枯山水の庭園

庭園シリーズです。

枯山水です。
かっこいいですね。

行き着いた感があります。

枯山水
一言でいえば、水がない庭園です。
枯山水を全く知らない人はいないくらい有名ですね。

早くから、枯山水は存在しました。
元々日本の宗教観としては、山や木や石がやおよろずの神々だったので
石を組んで敬うというのは自然発生的に生じている。
それを庭園と位置付けるならば
池より先に石、とも言える
前期枯山水という言い方もされている。

ただ、それがそのまま、今我々が認識する枯山水に繋がっていったとは考えがたい。
池の魅力は圧倒的で、その池を中心とする「水」ありきの庭園の概念となっていく。

共存する形で部分的に、石や砂で、水や島を表す事もあったけど、あくまでも部分的。

ここに、全く水を取り入れない、大衆に全く背を向けた
革命がもたらされる。

行ったのは坊さん。

僧侶が専門技術者として活躍し、鎌倉時代には彼らは「石立僧」と呼ばれるようになる
禅宗です。

今までの庭園って、短歌の歌枕(歌に良く詠われる名所)が強く結び付いているので
池越しの松を見て、これはあの歌ですかな
と歌をすらすら

さすが、お分かりで、と
連想ゲームのようにそれに関連した歌を詠いながら楽しむ。

禅宗には、語弊があるかもしれないけど、禅問答という、遊びがあるので
禅を理解し合う者同士で庭を見ながら禅の共通認識の元での掛け合いが必要。

そこには、短歌の世界とは全くイメージが異なっていた方が都合が良かったのかも知れない。

ただ、禅宗と関わりがない我々にも強烈に魅力的に感じられる
石と砂の組み合わせを、芸術、さらに言い方を変えると、アート、の世界に高めてしまった

それまでの庭園は美しさ、という客観的な価値観だったけど
枯山水のアートの世界は、内面的に魂を揺さぶられる感覚
私としては、熱いものを感じてしまうんだけれど
わびさび、を表現となっているから、静なんでしょうね

具象ではなく、抽象の世界って、私は大好き。
私はこう感じるんだ、って言ってそれで良いですからね
自由です。

夢窓疎石
「石立僧」の夢窓疎石(むそうそせき)
かっこいい名前です。
名前の中に石を入れている辺り、さすがです。

「夢窓疎石の西芳寺庭園」のように
作庭家の名をもって庭園が語られるようになった最初の人
枯山水を芸術に高めた人と言っても良いでしょうけど
枯山水に限らず、その後の庭園に大きな影響を与えている人です

夢窓疎石については、また機会がありましたら、まとめてみたいと思います。

ボードゲーム
枯山水を色々調べていると面白いネットの記事が見つかりました。

ボードゲーム「枯山水」が超人気!

ボードゲームは次女が大好きで、部屋にはボードゲームの箱が何十個と積み重なっています。
流行りのデジタルのゲームではなく、また囲碁将棋チェスのような深い知識も要らず
ファミリーで楽しめるようなもの
人生ゲームやモノポリーなんかをイメージしてもらえると良いかも知れません。
ドイツが中心になって発展しています。

枯山水のボードゲームってどういうこと?
パッケージが最高です。

大丈夫?って感じのこのおじいちゃん
何と、夢窓疎石です。
夢窓疎石の顔を知っている現代人は皆無だと思いますが
敢えてパッケージに持ってくる
「本物感」が漂います。

勝敗は何で決まるかというと
こんな感じで作っていった、庭園の

わびさび度合いで決まります。
素晴らしいコンセプトです。

早速、次女に聞いてみました。

ボードゲームの枯山水って知ってる?

知ってるよ

ひょっとして持ってるの?

持ってはいないけど
やった事はあるよ
純国産のボードゲームとしては、かなり人気高いと思う。

さすがです。
ボードゲームに命をかけているだけの事はあります。

こうやったらこうって点数の数え方があるんで
それに騙されて、いっぱいカードも石も置いたら
点数は高くならなくて、
石をちょんちょんって置いて、わびさびーみたいな方が点数高くなるの

ネットに出ていたので言うと
さっきのは40点だけど以下のは46点

色々作戦があったり、人を出し抜いたりは出来るらしいんだけど
そういうことすると「徳」ポイントがたまらない
君はまだまだ「徳」が足らんねえ、みたいなそんな会話を楽しむゲームらしいです。

では、最後に、枯山水の庭園の写真いくつかで。


索引はこちら
[庭園]シリーズはこちら(少し下げてね)

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