未来のための江戸学

未来のための江戸学、という本を読みました。

江戸という時代から、何を学ぶべきかという内容

学ぶべき事と学ぶべきでない事が存在する

私も、江戸がとても好きになって以来、
何故なんだろうと考え続けている

江戸の人逹ってなぜこんなにも幸せそうで楽しそうなんだろうと。

鎖国
いくつかキーワードはあるけど、やっぱり鎖国というのは大きいでしょう。
とはいえ、諸外国との関係を全てシャットアウトしたわけではない
正式な国交があった通信の国が、琉球と朝鮮。
正式な国交がない、通商の国がふたつ。オランダと清

一番の目的は、キリスト教の禁止
だから、その目的にとって問題なければ、何かを取り入れることは構わない
8代将軍吉宗は、積極的に西洋の技術を取り入れている
好奇心が旺盛だったので
外国から、象もラクダもサラブレッドも連れてきた。

科学のレベルは、西洋にそれほど劣っていなかった。

鎖国の目的は、キリスト教以外にあったのではないか。
江戸時代の大きな特色は、外国のものを取り入れなかったというより
「外に出ていかなかった」ということにある

秀吉は朝鮮に出ていって支配しようとした。
家康は、それをしなかった。

帝国主義を否定した。

西洋の技術で、江戸にないもの。
それは産業革命。大量生産の技術

大幅に生産力がアップ
それだけなら良かったが
せっかく大量に生産できるのに、肝心の原材料が枯渇してきた
よし、それじゃあ、植民地というのを作れば良い

解決

今度は、国内に物が溢れ、国民が物を買わなくなってきた。
いかん、せっかく大量に生産できるのに。

よし、植民地に売れば良い

帝国主義の出来上がり。

実は江戸時代のごく初期の頃
日本で大量の鉱物資源を産出できるようになった。
特に、銀。
当時、世界でも銀の輸出量はナンバーワンとなった。

バンバン掘り出し、バンバン外国に売って
いっぱい品物を買い漁った。

江戸幕府が急に大金持ちになる

でも長くは続かなかった。
鉱物資源が枯渇してきて、
蓄えを食い潰していく時代に入る

一度甘い汁を吸っている
もし、これが秀吉なら間違いなく帝国主義的行動に出たでしょう。

徳川将軍たちは家康の教えを守り
決して、外に出て解決する道を取らなかった。

国内だけで経済を回す。

参勤交代を始めとして
国内だけで生産と消費をバランスさせる知恵を絞っていく。

日本には「始末」という考え方がある
始めがあれば終わりもある
永遠に伸び続けるという考え方は取らない
始末をつける

全国だったり、季節だったりで、巡る、ようにする

リサイクルで物を使い回しするのもその一つ

[江戸の文化]シリーズはこちら(少し下げてね)

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