[昭和歌謡]134 人生いろいろ。とってもいろいろ

人生いろいろ
島倉千代子
作詞・中山大三郎、作曲・浜口庫之助
1987年

♪死んでしまおうなんて 悩んだりしたわ
バラもコスモスたちも 枯れておしまいと
髪を短くしたり つよく小指を噛んだり
自分ばかりを責めて 泣いて暮らしたわ

大好き

島倉千代子全盛期をリアルタイムで知らない
紅白で見る人
曲を聞くたびに、好きだわあこれ、と感じていた。

♪からたち からたち からたちの花

♪ほんきかしら 好きさ大好きさ

そして東京だよおっかさん
東京ウォーカーとしては、皇居に行ったときは二重橋の前で歌う必須ソング
そらで一番は歌えます。

♪久しぶりに手を引いて
親子で歩ける嬉しさに
小さい頃が 浮かんで来ますよ おっかさん
あれがあれが二重橋
記念の写真をとりましょうね

テレビでお千代さんの生涯の波瀾万丈ぶりを見てから
ますます気になる人になっていた。
不幸のデパート
2度も騙され、最大16億円の借金
離婚、闘病

そこに、人生いろいろの大ヒット
えっ 人生いろいろだったお千代さんがまさかの「人生いろいろ」で大ヒットなんて
それで、借金を返しきるんだから

お千代さんにリアルタイムで付き合えたという喜び
この曲はお千代さんじゃなきゃ絶対ヒットしないよなあ

人生いろいろぶりには、私だって自信がある

「人生いろいろ」って、一言でこんなに全ての事を表せる言葉があるだろうか
10人いれば10人に「人生いろいろ」がある
全てを表しているのに、何物をも否定しない。

様々ないろいろに邪魔をしない歌い方ができるのは
やっぱりお千代さんだからなんだろう。

最後の曲、南こうせつが提供した「からたちの小径」
体調が急激に悪化
こうせつが「もうすぐレコーディングですね」と電話したら
その日まで待てない、声だけでも録って欲しい
急遽10日早め、自宅に機材を持ち込む
こうせつは心配なので近くで待機

プロの意地
フルコーラスを3回歌いきった

こうせつに自ら感謝の電話

その日の夜昏睡状態に陥って、三日後に亡くなった。

[歌]シリーズはこちら(少し下げてね)

昔は子供だった

練馬の三宝寺界隈
の続きです。

ふるさと文化館
以前練馬区に住んでいた時、自転車で石神井公園まで来れるので
ここにある図書館に何度か来たことがあります。
練馬区の郷土資料館もあって一度入ったことがあるんだけど
郷土資料館に興味がなかった時だから、??って感じ

通勤途中の乗換駅、練馬駅に、練馬区の郷土資料館の企画展のポスターが貼ってあり気になっていた。

あれ?
場所が違うぞ
道を隔てて向かい側に引っ越したのか

えっ、嘘ーっ
新しくて綺麗で、でっかいーっ
いつの間に大出世

企画展、常設展の順番で見たのですが
説明はひっくり返します。

常設展
出たっ練馬大根

千川上水のお勉強も

昔懐かしい風景



練馬と言えばアニメ
東映があり、手塚治先生の虫プロがあります。
年表の前でじっくり読んでいると、スタッフのおばさまが声をかけてきてくれ
例によってずいぶん話し込んじゃいました。

私より、一回り上の方

白蛇伝は夢中で何度も見たわ

すみません。それは良く分からないです。
私は、サリーちゃんとか、明日のジョーとか

映画だと圧倒的に風の谷のナウシカ

ゲゲゲの鬼太郎って、最初は怖かったのよ
目玉のおやじなんて、今は愛らしいけど、最初はリアルな目玉でね
ええーっ、そうだったんだ

アトムって途中からカラーになりましたよね
あっ、足が赤いーっ

そうそう

年表見てると年代が分かりますね
この辺が私で、この辺が息子

なるほどっ
私はこの辺で、娘はこのセーラームーン

企画展。昭和のこどもたち
人形作家の石井三千子さんの人形の作品展

最初から魅せられて、その世界に入り込んだ

その人形は写真NGだったので、後で買った写真集「昭和のこどもたち」から
紹介するのはほんの一部なので、興味がありましたらAmazonとかで買ってね

メンコ

関西の私たちの地域では、メンコではなくペッタンと呼んでいた。
丸じゃなくて四角
良くやったなあ

あっかんべー

あっかんべー、って今考えるとあれは何だったんだろう
もしその相手が女の子だったら、それは100%好きな女の子だった

とばしっこ

とばしっこしようぜ
うん

他にも色んなこどもたちがいて
必ずしも笑っている訳じゃなく
泣いていたりするんだけど
かばんもちだったり、
やったなあ
あ、これもやったぞ

思い出すたびに
ほのぼのとはするんだけど
なんだか目の奥が熱ーくなってきて。


一番好きだったのはこれ

ダメだ
泣けて来ちゃう。

お母さんの膝の上にちょこんと座るのが好きだった
暇さえあれば膝の上
温かかったなあ

子供だった
当たり前だけど、昔は子供だった
子供に戻りたい
訳もなく喧嘩して、髪の毛引っ張って
知らない間に仲直りしていて
一緒に悪巧みして、いたずら

お母さんに怒られたくて
またいたずら

[おでかけ]シリーズはこちら(少し下げてね)

練馬の三宝寺界隈

2020/12/20(日)の事です。

昨日ガッツリウォーキングしたので、今日はおとなしくと思ったのですが
最近なんだか勢いづいちゃっていて、土日ともっていう事もしばしば

軽めに行ってみましょうか

カミさんを職場まで車で送ったその足で車でそこからちょこっと。

送ったあと、その近くのコンビニでコーヒーを飲みながら検索

以前、そういう考えで石神井公園は行ったんだけど
そのすぐ隣に三宝寺というのがある
この前図書館で借りた東京のお寺の本に出ているお寺
ほとんどは行ったことがあったんだけど
不覚にも「三宝寺」に行っていなかった。
石神井公園の池は三宝寺池という名前なんだけど
なるほど三宝寺があるから三宝寺池なのね

そうそうここだ!
さらに近くのお寺を検索

近くまで行ってコインパーキングに車を止めて、いざ

道場寺

三重の塔っ

かっこいいなあ
日本の建築美は、五重の塔三重の塔に極まれり

ここには、豊島氏一族の墓がある
豊島氏は東京の西側を歩くと必須。
石神井公園も豊島氏の石神井城跡だし
少し前に閉園した「としまえん」は練馬城跡
あと、北区の平塚神社のところに平塚城跡

でも残念ながら非公開
お寺の人にも聞いてみたんですがダメでした。

三宝寺
さあ、三宝寺
想像していた以上でした。
こんな大物だったとは

まずは長屋門

勝海舟の家の門を移築したもの
練馬区旭町に兎月園というレジャーランドがあって、としまえんのライバル
そこにあったんだけど、壊すというので、そりゃ勿体ないと、ここに移築した

こんなに色々

七堂伽藍の揃った大寺院にほぼ匹敵する

本堂

御成門
3代将軍家光が鷹狩りの時休憩所として使われたので
家光専用の門
当時は他の人は通れません。

実に見事な彫り物でした

根本大塔
でかっ
写真じゃなかなか伝わらないかな、ど迫力
金剛峯寺のものと同じなんですって

出ました十一面観音
先日、こんな大きな十一面観音見たことないと光源寺で言いましたが
いともあっさり私の中での記録を抜いちゃいました。

お砂踏み
昨日、杉並区の文殊院でお砂踏みがありました。

八十八ヶ所を回ったと同じ効果が得られるもの
他にも見ました
川越でも、高幡不動でも
ここは、石碑が配置されています。

実に雰囲気の良いお砂踏みでした。

キャベツの碑
練馬と言えば大根
だったはずですが、今はキャベツらしいです。



キャベツって漢字で「甘藍」なんですね
知らなかったなあ
キャベツの名称が定着するまではかんらんって呼んでいたらしい

下に飲料のアルミ缶を細工した風車がいっぱい

風が強かったこともあって、思いっきり回っていました。
綺麗だったなあ

このあと、ふるさと文化館に行くのですが
長くなりますので、そこについては明日ね。

[おでかけ]シリーズはこちら(少し下げてね)

杉並区でウォーキング。秋の紅葉もいかにとやせん

杉並区でウォーキング。いろりを囲んで
の続きです。

鞍掛の松
源義家が鞍をかけたという松

八幡太郎義家です。

源満仲の三人の息子がそれぞれ家を起こし
長男の源頼光は摂津源氏、
次男の源頼親は大和源氏、
三男の源頼信は河内源氏

この河内源氏が後の源頼朝になるんですが
義家はその間
源頼信の孫で、義家の4代あとが、頼朝です。

河内源氏とは言いつつも、長男次男に関西の地盤を取られちゃってますから
関東が地盤。
ウォーキングしているとちょこちょこ出てきます。

大円寺
同じ大円寺で他にも行きましたが、杉並区の大円寺ね

元は、徳川家康が開基の大淵寺というのが赤坂溜池にあり、大火で焼けて移転
塔頭同士の合併とかいろいろあって、最終的にここに大円寺としておさまった。

なので、どどーんと三つ葉葵でございます。

しかも、島津藩の菩提所でもあります。
釘隠しが丸に十らしいんだけど、確認するの忘れました。

以前は位牌とかもあったらしいんですが
明治維新の廃仏毀釈の時になくなっちゃったみたい。
薩摩が率先してやったのでその関係かも。
戊辰戦争の時の戦死者の合同の墓は残っています。

そしてこの下の部分に、各名前が書かれているんですが
その中に益満休之介

幕末に西郷隆盛の密命を受けて、江戸内で無茶をして幕府を怒らせ
口実に、兵をあげよう作戦
幕府に捕まっちゃった。
もちろんそれは折り込み済み

殺すなら殺せいっ

ただ、幕府の勝海舟がいや待て
こやつ使えるぞ

今度予定されている、私と西郷隆盛の会談だが
事前にすりあわせをしたい。
うちの使者として山岡鉄舟を、西郷殿のところに無事送り届けてやってもらえぬか

殺される覚悟でおりましたのに、そのような重要な役回りを仰せとは
感激いたしました。
そなたに預けましたるこの命に変えまして、そのお役目果たさせていただきます。

ということで、山岡鉄舟の下打ち合わせが無事完了
江戸城無血開城と歴史が進むわけです。

かくして明治維新があいなり、益満休之介の命
大事にしたかったのですが
寛永寺の彰義隊との上野戦争の時に戦死し
この墓に眠っております。

そして、びっくりなのが、この寺に
なんとなんと、保科正直の墓があるのです。

保科正直の息子は、保科正光
その正光の養子に入ったのが2代将軍秀忠の隠し子、保科正之
保科正之は会津藩を拝領し、後に会津藩は徳川の血が入った訳なので松平になります。
ということなので墓にも三つ葉葵が入っているのです。

いやあ
家康の開基に始まり
戊辰戦争で徳川を倒した薩摩藩の戊辰戦争戦死者の墓
そして、そのすぐ近くに、戊辰戦争で最後まで抵抗した会津藩の元の保科家の墓とは
何とも行ったり来たりの懐の深いお寺でございましょう。

おそらく天国で、
まあまああの時は。恨みっこ無しで、酒でも飲みましょうや
って事になっているのでしょう。

文殊院

真言宗です。
となると弘法大師。八十八ヶ所巡りですね。
御府内八十八ヶ所というのもありここはその打ち止め札所です。

ということでお砂踏みの八十八ヶ所の像があります。

この全ての像に拝めば、八十八ヶ所行ったことと同じになる。

あれれ?
混乱してきました。
打ち留めということは、ここに来た段階で、無茶苦茶苦労して八十八ヶ所既に回ってきた訳です。
八十八ヶ所回ったと同じになるってあなた。
それ先に行ってよ。金返せ!

冷静に冷静に

おそらくこういう意味と理解しましょう。

一つ一つの像を見ながら回った寺を振り返り
ああ、この寺も回ったなあ
あそこは辛かった
あれっ。〇〇寺?
待てよ、記憶にない。行ったはずやけど行ったんやろか
まあいっか。ここで拝めば行ったことになるって言うてるし

そういう使い方ですね。親切です。
これぞ救いです。

神田川

♪あなたはもう 忘れたかしら

あっいかん このあとどこへ行くのか忘れてもうた
どこへ行くのか

かんがえる

東運寺
実に見事な庭園でした。
紅葉がまだまだ大丈夫。








この門、田村右京大夫建顕の江戸屋敷脇門を移築したもの
ということは、なななんと
あの浅野内匠頭が切腹させられるとき最後に通った門ということです。

風さそふ 花よりもなほ 我はまた 春の名残を いかにとやせん

秋の紅葉もいかにとやせん

さらにこの寺釜寺と言われ、屋根に釜が乗っています。

安寿と厨子王の伝説から。
厨子王が山椒大夫に釜茹でされそうになりました。

あちちっ

厨子王が大事にしていたお地蔵様が身代わりに。

釜も大事に取ってあったんですね。

帰りに、方南町の駅近くでパン屋さんがありました。
あら、こんなところでお会いするとは
また、今年もお願いしますね

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