[歳時記]5/1 世界初の切手が発売される

おもしろ歳時記から、5/1でもうひとネタ

5/1
世界ではじめての切手は、1840年5月1日にイギリスで発行された。
1ペニーと2ペニーの2種類で、図柄はどちらもヴィクトリア女王の肖像をあしらったものだった。

当時、切手を発行している国がほかにはなかったので、国名を入れる必要がなかった。

その習慣がいまでも続いており、イギリスの切手には国名が刻まれていない。

切手のアイデアそのものは、それ以前にもスウェーデンやオーストリアなどで考えられていた。
だが、結局、採用されなかったために、イギリスが世界初の栄誉を受けることになったのだ。
当時のイギリスには、郵便制度の改革を主張して、
その推進を任されたローランド・ヒルがいただけに、
新しい制度を取り入れやすかったのかもしれない。
彼はのちに「切手の父」と呼ばれるようになった。

当初、切手の裏のノリを舌でなめるのは、女王陛下の背中をなめているようだとか、
ノリをなめると舌ガンになるなどという意見もあったという。
それでも手紙の取り扱い量は倍増したというから、ほとんどの国民がこの制度を歓迎したようだ。

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[歳時記]5/1 すずらんの日。幸せになってね

5/1
フランスやイギリスでは5月1日を「スズランの日」として祝う風習がある。
この日にスズランの花を贈ると、贈られた相手は幸福になるといわれている。


また、心が離れていく恋人に贈ると愛が復活するともいわれている。

スズランは、その形から「天国への階段」とか「5月の小さな鐘」と呼ばれている。
また、純白で可憐なその姿から、「純潔」という花言葉が生まれ、
「聖母マリアの花」とされている。

16世紀、ヨーロッパでスズランの栽培が始まって間もなく、
スズランを贈る風習が生まれました。
シャルル9世が宮廷の婦人方に贈ったのが始まりで、
その後、19世紀末頃には、一般の人々の間でスズランを贈る風習が定着していったそうです。

パリ近郊の人たちは、森に自生しているスズランを摘み小さな花束にして、
パリの街角でスズラン売りをします。
この時ばかりは、「誰でもスズランを売ってもよい」ということになっているのだそうです。

そんな可憐なスズランは有毒な植物でもある。
もっとも同時に薬効もあり、ヨーロッパではこの草でつくった水薬を、
リウマチや通風、ねんざなどの治療に使用していたという。
かつて、森の守護神が毒蛇退治の際に負った体の傷を、
スズランの花によって癒した という伝説があるのも、
そんなスズランの薬効をあらわすエピソードかもしれない。
また、スズランには、異性を自分になびかせる媚薬の効果もあるといわれる。

こうした効果が「スズランの日」の風習につながったのでしょう

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[歳時記]4/30 図書館の日

4/30
1971(昭和46)年に、日本図書館協会は4月30日を「図書館記念日」に制定。
1950 (昭和25)年のこの日に図書館法が制定されたことにちなんだものだ。

図書館といえば、現在では本だけでなくビデオやCDなども借りられるが、
そもそも最初の図書館はいったいどんなものだったのだろうか。

日本では、大宝令で図書寮が置かれていたように古代から図書館があり、
中世から近世にかけて、各地に施設がたくさんつくられた。
本格的な近代図書館は、
1872(明治5)年、湯島聖堂内にオープンした書籍館(しょじゃくかん)であった。

残念ながら、書籍館自身は写真が見つけられませんでしたが
当時の湯島聖堂はこちら

動物園・植物園を含む総合博物館の一環として書籍館の建設を計画した。

明治2年、政府は徳川幕府の開成所・昌平坂学問所・医学館などの文教施設を併合して
大学校を設立した。

それと同時に、紅葉山文庫をはじめとする旧幕府の書籍類を接収して、
紅葉山文庫本は太政官へ、
昌平坂学問所本は大学へ、
医学館本は大学東校へ、
蕃書調所本は大学南校へとそれぞれ引き継いだ。

博物館の開館にともない各官庁に継承された書籍類を1ヵ所に集め一般公開するため
文部省は書籍館を設けた。
これがわが国における近代図書館の始まりである。

開館時の書籍館は、東西10間(約18メートル)、南北8間(約14.4メートル)の建物の2階に
閲覧所が設けられていた。
蔵書は、約1万3千部、約13万冊を超えていたと伝えられている

その後、明治7年に浅草に移転。浅草ぶんこという名前になります

一方、世界史的に見ると図書館の起源はさらに古い。
発見された最古のものは紀元前3000年ごろに栄えた古代バビロニアの聖地
ニップール神殿の図書館だ。
ただし、蔵書は 紙の本ではなかった。
当時シュメール人たちが使っていたのは人類最古の絵文字。
それを葦の葉で粘土板に刻むことによって楔形文字が発達していった。
だから、図書館の蔵書といっても、紙ではなく粘土板だった。

図書館には、とてもお世話になっています。
なんと驚くべきことに、本をただで貸してくれます。
親切です。

そして、ざっと目を通して、手元に置いておきたいとなって初めて
本を買えば良いので経済的です。

図書館ありがとう

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[歳時記]4/27 ソクラテス死去

「おもしろ歳時記」から、4/27でもうひとネタ

4/27
紀元前399年4月27日、ギリシャの大哲学者、ソクラテスが死んだ。
彼の思想はアテナイ市民に受け入れられず、告発されて死刑宣告を受け、
自ら毒薬を飲んで自殺したといわれている

悪妻
ソクラテスといえば、悪妻クサンチッペの存在だ。
なにかと口うるさく意地悪な女で、周囲の人たちも閉口していたという。
夫に頭から水をかけるといったことも日常茶飯事。

ところが当のソクラテス本人は、こんな悪妻の存在もまったく気にしないで、
「よい妻を めとれば幸福になれるし、悪妻をもらえば哲学者になれる」
といって、周囲に結婚のよさを説いていたという。
一説では、「クサンチッペのような女とうまくやれれば、
誰とでも円滑な関係が保てる」と話していたともいわれている。

この悪妻伝説は後世に誇張されたつくり話っぽいですが

夫婦
私は十分に哲学者になれる要素は持っています
カミさんはトンでもない性格ですので

でも不思議なもんです。
長い間一緒に暮らしていると、カミさん自身がどうかということを超越して
その年月が作り出す「何か」に包み込まれるように思います。
居心地というのかなあ

大口あけて寝ている姿をみて、愛らしいとさえ思います。

最初に持っていたはずの「愛情」はとっくの昔に変質しているけど
夫婦の事は夫婦にしか分からない、って良く言うその
我々だけの特別な「夫婦の形」ができたんだなあ、と思う

「夫婦」になったんだな

ソクラテスもクサンチッペと「夫婦」になったんじゃないでしょうか

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