空襲に関する講演でとても驚いた

空襲に関する講演
今日は、特に予定がなかったので、先日借りた本を図書館に返しに行った。
せっかく、来たので、若干本を読んでから帰ろうと、本を読んでいました。
住んでいる東久留米の東久留米中央図書館。
館内放送が流れました。
「東久留米の空襲と戦争遺跡」という講演をやりますからよろしかったら視聴覚教室へ。
そういうと終戦記念日だな。ちょっとだけ聞いてみるか。
そんな気持ちで覗いてみました。

驚きの内容
軽い気持ちで覗いたことが恥ずかしくなる素晴らしい内容でした。
始めの一言が
「東久留米の空襲はやはり中島飛行機なんですね」
何だろう、その中島飛行機とは。
その後の詳しい話で、いかに自分が戦争について全く無知であったかを思い知らされることになります。

中島飛行機とは、日本の軍需工場の中で名古屋の三菱と並ぶ二大工場。
それがあった場所を聞いて、話にのめり込んでいくことに。

何と、今度のウォーキングイベントのために、先週の土曜日に歩いた武蔵野市の武蔵野中央公園の場所。
さらに、その横の団地の場所。
まさに鮮明に覚えているウォーキングしたばかりの場所。
こんな偶然があるのだろうか。
当然、全く意識せずにウォーキングしていました。

分かったことあれこれ
米軍にとって一番のターゲットである、中島飛行機。
9度の空襲を受けることになります。
当時既に米軍の基地があった中国からでは、B29が届かず、どうしても、中島飛行機を壊滅させるために必要だったのでサイパンを総攻撃して、基地を設けたというほどの重要なもの。
もちろん、中島飛行機だけでなく、東京大空襲もありますが。
米軍の本土空襲は、大きく言うと3つの時期に分かれるそうです。
第一期、中島飛行機等の軍需工場を集中的に攻撃
    対空攻撃を避けるため、高度1万メーターという高い位置から攻撃します。
第二期、3/10の東京大空襲のように、大都市を夜間に低空から集中的に攻撃します。
第三期、地方都市を一回で4都市ずつ集中して攻撃します。
中島飛行機は、第一期にかかわらず、常に攻撃対象になります。

住んでいる東久留米をはじめとして、武蔵野市周辺の地域は、中島飛行機をターゲットにした攻撃で巻沿いをくうようなイメージで攻撃されます。
高度1万メーターからでは、当時の米軍の技術では、4%しか命中せず、かなり離れているはずの東久留米等周辺の地域にまで爆弾が落ちることになります。
なぜ、ずっと中島飛行機がターゲットになりつづけ、9回も空襲を受けるかと言うと、命中しなかったから。
米軍は、攻撃後、再度来て、ダメージ度を調査し、一定の成果に至るまで、やり続けるそうで、最初のころは命中しなかったからだそうです。

そして、3/10の東京大空襲で成果を得たと認識した米軍は、中島飛行機に対する戦法も変更します。
夜間の低空からの攻撃への変更です。
ただ、東京のように広域でない場合は夜間ではまだ技術が確立しておらず、イギリスに支援を頼みます。
しかし、準備が整わないまま、4/2になり、見切り発車で、大空襲をすることになります。
結果として、4/2の大空襲は、中島飛行機ではなく、周辺地域の大空襲になります。
東久留米もその時に大きな被害を受けます。
そのとき、時限爆弾と言って、落ちてすぐ爆発するのではなく、何時間か後に爆発する爆弾が使われます。
理由は、最初にすぐ爆発してしまうと煙が上がって、中島飛行機の場所が特定できないかららしいです。
結果として、防空壕で米軍機が言ってしまうのを待ち、出てきた時点で爆発して大きな被害をあった方が大勢おられるようです。
その4/2に太宰治も空襲を受けており、作家仲間の3人と防空壕に入ったそうです。
幸いにも、被害には合わなかったそうですが。

感想
戦争関係の話と言えば、感情に訴えて、二度と戦争はすまいというものばかりで、それはそれですごく重要で語り継いでいかないといけないものだと思います。
でも、今回のように、事実を淡々といっぱい教えてくれるものも、聞いてみるといかに自分が無知であったかを痛切に知らされることになり、本当にすごい経験をさせていただきました。
質問やディスカッションの時間に、集まっておられる皆さんもすごく興味を持っていろいろ調べておられる方ばかりで、そのことにも驚かされました。
そんな中で言っておられたのが、
どうしても「戦争が人を殺した」的表現をしてしまいがちだが「人が人を殺した」のであって、そのことを忘れてはならない。
心に響きました。

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