[植物]トマトのストレス

植物のかしこい生き方、第二章「あらがわない」から

求めても求めても満たし尽くされる事はありません。
求めることからストレスは生まれます。

トマト
この本にトマトの潜在能力の話がありました。

懐かしいなあ

トマトの水気耕栽培
ハイポニカと呼んでいました。

ひとつの株から巨木になり、17000個もの実をつける
普通より甘くて美味しいトマト

トマトが特別なトマトなんじゃなく
育て方が違うだけ

土は使わない。水栽培
温度を年中常に一定にし
水には一定の養分を入れ、ゆっくり回してやる
基本はそれだけ。

懐かしいなあ、と言ったのがどういう事かというと
昔、この話を何度もしたから。

経営コンサルタントをしていたことがあります。
研修会を何度もしました。

人間にはハイポニカトマト同様に無限の力がある
なのに、それを発揮できないとすれば
何かの枠をはめているから。
そんなものはとっぱらえ
ひょっとして、その枠の最大のものは自分で作っているかも知れない
自分の力を信じよう、認めよう
枠さえ作らなきゃもっともっと発揮できるはず

こんな感じで話していた。

ハイポニカの開発者は、これを栽培方法だととらえていない。
哲学だと考えている。
この哲学を広めるんだと頑張っておられた。

今回「植物のかしこい生き方」でこのトマトの話があったので
ハイハイ、よく知ってますよ。
限界を自分で作るなと、そういう事ですよね
と、思いながら読んでいった。

違っていた。
むしろ逆、と言って良いかも知れない。

ハイポニカ以外のトマトは、土に植えられている
温度も一定ではないし、一定の養分の水が回ってきてくれる事もない
全てがトマトにとってストレスと言えるかも知れない
でも、そのストレスを感じつつも「元気に」実をつける

その地を動くこともないし
ストレスの解消を求めることもない

もし、普通のトマトがハイポニカトマトの話を聞くと、こういうかも知れない

あらそう。ご苦労様
頑張ってるのね
私は良いわ。

本当は備わっている無限の力が発揮できないからといって、それがなんなの
と、そういう視点
求めると得られるかも知れないけど
そんなことしなくても、幸せならばそれで良いじゃない、って

面白いなあ
ひとつの現象を見て、捉え方が、こんなにも180度変わるものなのか

若いときは、自分の中に眠る無限の可能性の具現を求めていた。
他人にもそうすべきだと言ってきた。

でもこの年になって、普通のトマトの生き方が良く分かる。
普通のトマトで幸せに生きたい

この本を読んで
昔の自分の「考え方」を、懐かしいなあ、と思った。

[植物]シリーズはこちら(少し下げてね)

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