三ノ輪から下屋敷巡りの続き

三ノ輪から下屋敷巡り
の続きです。

公春院

真正寺

円通寺
なななんと、坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)が791年に創建
なんでそんなものが関東に

平安時代の初期、天皇でいうと桓武天皇あたり
ほぼ初めての征夷大将軍
将軍様でございます。

京都の清水寺とか富士山本宮浅間大社を作ったのも坂上田村麻呂というから超ビッグ
円通寺は清水さんの兄弟ということになりますね

そんな円通寺
なんじゃこりゃあ

観音様のタワーじゃありませんか
すごいっ。すごいぞ田村麻呂

上まで階段が付いているから、昇れるんでしょうね
入口が閉まっていた。
残念!檀家しか入れないのかなあ。

円通寺はまだまだ盛り沢山

かつて、百体の観音像を納めた観音堂があったので百観音とも呼ばれていました。

古地図にも、円通寺ではなく観音堂と書かれています。

時代が進んで、源義家
奥州征伐の帰りに、敵の首を48もここに埋めて塚を作った

だから、このあたりの地名は小塚原なんです。
こづかはらではなく、こづかっぱらと読むとかっこいいです。

大迫力なのが上野寛永寺の黒門

ここに移築されたんです。
明治維新の時、新政府に抵抗した彰義隊が寛永寺で上野戦争
これでもか、と銃弾を撃ち込まれ、蜂の巣状態


僅か半日で全滅。
人の体も同じ状態だったのでしょうか

見せしめにと、遺体はそのまま放っておかれます。
いくらなんでも可哀想と、
円通寺の住職が、遺体を運んできて、ここに墓を作った。

彰義隊に限らず、生き残った幕臣側の人達の追悼碑も
大鳥圭介

榎本武揚と高松凌雲

新門辰五郎まで

オールスターキャストでございます。

羊毛産業発祥の地
次は、羊毛産業発祥の地に向かいます。
カワズザクラ的なきれいな桜も咲いておりました。

井上省三の碑

日本に羊毛産業を立ち上げた人
助さん格さん役の羊が可愛い

伊勢亀山藩、石川家
さあ、下屋敷

まずは、伊勢亀山藩、石川家の屋敷跡
さっきのアーケード商店街、ジョイフル三ノ輪に戻り、真ん中辺の公園に案内板がありました。

広大な土地で、ジョイフル三ノ輪がすっぽりそのままです。

藩主石川憲之は芸術が大好き。

うちの藩にも才能あるのがいないかな
君なんてどう?
狩野派に入門してきてよ

異色の画家で、三宅島に流罪になっちゃう、英一蝶(はなぶさいっちょう)です

ということは、英一蝶もジョイフル三ノ輪に立ち寄ったに違いありません。

さくら餅を売っています。
「一度食べたら忘れられない味」
なかなかの誘い文句です。
さすがは英一蝶

桜の葉の塩漬けがあんと絶妙のハーモニー
後味がずっと残ってこりゃ忘れられません

伊予新谷藩、加藤家
次は伊予新谷藩、加藤家
残念ながら、ここが屋敷跡って案内板はなく
該当のところには万年筆屋さん

とても美しい

試し書き良いですか?

定番の「武家諸法度」と書きました

下野黒羽(しもつけくろばね)藩、大関家

11代藩主の増業(なすなり)はとっても学問好き
医学書や科学書等を書いています。
大関横丁、という地名はこの下屋敷に由来します。

対馬藩、宗家

出たっ。超大物
鎖国の二つだけの例外、朝鮮との貿易を独占的に認められていたのが、対馬藩です。
正式な国交があり、通信国と呼ばれます。
もうひとつは琉球。独占的に薩摩藩が認められていました。

あれ?オランダは?
実はオランダは正式な国交ではない、通商国です。
貿易だけOK
もうひとつ、通商国なのが清(しん)です。

おおっ
今日一番感動したものが、宗家下屋敷の中に

今時の子も、道路にチョークでケンパを書いて遊ぶのか
おじさん、嬉しいよ

思わず、ケンパケンパとやろうとしたんだけど
私の頃は、ケンパケンパケンケンパ、と決まっていたのに
ケンパケンケンパで始まる
リ、リズムがっ

町奉行、池田頼方
池田播磨守とあったから、来たっ、池田輝政、と思ったんだけど
残念、池田頼方
池田輝政の家来で、池田姓をもらった。

安政の大獄の時の南町奉行です。

この公園です。

目黄不動の永久寺

寿永寺
2代秀忠の正室、お江に仕えた寿永法尼が建てたお寺
下谷七福神では布袋さんです。

豪快!布袋さんはこうでなきゃ

千束稲荷神社

このあたりに住んでいた、樋口一葉が書いたたけくらべに、重要な舞台として出てきます。
ということで、ほれっ

きりっとして、なかなかの別嬪さんじゃないですか

おでかけマップ

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