法然の生い立ちや人柄は前回お話しました
法然は、悪党の息子
では、その法然が作り上げた浄土宗というのはどういうものだったのか
浄土宗
それまでは実質五宗しかなかったものに久々に一つの宗派を加えた。
加えたというとプラスアルファぐらいのイメージだけど
革命、と言えるほど、全く違うもの
それがゆえに、今まで国家や貴族のものであった仏教が
一気に庶民のものに広がったのです。
若干古い統計ではありますが
十三宗の寺院数は
華厳宗58、法相宗60、律宗115、真言宗12266、天台宗4217、日蓮宗6762、浄土宗8251、浄土真宗20791、融通念仏宗357、時宗414、曹洞宗14808、臨済宗5780、黄檗宗460、その他67
トップは、法然の弟子、親鸞の浄土真宗
浄土宗と浄土真宗を合わせれば他を圧倒します。
考え方の元は、それまでもありました。
空也の南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)だったり、往生要集だったり
なのになぜ革命と言っているかというと、根本の考え方をガラッと変えたから
宗教
釈徹宗さんによると、世界の宗教をばくっと分けると3つ
1.悟りの宗教
2.救いの宗教
3.つながりの宗教
代表的な宗教をあげると
悟りの宗教は、従来の仏教。
救いの宗教は、キリスト教。
つながりの宗教は、神道。
釈迦がそうであったように、
頑張って頑張って座禅とかもして
ある一線を越えると、悟りの境地に至る。
自分を高める宗教と言い換えられるかも知れない。
悟りの境地に至る、即ち解脱(げだつ)する方法を探っていく歴史が
仏教の歴史そのものだったと言って良い。
ところが、その中で一人変わった人がいた。
阿弥陀如来(あみだにょらい)
菩薩(ぼさつ)は悟りを拓こうとしている現在進行形で
如来は既に悟りを拓いている人
阿弥陀さんが菩薩から如来になる段階で誓いをたてた。
南無阿弥陀仏と言ってくれれば、親殺しとかの極悪人を除いて
全て幸せ溢れる極楽浄土へとお連れしましょう。
今後、もしこれが出来なくなったら、菩薩に戻っても良いですよ
いまだに、阿弥陀如来が菩薩に戻っちゃったという話は聞いたことがありません。
ということはですよ
今まで、南無阿弥陀仏と言った人は全て、極楽浄土に行ったと言うことです。
仏教の世界では周知のことなんだけど
じゃあ、悟りを拓くための努力ってどう捉えれば良いの?
今まで、この辺のことはお茶を濁しつつ
それはそれ、
みたいなことで、相変わらず自分を磨くための努力は続けていた。
南無阿弥陀仏と唱えるのは、あくまでも悟りを拓くための補助的な方法だった。
空也は、南無阿弥陀仏を重要視はしたけれど
それだけで良いと言ったわけではない。
法然は言っちゃったんですね
それだけで良い
南無阿弥陀仏と唱えるだけで、他のことは要りませんと
お茶を濁さずに、ストレートに。
悟りの宗教が救いの宗教になった瞬間です。
今まで一生懸命努力してきた、全ての僧から、大反発です。
苦労を全て否定されたようなものですから。
最澄先生や空海先生、その他全ての大先生たちが行ってきたことを全て否定することになるんですぞ。
そもそもお釈迦様も努力を重ねて悟りを拓いたではありませんか。
君は仏教を潰そうと言うのかね。
ところが、出家していない一般庶民は大歓迎。
大きなうねりがおきます。
仏教は好きだけど、仕事もあるから、出家なんてとうてい叶わない。
結婚だってしているし、魚だって食べている。
煩悩なんて山ほど抱えている。
悟りだとか、極楽浄土だとかは、別世界のことなんだろうなと諦めていた人たち。
大丈夫ですよ
あなたはあなたのままで素晴らしい。
素敵です。輝いています。
もっと、自分の事を好きになってください。
阿弥陀様は、ちゃんとあなたのことも見ていただいています。
こう言われてどれだけ嬉しかったろう。
庶民のための仏教の誕生です。
生きる事の意味
自分を高めることってとても素晴らしい
世のため人のためになるために努力したり
知識を身に付けようと頑張ったり
でも、だからといって
それがうまく行かなかったら
全てが否定されるんだろうか
生きているだけで意味があるんじゃないか
親の子に対する愛情は無条件
テストで100点取ったから可愛いとか
かけっこで一等賞になったから可愛いとかじゃない
世間で良く言われているけど、自分が子供を持ってみて、実感として良く分かる
阿弥陀様は、全ての人々に対して無条件の愛を持っていたんじゃないか
南無阿弥陀仏なんて本当はどうでもいい
「誰でも出来る」ことであれば何でも良かった
いろはにほへと、でも、チチンプイプイでも
老若男女全ての人々は、阿弥陀様の愛されるべき子供
法然はそう言いたかったんだと思う。
そんな、大革命です。