[赤穂浪士]8 早水藤左衛門は、弓の名手

早水藤左衛門(はやみとうざえもん)
表門組 玄関固め 馬回り 40歳

弓矢にかけては赤穂義士のなかでも並ぶものがいない、と言われたほどの弓矢の達人。
当時、弓術の世界で天下一と言われていた星野勘左衛門という人に教わり弓矢の技術を習得。
早水さんは、弓の達人であったことは有名です。
弓道をしている人にとっては、大石内蔵助より、早水さんのほうが人気があります。
優勝は、早水藤左衛門賞です。

また、和歌をよんだり、絵を描いたりするのもうまかったようです。

討ち入りまで
刃傷事件のときは浅野内匠頭の参勤交代のお供をして江戸にいた。

いち早く一大事を知らせるため、萱野三平とともに早駕籠に乗り、
4日半かけて赤穂の大石内蔵助までその第一報を伝えました。
この前、赤穂に行きましたら、早水藤左衛門が
大石内蔵助宅に駆け込む前に息を整えた、息継ぎの井戸というのがありました。

討ち入りまでの間、まだ18歳だった同志の橋本平左衛門が女性と心中自殺をする事件がおきた。
藤左衛門は浪人になり貧しい生活を送っていたが、
平左衛門の遺体の引き取り手がなかったので、
心中の後片付けのためにわざわざ大阪まで行き、遺体を引き取り埋葬した。

近松勘六とともに高野山に登り、浅野内匠頭の追福の碑というのも建立しています。

討ち入り当日
弓矢なので、
最初、門にいて、近所に住んでいる吉良の家臣達が出てくるのを
プスプスってはずだったんだけど
一つ二つ矢を放つだけで効果てきめん。
出てくる様子がなくなったため、中に助太刀に向かい
屋敷内から庭へ飛び出してくる敵に対して、弓で戦った。

辞世の句
地水火風 空のうちより 出し身の たどりて帰る 本のすみかに

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