パッとしなかった福沢諭吉

人生に悩んだら「日本史」に聞こう、シリーズです。

福沢諭吉
福沢諭吉は豊前中津藩の下級武士の次男で生まれました。

中津藩は10万石の小藩で
幕末の激動で特段パッとした働きをするわけでもありません。

もし諭吉が、薩摩や長州に生まれていたら
どんなにも

ん?
そうだろうか


人生に悩んだら「日本史」に聞こう、という本は
面白い視点の歴史書です。
人生で迷いが生じたときに
過去の人達にてらして、
こんな考え方、こんな生き方も良いんじゃないか、って
一緒に考えてくれる本。

本では、この環境こそが諭吉に合っていたんじゃないかと言います。

薩摩や長州に生まれていたら
あれだけ優秀な諭吉のことだから
政治の世界に引っ張り込まれたろう

それは諭吉のやりたい事ではなかった。

中津藩は、パッとはしないかも知れないけど
藩士の教育には熱心だった。

大阪の緒方洪庵(おがたこうあん)の適塾への留学を許可してくれた。
諭吉にはそれで十分だったんでしょうね

そして、その後、咸臨丸(かんりんまる)に乗って
アメリカへ渡って西洋文化にふれることになる。

環境
下級武士というのも良かった。
重要な地位にあれば、体制側に回らないといけない。
そして、次男。
自由に立ち回る事が出来る。

結果として、この環境こそが
民間の立場で、「教育」という道に邁進できるベストだったと言える。

維新後、当然新政府に誘われる。

一緒に新しい日本を作っていかないか。

おそらく、その時、胸を張って堂々と答えたに違いない。

いいえ。
私は、違った道で、新しい日本を作りたいと思います。

維新前に江戸で開いた蘭学塾。
慶應義塾大学へと発展させていく。

自分にとって
こんな風に思う。

ひとと比較するから、環境って、ときに不幸なものに映る

環境ってどうしようもないものがどーんとあって
その中に自分が置かれている?
そうだろうか。

環境の中で常に自分は呼吸している。
吸って、吐いて、吸って、吐いて

自分だって環境だって
少しずつ少しずつ、
お互いに馴染めるように変化していくに違いない。
時にはチョイスして環境を入れ替えることだって出来る。

長い目でみたら
環境は自分にとってベストなもの

天は人の上に人を人を作らず

比較さえしなければ
環境はベストフレンド。

最近
最近、会社や職場で色々あった。
息詰まった。

環境との呼吸がうまくいかなくなった。

随分迷った。
正直、
それ、どうしても我慢できないほどのことなのかと
言われれば

我慢しようと思えば出来る
が答。

それくらいのことは出来る年齢にはなった。

争いたく無かった。
争う人生は嫌だ。
何も良いことが無かった。

とすると
選択肢は二つになった。

我慢してそのまま進むか
環境を入れ替えるか

「良く生きる」という命題があるならば
前者を選ぶべきなんだろう。

後者は、熱血ドラマ風に言うなら
「逃げるのか!」

でも、我慢は、心の中で毎日「争う」ことになった。

彼はこう言った。
でも、間違っている。自己矛盾を起こしているよね。
口に出しては言わないけどね。

良い生き方より
楽しい生き方を選びたい。
もう、先はそれほど長くない。

自分の中に嫌な自分を生み
でも、それを押し殺す。

そんなことが「良く生きる」事なんだとすると
選びたくない。

静かに、その環境にサヨナラすることで
嫌な自分を作らずに済むなら
そちらを選びたい。

このあとの人生
楽しく生きたい。

現場及び会社を変わって1ヵ月弱になりますが
いやあ、こんなに違うかね。
毎日が気分爽快!

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