あはれとも いふべき人は 思ほえで
身のいたづらに なりぬべきかな
私のことを哀れだと言ってくれそうな人は、誰も思い浮かばないまま、
きっと私はむなしく死んでいくんだろうなあ。
謙徳公
謙徳公は藤原伊尹(これただ)の諡(おくりな)
右大臣藤原師輔(もろすけ)の長男、師輔の5男が兼家でその子が道長なので
道長からするとおじさんということになる。
娘が冷泉天皇の女御となり、花山天皇の母となったため、
晩年は摂政・太政大臣にまで昇進しました。
自邸が一条にあったので「一条摂政」と呼ばれます。
和歌所の別当として、当時の和歌の名手を集めた梨壺の五人
(清原元輔・紀時文・大中臣能宣・源順・坂上望城)を率いて、
後撰集の選定に関わりました。
才色兼備の貴公子、もてもてプレイボーイです。
鑑賞
そんな、順風満帆の人生を送った藤原伊尹があれれ?です
この歌はどうしたことでしょう。
ひとつひとつ見ていきましょう。
あはれとも→かわいそうにと
いふべき人は→言ってくれそうな人は
思ほえで→思いつきません、そのまま
ここ、現代人には分かりにくいですね
広く一般も指していますし、特定の彼女も指しています。
身のいたづらになりぬべきかな→死んでしまうんだろうなあ
いたづらは、今のいたずらっ子のいたずらではなく
無駄になる、無になる。身のいたづらなので、死ぬってことです。
それも哀れな死に方。
なりぬ、だからなっちゃうんだろうなあ
想いを寄せるあなたにつれなくされて
想い焦がれて私は死んじゃいそうです。
それでも、あなたを始めとして、誰も見向きもしないでしょうね
と
まあ、めめしい歌でございます。
男のくせしてこういう歌を作るのは
当時、流行りとは言わないまでもそこそこあったようです。
ただ、藤原伊尹だとすると、違和感ありすぎです。
まあ、そこを狙っているとしか思えません。
本当に不運な人が、女性に振られてこんな歌を歌おうもんなら、
病院を紹介されます。
笑えません。
そうです。
冗談の歌です。
あなたがそういうこと言いますか。ご冗談を、と言って欲しかった。
私はものすごく良く分かります。
風邪ひいたりすると
ああ、死にそう。
絶対死ぬわ、死ぬ死ぬ、
とうるさく言ってしまうタイプの人間です。
もし、そのタイプの人間ですとお分かりでしょうが
大丈夫?と言ってくれるのは、一回目だけです。
次からは、
何回死ぬ死ぬ言ってんの
もう生き返ってこなくて良いから
と言われ
さらに数年たつと
そもそも何を言おうが、完全無視になります。
でも、とても正しい対応です。
実は、言っているほど大したことはない
さあ、これ返歌もらえたんでしょうか
何回目かによりますね