将軍の娘で天皇の奥さんになった和子

幕末に公武合体として、天皇家から将軍の奥さんになった和宮は有名です。

実は江戸時代初期に逆パターン
将軍家から、天皇の奥さんなった人がいた

前回、2代将軍秀忠の長女、千姫の話はしましたね
その妹、5女の和子(まさこ)です。

公武合体?
思惑は、はっきり分かりますね
あの姻戚関係で栄華を極めた、藤原氏の真似をしようと。
でも、圧倒的な力を持った天皇家の力を利用しようとした時代とはニュアンスが違うかな

お相手は、後水尾天皇
よろしくね

その、後水尾天皇、圧倒的力を持った徳川に対して
負けてたまるか、の骨のある天皇
さあ、バトルが繰り広げられることになります。

ちなみに和子さん
普通に考えると、かずこですよね
なぜ、まさこなのかというと
本当はかずこだったんです。
それを、濁点を嫌う天皇家に配慮して、名前の読み方を変えちゃった
そう言われると、かこ様とかあいこ様とか濁点付いていません。

でも、同じ名前の和宮(かずのみや)はどうなのよ
と疑問は尽きませんが。

いずれにしても、後水尾天皇と和子さんの夫婦仲はとても良かった。
天真爛漫で、周りを笑顔にしてしまう女性。
二男五女をもうけます。
天皇の子であり、将軍の孫。

後水尾天皇は他の女性とも仲良ししちゃったんですけどね

そうこうしているうちにも、徳川からの天皇への締め付けがどんどん進んでいきます。

まず、嫁入り前に遡ると
後水尾天皇が違う女性との間に男の子をもうけていたのをけしからんと
その女性を流罪に。

禁中並公家諸法度(きんちゅうならびにくげしょはっと)というのを決めます。
ばくっと言うと、
天皇ならびにお公家さんたちはいちいち幕府に許可を得ないとダメ

後水尾天皇ははらわた煮えくりかえります。

そして起きたのが紫衣(しえ)事件
位の高い僧に紫の衣を着る勅許を与える
これはずっと天皇の役割であり
朝廷の収入源でした。

後水尾天皇は、十数人に、従来通り紫衣着用の勅許を与えます。
その中には、あのタクアンで有名な、沢庵和尚も入っています。

法律違反だ!
幕府は怒って、その勅許を取り消し
沢庵和尚等を流罪とした

さらに、春日局事件。
春日局はのちの家光が病弱だったので、お伊勢参り
その帰りに天皇に拝謁
春日局の身分じゃ全然無理な事なんだけど
無理矢理直前に形式を整えて、実施した。

後水尾天皇は、怒りが頂点に達します。
そして、とった行動が・・・

これは、次の江戸のヒロインに繋がる話なので
次回回しね

和子
和子さんに話を戻しましょう。

愛する旦那様と、お父さんの間に入って
ずいぶん色々動き回ります。

彼女の頑張りがなければ、
ひょっとして、朝廷と幕府の全面戦争に陥り
この時点で明治維新が起きていたかも知れません。

そんな和子さん
ストレス発散が必要です。

今でもそういう人いるかも知れませんね

服を買う。

今の金額にして、1億5000万円というから
狂気とも言うべき金額。

しかも、レベルが極めて高い。

彼女のファッションセンスは抜群で、
美術的才能が群を抜いています。

京都の呉服商「雁金屋」がお気に入りなんですが
出されたものに対して、
「あら良いわねえ」なんぞとの柔な対応はしてくれません。
徹底的にダメだし。
さらにそれがことごとく的を得ている。

商売や芸術はお客様に引き上げられる典型。

「雁金屋」の息子として生まれたのが
あの、尾形光琳

寛文期の華やかな文化を育てた人がいて
それが和子だったと言えます。

宮中に小袖という着物の着用を習慣付け
さらに庶民に至るまで
小袖という今の着物の形を定着させたのは
和子だと言えます。

出家して東福門院と名乗るのですが
東福門院小袖、ないしは寛文小袖

さらに、香道という芸術の一ジャンルを作り上げる
香を組み合わせて、匂いを嗅いでゲームとして当て合う
こんな楽しい競馬仕立ての道具を使いながらゲームとして勝敗を競うんですって。

匂いという五感のひとつを利用した芸術ジャンルは
世界にも例を見ないと言います。

索引はこちら
[江戸のヒロイン]シリーズはこちら(少し下げてね)


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