三ノ輪から下屋敷巡り

「東京古地図散歩 浅草編」という本を読みました。

この本に基づいて、前回下谷入谷を行ったので、今度は三ノ輪

どうせ池袋経由で三ノ輪に行くのなら
東京さくらトラムに乗りましょう

という事で、
東池袋四丁目の駅まで歩きます。

途中に、南池袋公園

「東京記憶の散歩地図」に書いてあった、恐ろしくも悲しい物語

戦時中、ここには空襲から身を守るため巨大な防空壕が掘られていた。

昭和20年4月13日、予想を遥かに越えた大空襲
あそこへ

みんなが一斉に防空壕へ
ぎゅうぎゅう詰め状態で身動き取れなくなった。
入口も火の海となり、そのまま
全員がぎゅうぎゅう詰めのまま、真っ黒い焼け焦げの遺体となった

あまりに悲惨で、近づけなくて
長くそのままになっていたという

碑があった

忘れないように

穏やかな日射し
楽しそうに遊ぶ親子
でも、ここでそんなことがあった。

東京さくらトラム
都営荒川線
去年だったか、愛称が決まった。
飛鳥山や面影橋や、桜の名所が多いから、良いネーミングだと思う
「東京さくらトラム(都営荒川線)」で行くようだ
良いじゃないか

一律170円
今回は池袋から終点の三ノ輪橋までだからお得
ちょこちょこ止まるから、時間はかかるんですけどね

路面電車の区間は、飛鳥山から王子までだけ

あとは、専用軌道が確保されている

チンチーン
出発するときは必ずこの音
紛れもなくチンチン電車だ
観光で飛鳥山まで行く親子4人連れ
ちっちゃなお姉ちゃんと弟
チンチーンって鳴るたびに大はしゃぎ

三ノ輪橋おもいで館


観光案内書
パンフレットをいっぱいもらってきた。

ジョイフル三ノ輪

東京23区に残る、最もレトロなアーケード商店街
前回来たときは人影がまばらだったので、印象としてはシャッター商店街化していくんだろうなと

どっこい
結構の人出
シャッターを下ろした店舗も、むしろ前回より減った印象がある
パン屋さん

コロッケパンが美味しかった

おそらく元気がある印象になったのが、こういう店舗



今は桜のテーマでの鉄道写真
荒川線に限らず。
とてもきれい

下屋敷巡り
さあ、今日の主テーマ
古地図を見ながらのウォーキングと参りましょう。

いつものアプリ「今昔江戸巡り」にも大活躍してもらいましょう。

このあたりは、江戸時代は、江戸とその外側との境目
上屋敷、中屋敷といったものはなく、下屋敷中心になります
三ノ輪橋というのは、王子で石神井川から分岐した音無川にかかる橋
今は橋はなく、三ノ輪という駅名だったり地名だったりで残ります

古地図を見ると、ここから隅田川まで、音無川の南側に日本堤という長くて大きい堤防が続きます。
下町は低湿地なので、少しでも強い雨が降るとしょっちゅう洪水に悩まされてきました。
日本堤とは、その川の氾濫から、江戸を守るための堤防

その北側の土地ということはどういうことか
川が氾濫するたびに水浸しにはなるけど、我慢しなさいと
見捨てられた地域な訳です。

それがどうした
我々はここに住んでいるんだと言わんばかりの
力強さがあります。

それがジョイフル三ノ輪の力強さに繋がっているのかも

浄閑寺

投げ込み寺とも言われています。
安政2(1855)年の大地震の時、新吉原の遊女たちに多数の犠牲者が出たんですが
この寺に投げ込み同様に葬られました。
それ以降、2万5千人もの遊女や新吉原の関係者が葬られています。

「生まれては苦界、死しては浄閑寺」と刻まれています。

永井荷風はたびたび浄閑寺を訪れ
死んだら、浄閑寺に小さな墓をたててくれと言い残しました。
ただ、実際には、雑司ヶ谷の永井家の墓に入りましたので
ここには代わりに筆塚が置かれています。

印象深かったのがひまわり地蔵です。
日雇い労働者の街が近いので
日雇い労働者の人達が地蔵を立てました。
ひまわりを持っているのと、赤い帽子が印象に残ります

まだまだ続きます
続きは明日ね

おでかけマップ

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