすると
選びたくない。

静かに、その環境にサヨナラすることで
嫌な自分を作らずに済むなら
そちらを選びたい。

このあとの人生
楽しく生きたい。

現場及び会社を変わって1ヵ月弱になりますが
いやあ、こんなに違うかね。
毎日が気分爽快!

ノンプログラミング。そして終わる。

ノンプログラミング。
ビッグチャンスを逃した話はしましたね

絶対大丈夫だから
そんな情報ばかりだった

色んな事をストップしてしまった。

元々赤字。

一発逆転の話がなくなって
もう一度気持ちを入れ換えることの難しさ。

ある紙
ある紙が事業部の全員に渡されて
これに署名捺印してくださいと。

書いてあったのは
ノンプログラミングは、会社に権利が所属します。

事業部のメンバーは特に関係無い。

ターゲットは私だけ。

随分迷った。

青色LEDの例がある
社内で行った開発行為でも
極めて特定の個人の資質によるところが大きければ
その個人に所有権がある

裁判をすれば、勝てる自信がある。

もし、署名したら
あることが行われる予感がした。

予想的中
署名捺印してから、ちょうど一ヶ月後
呼び出された。

会社をやめてもらう。

今後一ヶ月間の給料は出すので
今日、やめてください。

時期
時期が重なったんです。

18kgのダイエットが実現し
体を動かすことが楽しくなった。

ずっと、それまでずっと長い間、徹底した仕事人間だったのに
仕事以外にも、面白いことがあるって分かってしまった。

そして、ブログを始めて、2ヶ月くらいたった頃だった。

私の人生シリーズで
IT業界に戻ってきたときのブログで
4つの時期に分かれます
と言いました。

1.ハッタリ期
2.ひたすら期
3.ノンプログラミング期
4.別の価値観へ

あんなにノンプログラミングにこだわって
世の中を変えるんだと。
執念だった。
そのためには、つぶれると分かっている会社に入ったりもした。

なのに、すーっと、熱が引くように。
そして、別の価値観が頭をもたげた、
ちょうど、その時期だった。

そうでなければ、戦っていたかもしれない。

楽しかったじゃないか。
こんな幸せはなかった。
一人でも分かってくれる人が出てきたら
もうその時はさっと死ねる、
と思ってコツコツやって来た。

一人じゃなかった。
仲間も分かってくれたし
心底分かってくれたお客さんもいた。

十分だ。
十分すぎる。

大丈夫。
燃え尽きる訳じゃない。

もっと幸せになれる方法が分かった。

人生
私の人生シリーズ

一旦の区切りを迎えます。
このあとは、リアルタイムにブログでお伝えしていますので。

どうでしたか。
まあ、変な人生でした。

もし、ずっと私のブログを読んでいただいていたとしたら
ひょっとして、
このシリーズだけ、違和感を感じられたかもしれません

現在のブログでの印象は「ぼわぁっ」とした感じかもしれません。
このシリーズだけは「ギラギラ」?

価値観と人間が変わっちゃったのかな

でも、どっちの自分も好きなんですよね
良い悪いの問題じゃないんでしょう。

前より今の生き方の方が良いと言うつもりはない。
ただ、変わったという事

色んな生き方があって、人それぞれ

そんなこと、頭では分かっているけど
自分で体験し、もうひとつの価値観を味わうことが出来て
実感としてしみじみ分かる。

違う人生に踏み出そう。

そして、それから2年半が経過した。
新しい人生に馴染んできた。

もうあと、ほんの数年で定年を迎える
ワクワクしてきた。

次はどんな人生にしようかな