カミさんの田舎はすごいとこ(バスの間隔)

バスの間隔
飯田線で東栄まで行けるのが2時間に1本という話はしました。
田舎シリーズ恒例のクイズです。
東栄からある場所へ向かうバスは、さあどれくらいに1本でしょう。

問題の出し方から2時間に1本より長そうですね。

思いきりのいい人はこんな答えを言うかも知れませんね。
午前と午後で1本ずつ。
ブッブー。不正解。

答え
正解は
1週間に1本

そのバスは、病院がサービスで運行しているバスで病院の利用者以外も乗って良い。
特定の曜日に、行きと帰りで1本ずつ。
帰りのバスに乗り遅れたら、1週間帰れません。
行きだって乗り遅れたら、一週間診察もしてもらえないし、薬ももらえません。

普通のところでそんなことがあったら大変ですね。

お前、先週1週間、何で会社に来なかった。
ちゃんと説明しろっ。

バスに乗り遅れました。

?
・・・

今日はもう帰って良いよ。

五十肩が治った?

治ったのかな
「これが五十肩なのか」のコラムを書いたのが、8/13
それほど経っていないんですけど。
あれれっ。
痛かった右肩が、数回であれば、ぐるぐる回ります。
一応「治った?」のはてなをつけさせてください。
昨日今日が調子いいだけかもしれない。

五十肩はこう治す
「五十肩はこう治す!」という本を読みました。
かなり良い本です。
症状別に、色々あるので、五十肩の方は是非読んでみてください。
いっぱい色んなことが書いてあるんですが、要約すると2つ
1.猫背を治す。
2.伸びた筋肉を元に戻す。
出ました、得意の猫背です。
猫背は、過去にとてもいい本と出合っていますから全然大丈夫。
改めて、再度これについてはちゃんとお話ししましょう。

私の場合は、特に2番だったと思います。
そして、レベル1.5くらいで早めに対策を取っていったのが良かったのかもしれません。
本にも書いてありますが、人によって色々です。
「少なくとも私は」という言い方をさせてください。
パカッとはまっていなかったんだと思います。

これについては、本ではそういう表現はしていないんですが、私なりに解釈したイメージです。
肩の仕組み自体はちゃんと理屈として理解できていました。
筋肉がついていっておらず、微妙なところで肩関節がちゃんとはまっていなかった。
肩関節は、股関節とともに球状関節です。
左手でグローブのように広げ、右手でこぶしを作ってぐりぐり。
そんなイメージ。
杵と臼のような関係。
ところが、肩の骨を臼の方にぴったりとくっつけるだけの筋力が衰えていたために、ちゃんとはまらず浮いていた感じ。
回そうとすると、ちゃんとはまっていないから、ギシギシいうし、周りの細かい筋肉や神経を噛む感じになって痛たたたっ。

仮説は全部当たっていた?
おそらく「これが五十肩なのか」で仮説としてあげたことはすべて正しい気がする。
1.加齢。これが、4つあるつなぎとめるための筋肉が、伸びちゃった一因。
2.ウォーキングのしすぎ。これもおそらく当たっている。
 背中のダメージを恐れるあまり、90度腕振りをやめて、だらんと腕を下げ、揺れるに任せている。
 さっき、肩を繋ぎ止める筋肉の気持ちになって振ってみたが、遠心力が働くので結構伸ばされる感じがする。
 肩的には、90度腕振りの方が、伸ばされる感じがない。
 毎日の、ウォーキングでダメージを受けたのかも知れない。
3.ウォーキングのやりかたが悪い
 90度腕振りをすべきかどうかは、背中が痛いか肩が痛いかによって変えるべきという結論。
 今は、肩が痛いので、90度腕振りをすべき時期。
 特に、繋ぎ止めるための4つの筋肉、棘上筋(きょくじょうきん)、棘下筋(きょっかきん)、小円筋(しょうえんきん)、肩甲下筋(けんこうかきん)は、90度腕ふりで鍛えられていく。
 おそらく、微妙な「ぱかっ」の話なので、90度腕ふりを再開して今までだけでも筋力がそれだけ分ついてきたのかも知れない。
もちろん、それだけでなく、8/13以降、肩甲骨体操をしているのも良かったのだと思う。
 両手を肩のところにつけたまま、肘をまっすぐ前、まっすぐ上、まっすぐ横、できるだけ後ろ、まっすぐ下。
 これを繰り返す。
 Webで色々調べると判で押したように五十肩対策の体操として挙がっているのが「アイロン体操」(ゴッドマン体操)。
 理屈からすると、遠心力がかかって肩が離れていく方向なので逆効果なんじゃないでしょうか。

もう一つの原因
私の場合、仕事がIT関係でパソコンをずっと覗き込む仕事。
どうしても、前かがみになり、頭が前に出て、首の後ろの筋肉が伸ばされる。
首のコリにずっと悩まされているのだが、本によると五十肩もその延長線上であるようだ。
五十肩という体からのメッセージは、加齢とパソコンの仕事という不利な点に打ち勝つべく、激励メッセージとしてとらえたい。
「治った?」のはてなマークが消えるまで、さらに首のコリまで治すべく、「継続しなさいよ」というメッセージなのでしょう。

カミさんのすごいとこ(方向音痴)

女性は皆さん、「私って方向音痴だから」と言います。
実際にその割合はかなり多いようで、本やテレビでも取り上げられています。

カミさんは、そんなレベルではありませんでした。
桁違いの方向音痴。
なぜなら、「カミさんの田舎はすごいとこ」で
道は基本的には一本しかありません。
まっすぐではなく、くねくね曲がるよくある山の道。
山を超えたりするときは人間が通れるだけの山道があると言えばあります。
少なくとも交差点みたいなややこしいやつは、一切ない世界です。
道を考えながら歩くというようなことは全く未経験で、東京に来ちゃいました。

ただ、カミさんも、東京に来て何十年にもなります。
さすがに今は、「女性にありがちな一般的な方向音痴」のレベルにはなりました。
これは、桁が違っていたころの話です。

地図は見ない、人には聞かない
道に迷っても地図は見ません。
地図をほとんど見たことがないので、見方が分からないからです。
人にも聞きません。
聞いて行けるような「一般的なレベル」ではないからです。

本人は、動物的な勘があると言い張っています。
そんなものはないから、方向音痴なんですが。

第一の解決策は、ずんずん歩く。
動物的な勘を信じ、ひたすらに歩く。

それで行けるはずがありませんね。

東急ハンズ
渋谷の東急ハンズに連れていってもらったことがあるそうです。
とても気に入って、またひとりで来ようと思ったそうです。
恐ろしいことを思ったもんです。

さあここでクイズです。
東急ハンズに行きつくまでにどれくらいかかったでしょうか。

正解は

2か月です。

第二の解決策があるんです。
あきらめる。

カミさんのレベルになると腹が座っています。
行けなきゃ素直にあきらめます。

機会があったら再挑戦して、また行けなきゃまた再挑戦。
前回ダメだった道を覚える気もないので、何の進歩もないままに再挑戦です。

2か月目になぜ行けたかは不明ですが。

渋谷の駅を降りてもらえれば、「TOKYU HANDS」の広告がでっかく目につきます。
そこに東急ハンズのマーク、羽が両側に出ているマークがついています。
本人は、あれを場所を示す指さしマークだと言っています。
右からでも左からでも行けますよ。
それに惑わされたと。
いや、そういう問題じゃないと思いますけど。

付き合ってる頃、デートの待ち合わせとかすると大変でしたよ。
すぐあきらめちゃいますから。
ケータイがない時代は大変でした。

確かに東京は、カミさんの、山歩きで鍛えられた脚力でずんずん歩くとどっかの駅に着きます。
そこから家に帰るすべは何とか身につけている。

例えば2人で遊んでいて、カミさんがトイレに行っただけでもひやひやでした。
元のところには戻ってこれませんから。

一緒に家に帰ろうとしていて、左手の文房具屋さんなりにちょっと立ち寄る。
店を出ると、元の道の方に戻ろうとする。
おいおい、戻ってどないすんねん。
こんなのは日常茶飯事で、通常レベルの今でもそうです。

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方向音痴話は一回じゃ終わりませんので、続きは次回。

空襲に関する講演でとても驚いた

空襲に関する講演
今日は、特に予定がなかったので、先日借りた本を図書館に返しに行った。
せっかく、来たので、若干本を読んでから帰ろうと、本を読んでいました。
住んでいる東久留米の東久留米中央図書館。
館内放送が流れました。
「東久留米の空襲と戦争遺跡」という講演をやりますからよろしかったら視聴覚教室へ。
そういうと終戦記念日だな。ちょっとだけ聞いてみるか。
そんな気持ちで覗いてみました。

驚きの内容
軽い気持ちで覗いたことが恥ずかしくなる素晴らしい内容でした。
始めの一言が
「東久留米の空襲はやはり中島飛行機なんですね」
何だろう、その中島飛行機とは。
その後の詳しい話で、いかに自分が戦争について全く無知であったかを思い知らされることになります。

中島飛行機とは、日本の軍需工場の中で名古屋の三菱と並ぶ二大工場。
それがあった場所を聞いて、話にのめり込んでいくことに。

何と、今度のウォーキングイベントのために、先週の土曜日に歩いた武蔵野市の武蔵野中央公園の場所。
さらに、その横の団地の場所。
まさに鮮明に覚えているウォーキングしたばかりの場所。
こんな偶然があるのだろうか。
当然、全く意識せずにウォーキングしていました。

分かったことあれこれ
米軍にとって一番のターゲットである、中島飛行機。
9度の空襲を受けることになります。
当時既に米軍の基地があった中国からでは、B29が届かず、どうしても、中島飛行機を壊滅させるために必要だったのでサイパンを総攻撃して、基地を設けたというほどの重要なもの。
もちろん、中島飛行機だけでなく、東京大空襲もありますが。
米軍の本土空襲は、大きく言うと3つの時期に分かれるそうです。
第一期、中島飛行機等の軍需工場を集中的に攻撃
    対空攻撃を避けるため、高度1万メーターという高い位置から攻撃します。
第二期、3/10の東京大空襲のように、大都市を夜間に低空から集中的に攻撃します。
第三期、地方都市を一回で4都市ずつ集中して攻撃します。
中島飛行機は、第一期にかかわらず、常に攻撃対象になります。

住んでいる東久留米をはじめとして、武蔵野市周辺の地域は、中島飛行機をターゲットにした攻撃で巻沿いをくうようなイメージで攻撃されます。
高度1万メーターからでは、当時の米軍の技術では、4%しか命中せず、かなり離れているはずの東久留米等周辺の地域にまで爆弾が落ちることになります。
なぜ、ずっと中島飛行機がターゲットになりつづけ、9回も空襲を受けるかと言うと、命中しなかったから。
米軍は、攻撃後、再度来て、ダメージ度を調査し、一定の成果に至るまで、やり続けるそうで、最初のころは命中しなかったからだそうです。

そして、3/10の東京大空襲で成果を得たと認識した米軍は、中島飛行機に対する戦法も変更します。
夜間の低空からの攻撃への変更です。
ただ、東京のように広域でない場合は夜間ではまだ技術が確立しておらず、イギリスに支援を頼みます。
しかし、準備が整わないまま、4/2になり、見切り発車で、大空襲をすることになります。
結果として、4/2の大空襲は、中島飛行機ではなく、周辺地域の大空襲になります。
東久留米もその時に大きな被害を受けます。
そのとき、時限爆弾と言って、落ちてすぐ爆発するのではなく、何時間か後に爆発する爆弾が使われます。
理由は、最初にすぐ爆発してしまうと煙が上がって、中島飛行機の場所が特定できないかららしいです。
結果として、防空壕で米軍機が言ってしまうのを待ち、出てきた時点で爆発して大きな被害をあった方が大勢おられるようです。
その4/2に太宰治も空襲を受けており、作家仲間の3人と防空壕に入ったそうです。
幸いにも、被害には合わなかったそうですが。

感想
戦争関係の話と言えば、感情に訴えて、二度と戦争はすまいというものばかりで、それはそれですごく重要で語り継いでいかないといけないものだと思います。
でも、今回のように、事実を淡々といっぱい教えてくれるものも、聞いてみるといかに自分が無知であったかを痛切に知らされることになり、本当にすごい経験をさせていただきました。
質問やディスカッションの時間に、集まっておられる皆さんもすごく興味を持っていろいろ調べておられる方ばかりで、そのことにも驚かされました。
そんな中で言っておられたのが、
どうしても「戦争が人を殺した」的表現をしてしまいがちだが「人が人を殺した」のであって、そのことを忘れてはならない。
心に響きました。