日蓮。闘争の人。

名僧シリーズ
鎌倉時代の6つの新宗派
最後の大物、日蓮です。

こういう人生もあるんだなあ。

日蓮
鎌倉時代の開祖たちは、元は名門の出、という人が多いんだけど
日蓮は、千葉の漁民の家

12歳の時、千葉の清澄寺で出家する

仏教は元はひとつの筈なのに
なんでこんなに宗派に分かれているんだろう。

そんな疑問を抱きつつ、修行に励み
17歳の時、鎌倉へ出る。

鎌倉は当時の中心地なので、各宗派全てを勉強できます。

特に、念仏(浄土宗と浄土真宗)と禅(臨済宗と曹洞宗)を徹底して学びます。
さらに、天台宗と真言宗の本場京都へ行き
総合大学的意味合いのある比叡山へ
10年間修行に励みます。

やっぱりこれだ。

得た結論は「法華経」

元々、最澄は「法華経」を中心にした仏教の体系化を目指していたので
その時点に戻ったとも言えます。

鎌倉へ
確信を得た日蓮は、鎌倉に戻ります。
当時の首都ですから。

そして、繁華街に立ち、辻説法を始めます。
当時、浄土宗と浄土真宗の念仏が、熱病のように広がっていた
禅の方は主に武士の間に広まっていたので、
行き交う方に説法するとすると念仏批判

念仏を唱えていると地獄に落ちるぞ

そう言われると、ただじゃ終わりません。
住まいが焼き討ちに逢います。

これを皮切りに、大きな弾圧迫害だけでも4つ
四大法難(しだいほうなん)と言います

追いやられたり、流罪になったり、処刑される寸前まで行ったり。

それでも、全く屈することなく甦る。

自分しか世の人々を救えるものはいないと強く信じているからです

当時、天変地異や飢饉や疫病で
散々な世の中
自分も、正嘉の大地震の被災者となる

結局、どの宗派もこの惨状を救えていないじゃないか。
仮に本当に念仏で極楽浄土に行けるとして、何の意味があろうか。

今この時に手を打たねばならぬ。
それには、法華経しかない。

立正安国論というのをまとめ、
時の最高権力者、先の執権である北条時頼に提出。

その後、日本は、蒙古から最後通牒をつきつけられる
慌てふためき、幕府は日蓮にも意見を求めてきた。

彼らは必ず襲来してくるだろう。

そうか、やはりそう思うか

日蓮の意見を真剣に聞いてくれた。

ところが、取った行動は、真言密教による祈祷。

失望した日蓮は、幕府を見限る。

健康を崩した後も、死ぬ直前まで法話を続け
6人の優秀な弟子を育ててから、世を去ることになる。

不屈の精神で一生を駆け抜けた日蓮。

現在、僧侶の数は堂々の4位だけれど
日蓮の教えを元にした在家の信仰団体がものすごい。
立正佼成会、霊友会、創価学会

そこまで含めると、ぶっちぎりのダントツ。

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