亀有で両さんこんにちは

週末のお出かけ、葛飾区の亀有に行ってみましょう。

亀有
亀有駅に着くまで完全に忘れていたんですが
そういうと亀有って。

いたっ

ふむふむ。どうもこれだけではなく、色んな両さんが色んなところにいるらしい。
面白いじゃないですか。
志木市でのカッパちゃん像探しを思い出します。

手始めに、はい見っけ。お祭り両さん

えーっと、最初に行きたいのは、見性寺
出口逆だった

おっとまたいたぞ

見性寺

ここには、宝篋塔(ほうきょうとう)がある。

宝篋印塔ができる以前の時代のものらしい。
言われてみると、良く見る宝篋印塔とはちょっと違うなあ
宝篋印塔

香取神社
出たっ。神社界の大物


香取神社ってあちこちにありそうだけど
関東で言うと、氷川神社と住み分けがされている
葛飾区って香取神社の領域だけど、それより南西側は氷川神社なので
私がウォーキングしていて滅多にお目にかかれないのよね

玄恵井の碑

この辺りは良い井戸が無く、汲み上げた水を砂濾しをしなければ飲めないものばかり
ようやく、水野又助という幕府の役人が、山崎玄恵というおじいちゃんの知恵を借り
清水を掘り当てることができた。

この香取神社にも両さん

しかも、とっても大きな亀有観光案内番

過去に実際にこち亀で描かれたそれぞれの場所と対比させながら。

香取神社はこんな感じ

さっきの駅前の銅像が出来たとき、自分と向き合った両さん

全て見応えがあって、ずいぶん長い間見入っちゃいました。

一里塚跡
水戸街道の一里塚跡。
千住宿の次の一里。日本橋からは三里です。
水戸街道ってことで、横に水戸黄門と助さん格さんのモチーフ。

お洒落なカフェで昼食
焼きチーズカレーが靴下履いてました。 
ハフハフ。うまいっ

中川を越え、新宿(にいじゅく)地区へ

浄心寺
清水巡査部長の墓がある

2.26事件の時、岡田啓介首相の警備をしていて、機関銃で撃たれ亡くなった
岡田啓介首相は難を逃れ
岡田首相の手によって清水巡査部長の墓が作られた。

西念寺
生け簀守(いけすのもり)の墓

台のところに「池須守」と書いてあります。

この辺りは将軍家が何度か鷹狩りに来ていた。
その時、生け簀で育てた魚を献じた。

美味じゃ
ってな事を言われたのか、
又将軍が来たときに魚を献じるべく、
生け簀を守る役割を、矢作藤左衛門がおおせつかる

いつ来るかも分からない将軍のために
矢作家は代々生け簀を守り続けたんだろうなあ。

新宿日枝神社(にいじゅくひえじんじゃ)
出ましたっ。日枝神社特有の山王鳥居です。

延命寺
あららら。こんなの始めてみた。

江戸時代までは神仏習合なので、お寺に鳥居があるのはよくあることで
お寺に鈴があるのも何度か見たことある。
でもお寺にある鰐口(わにぐち)と鈴とを二つ同時に吊るすかね
仲良しっ
両方鳴らしてきました。

葛西城址公園・御殿山公園
前半のハイライトでございます。

こんなところに殿が!

こっちは家来

この家来には逃げられました。

いくつか城址はいきましたが
葛西城はその中でもかなりドラマティックな城です。
天守閣とかが出来るのは織田信長以降
葛西城はそれより前なので、一般的イメージの城ではありません。
そういった城跡はいくつか行きましたが
再現イメージをみてビックリしました。

これはかなりのもんです。

発掘されたんですが、複合遺跡だった

複合遺跡とは、異なる複数の時代の遺跡が同じ場所から見つかること
ここでは、縄文時代、室町時代、江戸時代の遺跡が見つかっている。

葛西城の城主はコロコロ変わっている。

最初はおそらく葛西氏
次に関東管領の上杉氏
後北条氏になり
最後は徳川家康

戦争に負けて取られちゃう、ということが繰り返される。
それだけ要所だったということ。

江戸時代に徳川の手に渡った跡は、
家康等の鷹狩りの時の休憩のための御殿が作られる
だから、御殿山とも言う訳です。

ただ、江戸城本丸が明暦の大火の時に全焼すると
木材が足りなかったため、こちらの御殿を壊して、江戸城本丸の木材として使われた。

それ以降は再建されず草ぼうぼう

葛西城が出来るよりさらに前は、青砥藤綱という人が住んでいた。


戦前の修身の教科書に乗っていた。
鎌倉の滑川に落とした銭10銭を、50銭で買ったたいまつで探させた。

続きは明日ね

[お出かけ]シリーズはこちら(少し下げてね)

亀有で両さんこんにちは」への2件のフィードバック

  1. ピンバック: 懸命に車夫がおっぺす人車鉄道 | でーこんのあちこちコラム

  2. ピンバック: 亀有上水と曳船川 | でーこんのあちこちコラム

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