[天皇]53 淳和天皇。ジグザグ作戦、それならエエよ。

天皇シリーズ
嵯峨天皇の次です。

嵯峨天皇はその前のお兄さん、平城天皇の息子を次期天皇=皇太子としていた。
ところが、薬子の変で母子共々失脚

あら困った。
その時、自分には子供がいなかった。

じゃあ、弟に譲るとするか
弟を皇太弟にします。

淳和(じゅんな)天皇
823~833年

ただ、皇太弟に指名したあと、嵯峨天皇に子供が出来た。
やっぱり取消し、ってなるとまたゴタゴタになるだろう。

そのままにしておこう
でも、弟と掛け合って、ある約束を取り付けた。

早めに譲位するから、あなたのあと、うちの息子に譲位してもらえない?
その代わり、そのあとは、あなたの息子に譲るから。
題してジグザグ作戦。
どう?

まあ、そういう事なら良いよ

ということで、即位したのが、淳和天皇です。
皇太子は、嵯峨天皇の息子、後の仁明天皇です。

太政天皇
淳和天皇は、10年天皇として職務をとった後、
まだ30代と若いのに、約束通り譲位します。
太政天皇となります。

これによって、仁明天皇に対し、嵯峨太政天皇と淳和太政天皇という
一天皇二太政天皇制
ただ、後に訪れる院制時代のように、政治に口出すわけではありません。
平城太政天皇の時の反省に基づき、全く政治にはタッチしない。

皇后も政治にタッチしなくなっているので
政治は天皇に集中することになります。
女性が政治にタッチしなくなることで
祭事と政治の役割分担がなされる訳でもありません。

当然、天皇の負担は大きなものに。
ああ、大変、勘弁してぇ

これが、このあとの、藤原氏の摂関政治に繋がっていく事にもなります。

それでは太政天皇は政治にタッチせず何をしていたか
文化と経済です。
憧れの、悠々自適の隠居生活。

淳和太政天皇は嵯峨太政天皇と同い年ということもあって仲が良い
嵯峨太政天皇が漢詩に長けていたのと同様
淳和太政天皇も漢詩等の唐風文化が大好き
教養抜群です。
こんなに楽しいのに、面倒な政治なんてやってられませんっ

この悠々自適をやっていけたのは
もうひとつの「経済」面が充実していたからです。

律令時代の最初に天智天皇が決めた、日本の土地は全て国のものという決め事が崩れ
墾田永年私財法で私有地が認められます。
自分で土地を開墾したら私有地としてもらって良いですよ。

この「自分で」というところがミソなんですが
手足を動かした自分、である必要はありません。
「お金を出して人を雇い、開墾させた」も自分です。
さらに言うと、人に私有地をプレゼントさせれば、それも私有地です。

私有地になると、そこから上がった収穫で、国に税金を納めるという義務がなくなります。
全部自分のもの
この法逃れ的にも見える私有地を、この次期一番多く保有したのが、太政天皇なのです。

今で言うと、総理大臣を経験すれば、隠居後税金を免除されますよ、って感じ。

そりゃあ、早く譲位して太政天皇になりたがるはずです。
お公家さんたちも、政治より文化経済に魅力を感じる人たちは
天皇に取り入るより、太政天皇に取り入ろうとします。
積極的に自分の私有地をプレゼント。
おそらく、それでもそのあとの見返りの方が大きいんでしょう。
この傾向がどんどん加速していきます。

[天皇]シリーズはこちら(少し下げてね)

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